同僚たちと美女と野獣を見てきました。
今回見に行くことになった経緯がありまして、
前に同僚の女の子と映画の話をしていたら美女と野獣を見に行きたいと言っていて、
僕も美女と野獣は好きだから見に行くという話をしていました。
それから菓子博に行った同僚がこれは男の子ですが、
これまた映画の話で、最近恋愛映画ばかり見ていて見たい映画もたくさんあって美女と野獣も見に行きたいと言い出したので、
それなら前に女の子が見に行きたいと言っていたから三人で行こうとなって今回の話になるのですが。
まずは美女と野獣の感想から言いますと。
面白かったです、感動もしたし少し泣けました。
美女と野獣はディズニーの中でも好きな作品で、ライオンキングと並んで1,2を争うぐらい僕の中で好きな作品です。
今回の実写版も大まかな展開は同じでしたが所々にいいと思える箇所があって、
まずベルが一貫して野獣を彼と呼ぶところ。
それまではずっと彼と言っているなぁと思いながら見ていたのですが、
佳境でガストンが野獣に野獣が!というシーンで私は野獣ではない!というシーンを見てやっぱり意味があったんだなと感動しました。
あとは、ベルとお父さんが馬車の牢獄に入れられた時に、野獣がいい人だと説得するシーンで、
お母さんの形見を見せて離れ離れになるのがわかっていてもそれは大切な人を思っているからこそというでその心を野獣も持っているというのを、
語らずも納得するシーンが一番泣けました。
同僚の手前我慢しましたが、家で一人で見ていたら号泣するレベル。
あとは、原作通りな部分である、変わり者扱いされている美女と心が醜いと揶揄され呪いをかけれた野獣というギャップと、
見た目ではなく心の美しさと心が通じ合うことの大切さというテーマはやはり好きなテーマです。
とまぁ映画についてはこんな感じです。
でこの映画の件、終わってみれば映画を見るだけの意味ではなかったのではないかという考えが出てきました。
そもそも今回一緒に見に行った女の子は僕を良く思ってくれているかもしれない子で、
その子と菓子博に行った男の子は仲がいいのですが、
今回の話は僕が発端だと思っていたのですがもしかしたらそう仕向けられたのではと思えてきました。
一考してみると、
僕と女の子が美女と野獣の話をする、ここは偶然だと思います、
男の子と菓子博に行く、ここも偶然。
しかし男の子から美女と野獣の話が出たのが果たして偶然か?
もしかしたら女の子と美女と野獣を見に行くための流れをそこで作ったのではと思えました。
思い当たる節がいくつかあって、
席に座るときに僕が最初に座ったのですが男の子がなぜか端っこがいいからと女の子が真ん中つまり僕の隣に座るように仕向けたり、
映画を見終わった後ご飯を食べに行ったときに、これまた僕が先に座って二番手に来ていた女の子が僕の対面に座るとそこ座る?と突っ込みを入れていたり、
突然恋人がほしいのかとか結婚願望があるのかとか僕たちに聞いてきたりと普段とは違う言動が散見されました。
食事の時に女の子が対面に座るのは、両脇に男女で別れるのが普通だと思うのでなぜそこで突っ込みをいれるのか内心少し疑問でしたがそのままスルーしました。
とまぁもしかしたら今回のことは僕から言い出さなくても仕組まれたことだったのではと思ったわけですが、
女の子自体は、そんなにテンションが高い感じもなくむしろ低めで映画の感想についても殆ど話もなくという感じでした、
お互い夜勤明けで2時間ぐらいしか寝ていなかったというのもあるのかもしれませんが。
しかし僕は僕で映画を見ている間、内心穏やかではありませんでした。
なぜなら意中の人がちらつく。
特にその人にイメージを合わせているわけでもないのに、恋愛描写になると湧き上がる気持ちを理性で抑え込まないと妙な感じになりそうで大変でした。
世の恋している人たちは恋愛映画をこんな気持ちで見ているのだろうか、だとしたら落ち着かなくてしょうがないです。
今回見に行くことになった経緯がありまして、
