洞爺湖で観光タクシー·ジャンボタクシー
洞爺湖
有珠山
茶褐色の三角形の山が昭和新山です。
北海道個人タクシー髙橋の
洞爺湖·有珠山と昭和新山観光案内でーす。
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洞爺湖
周囲43km、最大水深179㍍のドーナツ型の湖です。
北海道では支笏湖·摩周湖に次いで3番目に深い湖で冬でも凍る事がない不凍湖です。
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有珠山
平成12年(2000年)に昭和52年の噴火から、23年ぶりの有珠山噴火。
平成12年(2000年)3月21日午後1時10分頃、第1回目の噴火が有珠山西山山麓で発生致しました。黒い噴煙は、上空3200㍍まで達し、きのこ雲のように丸く膨れ、しだいに広がって行きました。
その後、数回にわたり、複数の火口から繰り返し噴煙が上がり、山や街を黒い噴煙で覆いました。雪が残る山裾は、みるみるうちに、火山灰で染まり火口付近では噴石も多数確認されました。
更に、4月1日には、再び西山山麓で噴火、又有珠山の北西側の金毘羅山でも新たな火口群を形成し、噴火しました。
その後、この2つの地区で、多くの火口が形成、地殻変動も、進行して行きました。
一般国道230号線には新たな火口が出来、噴煙や噴石と共に吹き出る大量の火山灰、人の頭ほどの噴石が火口周辺の建物や畑に大きな被害をもたらしました。
現在では、火山灰の除去や道路ね修復も進み、有珠山ロープウェイや洞爺湖の遊覧船の運行も再開され、再び観光客が戻って来ました。厳しい状況にあった有珠山周辺地域も、懸命な復興への努力により活気を取り戻しました。
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茶褐色の三角形の山が昭和新山です。
昭和18年、暮れも押し迫った12月28日、このあたりは、激しい地震に襲われました。有珠山が明治43年の爆発以来、33年ぶりに活動をはじめたのです。
この地震と共にはじまったのが、土地の隆起でした。50数軒の家と、広い麦畑が、毎日少しずつ盛り上がり、翌年の5月には、50㍍ほどの丘になっていました。
そして6月23日、この麦畑の丘が、ついに大爆発を起こしました。
爆発は10月まで17回もつづき、とくに、爆発のはげしかったときには、岩石が1km四方にも飛び散り、幸い、死傷者はありませんでしたが、裾野いったいの人々は恐怖の毎日でした。
この爆発の間も土地の隆起はつづき、12月上旬、白煙を上げる火口の中央から、ついに、真っ赤な溶岩塔が、ゆっくりと地上に押し上がって来ました。
そして、それは1日に1㍍半の速さで盛り上がり、昭和20年9月、ピタリと活動を停止した時には、周囲4.6km、標高406.9㍍の火山になっていたのです。
その期間、わずか1年9ヵ月の出来事でした。火山は、その出来方や、形によって色々分類されますが、この昭和新山のように、熔岩だけが固まって出来た山は、現在、世界でも例がなく、昭和32年、国の特別天然記念物に指定されております。