積丹半島ローソク岩
高さ約40㍍、観音様の立ち姿に似ている所から別名、観音岩とも呼ばれています。
ローソク岩アイヌ伝説、昔々、大陸に住んでいた神様が、積丹半島をもぎ取って、自分達の領土にしようとスキをうかがっていました。
あるとき、この神様は、もの凄い大暴風と大津波を巻き起こし、そのドサクサにまぎれて、積丹半島を引きちぎろうとしました。
これを知った北海道の神様達は、半島を渡してなるものかと、嵐の中、太い縄で積丹半島を縛り、その端を、ローソク岩の根元に、しっかりと結びつけました。このため、大陸の神様も、積丹半島を盗む事が出来なかったと言われております。
恵比寿岩と大黒岩
このあたり積丹半島余市町白岩地区の海岸線の岩壁が白いので余市町白岩と名付けられました。
海の中に二つの岩が有りますが向かって右側鳥居のたっている岩が大黒様の頭巾にみたてて大黒岩、左側恵比寿様の鳥帽子にみたてて恵比寿岩と呼ばれています。
この地域の名前の由来にもなった白岩です。
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昭和9年大日本果汁株式会社を設立
ウイスキーは熟成の時間が必要で、手始めにリンゴジュースやブランデーを造って販売し、昭和11年にウイスキーを造り、4年後の昭和15年、ニッカの第一号が世に出たのです。
ニッカは、現在、全国的な洋酒メーカーに成長し、余市の他に仙台をはじめ、東京、弘前、西宮、九州などに工場があります。
ニッカの創設者、品質第一主義をがんとして唱え続けた日本のウイスキーの父、竹鶴政孝は昭和54年8月、リタ夫人(昭和36年死去)の待つあの世へと旅立ちました。享年85歳、ウイスキーに一生を捧げた「職人」でした。
ニッカウヰスキー余市原酒工場
石造りの建物は「ニッカウヰスキー余市原酒工場」です。遙か離れた異国・スコットランドを偲ばせる建物の風情は、スコッチウイスキーに匹敵するウイスキーを日本で誕生させた記念すべき所です。
余市工場の敷地面積は15haと広く、ウイスキーの出来るまでの様々な工程が石造りの建物の中に配置され、中でも発芽した大麦をピートの煙で燻し乾燥させるという独特な製法が採られている事は、この工場ならではの方法です。
昭和9年大日本果汁株式会社を設立
ウイスキーは熟成の時間が必要で、手始めにリンゴジュースやブランデーを造って販売し、昭和11年にウイスキーを造り、4年後の昭和15年、ニッカの第一号が世に出たのです。
ニッカは、現在、全国的な洋酒メーカーに成長し、余市の他に仙台をはじめ、東京、弘前、西宮、九州などに工場があります。
ニッカの創設者、品質第一主義をがんとして唱え続けた日本のウイスキーの父、竹鶴政孝は昭和54年8月、リタ夫人(昭和36年死去)の待つあの世へと旅立ちました。享年85歳、ウイスキーに一生を捧げた「職人」でした。