具材を用意して、パエリア作りま〜す。
はーい 美味しそうに出来上がりました。
美味しい。ლ(´ڡ`ლ)
アップダウンの差が大きく、まるでジェットコースターに乗っているような感じがす所から名づけられました。(^_^)v
ジェットコースターの路
ジェットコースターの路は、四季の彩り美しい丘陵地を高低の激しい、4.5㎞の直線道路が貫いています。
優しく車を走らせるとジェットコースターの雰囲気を味わう事が出来ます。
登り切った一番高い所から見る十勝岳連峰の眺望は絶景です。
また、この路はテレビドラマ「優しい時間」にも登場致しました。
上富良野町
上富良野町は、大正15年、十勝岳の爆発で144名の尊い生命と多くの田畑をうしない、一時は村を丸ごと放棄しようという説と、どうしても、もと通りにという復興説が出て、議論されました。
それが今ではビールの原料ホップ、香水の原料ラベンダー、そのほか、アスパラガス、ビートなど、北海道の特産物を生産する農村となり、噴煙たなびく十勝岳は、まちの重要な観光資源になっています。
ファーム富田
故富田忠雄氏のラベンダー畑です。昭和33年忠雄氏が結婚を記に念願だったラベンダー栽培を始める(10a)昭和40年7年を要しラベンダー畑を12haまで拡大する。
昭和45年富良野地方でラベンダー栽培がピークを迎え230ha250戸の農家が栽培、ラベンダーオイル生産量5トンとなる。
昭和47年合成香料や輸入香料の増加でラベンダーオイルの買い上げ価格が下がり採算がとれなくなりラベンダー作りを辞めて行く農家が急増します。
昭和47年~昭和48年富田氏も稲作で生計を立て、細々とラベンダー栽培をしていました。
昭和51年国鉄のカレンダーで全国に紹介され、次第に観光客訪れはじめ、徐々に富良野のラベンダー観光が増えて行きます。
昭和52年玄関先でラベンダーのポプリを販売。
昭和55年ラベンダーオイル抽出に成功る。
昭和59年化粧品製造業の免許取得。
昭和62年石鹸製造業の免許取得。
平成1年稲作を辞めラベンダーオイルやラベンダー製品の加工販売に専念する。
平成2年南フランスラベンダー生産組合よりラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロバンスラベンダー修道騎士」授与されます。
此方は、彩りの畑で〜す。
鮮やかな紫のジュータン 綺麗ですねー
(^^)/~~~