12月3日に参加した表題のシンポジウムからのメモです。
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やまなみこども園の山並道枝園長からの基調講演「熊本地震、保育所はどう動いたか」メモ。
やまなみこども園は指定避難所ではない。前震のあとから、普段園の利用者でない世帯も含め、近隣から集まってきた人たちを受け入れ「自主避難所」となった。
物資について、避難所になることを想定していたわけではなかったので災害用の備蓄はなく、避難してきた人の持ち寄りと、園の常備品でスタート。
指定避難所ではないため、公的な支援物資は来ない。日ごろから保育者同士の連携を取っていた同業者ネットワークで、被災していない県の内外からの申し出、送ってもらった物資で乗り切った。
保育士、避難してきた大人、中高生、みんなが協力して運営にあたり、園庭で炊き出しを行って「あたたかい食事をみんなで作ってみんなで食べる」ことを大事にした。
指定避難所では不足していた乳幼児用品を、指定避難所に避難している人が「ここにならあると聞いた」と訪ねてきたこともあった。もちろんお分けした。
災害発生後の一番厳しい時期10日間をこのように自主避難所として乗り切られ、かつ園の保育は4月21日から再開されたとのこと。
こちらの事例では、「指定避難所外に避難者が集まった地域拠点が自分たちで生き残るためになにをしたか」「保育を専門とする視点で進めたことがどのように有効だったか」「個々の自己決定とチームプレイとしての意思決定」ということを大きく考える。
施設としてう受け入れるなら、備蓄がどうだ建物がどうだという災害への備えの既存の議論には出てこない貴重なお話。
普段から地域との交流が深い園のあり方をしておられた。スタッフも「みんなで」という意識が持てる運営をしておられた。それが、やまなみこども園に避難させて、と住民が集まるという現象になり、受け入れたスタッフと、避難所運営に大人も中高生も協力したさまに現れていると思う。
園長先生のリーダーシップ。緊急時で時間を争うときには、意思決定と伝達、行動までの早さが決め手となるが、そこで大きくリーダーシップが機能し、かつ「指示命令系統」としてではなく「協力して乗り切る」という形で作用したように受け取った。また、物資の補給路も、園長先生が日ごろから保育団体と地域を越えた連携を持っていたため、被災していない県外などから、同業仲間を中心にニーズにあったものを臨機応変に送ってもらったということだ。
保育の専門性では、子どもの成長や精神的な安定のために、何が必要かということをご存知だったために、暖かい食事や多世代で手分けして避難所として回しつつ交流すること、笑顔を持ち続けることができる環境づくり、が、その場の運営だけでなく、災害を経ることによる長期的にもたらすメンタルのダメージを軽減し、再スタートに向かっていくことができた。
写真は、私が10月に熊本地震被災地を視察調査で訪問した際に、夕暮れの熊本市内で撮ったもの。
半年以上経過した市内中心部でも、通りから一歩入ったところでこうした光景を見かけた。
Facebookの個人フィードにメモ書きしていたものをこちらにも掲載しました。内容ごとに7回に分けてあります。
個人フィードに掲載後、主催者されたみなさんにも、内容を確認していただいています。
主催側の公式なまとめではなく、参加者として書き留めたものです。
個人フィードに掲載後、日にちが経ってから見に来てくださる方もかなりいらっしゃるので、より共有しやすいウェブログにも掲載することにしました。