じぃ~じの釣り日誌

渓流釣り、ワカサギ釣りとアウトドアのブログ

「安全神話」の陰で (2)

2011-06-27 | 東日本大震災

71年3月、第一原発1号機が営業運転を開始した。

町民のほとんどが何らかの形で原発の仕事にかかわるようになり、国の原発関連交付金でスポーツセンター、野球場、道路、下水道整備が急速に進み双葉郡全体が活気に沸いた。

その勢いで、東電は80年代までに、大熊町に4基、双葉町に2基、第二原発4基の計10基の原子炉をこの浜通りに並べることに成功する。

立地は順調だったが運転開始後は放射性廃液の漏えいなど多くのトラブルが明らかになり地元対策に翻弄されるようになる。その度に説明会の宴席で住民は専門的なことは分かるはずがなく、専門用語を振りかざし強調される説明を信用するしかなく「安全神話」が地元に深く浸透していった。

立地に伴う交付金や固定資産税、核燃料税、寄付金。財政規模に見合わない巨額の原発マネーが流れ込み、2基の原発を抱える双葉町は歳入の半分を占めた。町は下水道や町道整備等の公共工事に突き進む。しかし、4基がそろう隣の大熊町に比べ交付金が少なく、負けてはならないという雰囲気があったという。

80年代後半になると、交付金適用期限が切れ減収が続くと、過大な公共j事業のツケが財政難に陥ることになる。財政が苦しくなると町議会は原発の増設を求める決議をして、財政の穴を新たな「立地」で埋める道を選んだ。
そこにつけ込み、東電は「J・ヴィレッジ」建設を持ち掛け、第一原発7、8号機の増設を目指す。

この時期を、佐藤栄佐久前知事は「麻薬中毒患者が『もっと薬をくれ』といっているのと同じではないか」と振り返る。
02年、佐藤知事は長年にわたる原発検査記録の改ざん、隠蔽(いんぺい)体質を批判して検査で停止している原発の再起動を拒んだため、町も決議を凍結せざるを得なくなった。
05年、双葉町が現在の井戸川町長に代わり、佐藤知事も弟の逮捕で辞職した後の07年、町議会は凍結を解除。建設予定地の初期交付金39億円を手に入れるが財政状況は想像以上に深刻で、09年までに原発立地自治体として初めて財政健全化団体に転落した。

そして『3・11』、頼みの原発による事故で避難を強いられ、町は存続の危機にある。事故から2ヶ月、東電は増設中止を表明した。

コラム(4)~(6)を掻い摘む おわり


「安全神話」の陰で (1)

2011-06-25 | 東日本大震災

福島民報の6日間連載の 『原発と国家 「立地」の迷路』 のコラムより、「安全神話」の陰で、国策の巨大事業の立地から事故までの足跡をたどったものである。

50年代、国は米国の「原子力の平和利用」の基で原発を受け入れ、国主導で旧財閥、電力会社の官民共同で茨城県東海村に商業炉が建設されると原発の流れが立地、用地選びへと加速する。

福島県では、60年代初、地元政治家が動き出す。通産政務次官だった後の知事となる木村守江、梁川町出身で東電会長まで上り詰める当時常務の木川田一隆、それと双葉町出身の県議から国政へ建設族の天野光晴、等の同郷の実力者が「浜通りを電力開発で地域振興」をと建設に動き出した。

県は、後進地域である双葉郡の開発のため新しい産業の誘致を提案した。すると、大熊、双葉町は過疎対策として県や東電に立地を陳情し、東電は用地取得を決めた。立地条件は、半径30㌔以内の人口密度は1㌔平方㍍当たり97人、「周辺半径1㌔以内に人家は存在しない」非居住区域で、これ以上ない格好の場所だった。

選ばれた土地は、戦争中、特攻隊の訓練基地で、住民は戦後、製塩業や農業に従事していたが収入は少なく、殆んどが出稼ぎをせざるを得なかった。

東電は、約3百20万平方㍍の第一原発敷地の買収に乗り出し、約300人の地権者に約5億円、各漁協にそれぞれ約1億円で漁業権放棄を補償、反対する者はなかったという。

コラム(1)~(3)を掻い摘む  続く


最終処分場

2011-06-23 | 東日本大震災

我が町内会では、年に2回の側溝の一斉清掃は中止のままである。

国と県は、『住宅地側溝の汚泥、落ち葉の清掃、処分法を有識者のアドバイスを求め、線量の高い場所からモデル地区を選んで効果を実証する』という。それほど難しい作業とは思えない。

それにより、除染方法、線量低減、作業方法を7月中ごろまでに指針を作成する。等とノンビリしたもので、そこで生活している住民や子供の目線とは思えない環境省官僚の説明である。消えることのない放射線は高いところから一日も早く取り除くべきであると思っている。

国は、8000ベクレル以下は埋め立て可能としたが、8000ベクレル以上の処理はまだ決まっていない、行き着くところは「最終処分場」のようである。

産業廃棄物の処分場でさえ建設が難しいのに、放射性物質の「最終処分場」を県内に設置できるのか。


高速無料

2011-06-20 | 東日本大震災

「休日1000円」が終了して、震災被災地支援のため、高速道路の無料化がスタートした。

利用には、被災証明書が必要で、役所の窓口が大混雑しているという、家屋の崩壊からストーブのへこみまで対象の枠がまちまちで、証明書の交付基準は各市町村の判断に任されていて、誰でもが取得が可能のようである。

取得により、インターチェンジの入り口か出口が対象区間であれば、区間外の通行料も無料となり、福島から磐越、北陸、名神、中国自動車道を乗り継げば、タダで九州まで行けることになる。

テレビでは、家も車も流された本当の被災者は遠出をすることがなく利用が少なくて、ガラス一枚割れただけの被災者の車で、国の政策で「ETC」を推奨してきたために、少ない「一般車」レーンの通過となり大渋滞がすでに始まっていて、これも問題になりそうである。


大震災から3ヶ月

2011-06-10 | 東日本大震災

3・11から明日で3ヶ月になる。収束が見えない原発事故は1~3号機までが「メルトダウン」そして「メルトスルー(溶融貫通)」と聞いても驚かなくなったのは不思議である。

県内では依然として、6万人が避難生活を強いられている。その中で、原発から20㌔以外の計画的避難区域の飯舘村は避難を始めたが。その隣の伊達市でも線量が高い地域が新たに出てきて避難問題が浮上している。このまま進めば被災者が沢山避難している福島市にもジワジワと迫って来ているのである。

今朝の新聞等では、下水道終末汚泥の置場がない、校庭の汚染土砂の仮置に苦慮、そしてこれから出てくる30万トンとも言われる高放射能ガレキを何処へ持って行けばいいのか。環境省の事務次官が福島県に県内に最終処分場の建設について要望してきた。県は『傷口に塩を塗るような話』として一切受け付けなかった。

今後、大きな問題となるのは間違いないが、「最終処分場建設」は「原発の再稼動」と同じくらい難しいんじゃないのか。  復興 ・ ・ ・ ・