前に同僚の女の子と映画の話をしていたら美女と野獣を見に行きたいと言っていて、
僕も美女と野獣は好きだから見に行くという話をしていました。
それから菓子博に行った同僚がこれは男の子ですが、
これまた映画の話で、最近恋愛映画ばかり見ていて見たい映画もたくさんあって美女と野獣も見に行きたいと言い出したので、
それなら前に女の子が見に行きたいと言っていたから三人で行こうとなって今回の話になるのですが。
まずは美女と野獣の感想から言いますと。
面白かったです、感動もしたし少し泣けました。
美女と野獣はディズニーの中でも好きな作品で、ライオンキングと並んで1,2を争うぐらい僕の中で好きな作品です。
今回の実写版も大まかな展開は同じでしたが所々にいいと思える箇所があって、
まずベルが一貫して野獣を彼と呼ぶところ。
それまではずっと彼と言っているなぁと思いながら見ていたのですが、
佳境でガストンが野獣に野獣が!というシーンで私は野獣ではない!というシーンを見てやっぱり意味があったんだなと感動しました。
あとは、ベルとお父さんが馬車の牢獄に入れられた時に、野獣がいい人だと説得するシーンで、
お母さんの形見を見せて離れ離れになるのがわかっていてもそれは大切な人を思っているからこそというでその心を野獣も持っているというのを、
語らずも納得するシーンが一番泣けました。
同僚の手前我慢しましたが、家で一人で見ていたら号泣するレベル。
あとは、原作通りな部分である、変わり者扱いされている美女と心が醜いと揶揄され呪いをかけれた野獣というギャップと、
見た目ではなく心の美しさと心が通じ合うことの大切さというテーマはやはり好きなテーマです。
とまぁ映画についてはこんな感じです。
でこの映画の件、終わってみれば映画を見るだけの意味ではなかったのではないかという考えが出てきました。
そもそも今回一緒に見に行った女の子は僕を良く思ってくれているかもしれない子で、
その子と菓子博に行った男の子は仲がいいのですが、
今回の話は僕が発端だと思っていたのですがもしかしたらそう仕向けられたのではと思えてきました。
一考してみると、
僕と女の子が美女と野獣の話をする、ここは偶然だと思います、
男の子と菓子博に行く、ここも偶然。
しかし男の子から美女と野獣の話が出たのが果たして偶然か?
もしかしたら女の子と美女と野獣を見に行くための流れをそこで作ったのではと思えました。
思い当たる節がいくつかあって、
席に座るときに僕が最初に座ったのですが男の子がなぜか端っこがいいからと女の子が真ん中つまり僕の隣に座るように仕向けたり、
映画を見終わった後ご飯を食べに行ったときに、これまた僕が先に座って二番手に来ていた女の子が僕の対面に座るとそこ座る?と突っ込みを入れていたり、
突然恋人がほしいのかとか結婚願望があるのかとか僕たちに聞いてきたりと普段とは違う言動が散見されました。
食事の時に女の子が対面に座るのは、両脇に男女で別れるのが普通だと思うのでなぜそこで突っ込みをいれるのか内心少し疑問でしたがそのままスルーしました。
とまぁもしかしたら今回のことは僕から言い出さなくても仕組まれたことだったのではと思ったわけですが、
女の子自体は、そんなにテンションが高い感じもなくむしろ低めで映画の感想についても殆ど話もなくという感じでした、
お互い夜勤明けで2時間ぐらいしか寝ていなかったというのもあるのかもしれませんが。
しかし僕は僕で映画を見ている間、内心穏やかではありませんでした。
なぜなら意中の人がちらつく。
特にその人にイメージを合わせているわけでもないのに、恋愛描写になると湧き上がる気持ちを理性で抑え込まないと妙な感じになりそうで大変でした。
世の恋している人たちは恋愛映画をこんな気持ちで見ているのだろうか、だとしたら落ち着かなくてしょうがないです。
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