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2015年12月20日
昨今 手書きで しかも毛筆で文字を書く機会は少なくなったが、
巷間では 意外と手書きの漢字があふれている。
特に 居酒屋、ラーメン店などの飲食店にその傾向がある。
手書きの漢字のほうが インパクトがあり 集客効果があると
思われるのだろうが、究極のド迫力手書き漢字は
出光ガソリン の 「出光」に 尽きると思う。
番長も小さい頃 「出る」という字が なかなか格好よく書けなくて
子供なので どうしても 左右対称的な字になってしまうところ、
この字にヒントを得て、開眼した記憶がある。
そう、「東」や「山」だって もちろん高須の「高」だって
お習字では左右対称に書く必要は無いのだ。とね(^_-)-☆
さて、この「出光」の漢字 さぞ有名な習字の先生が書いたのだろう?
と、思っていたが 誰が書いたのか?までは 考えなかった。
むしろ、ガソリンスタンドがオープンするたびに、
その先生が全国どこでも出向いて 「出光」を書くのは大変だな?とか
毎回ぴったり同じ字が書けるのだろうか?
調子のいい日と、悪い日があるのではないか?とか
思っていた。
まだ少年だった高須番長は、プリントなんて言葉は知らない。
てっきり、1回1回 現地で直筆するものと、思っていたのである。
、 出光の 看板文字は 誰書いた?
番長の書いた「出光」は 完成度において
オリジナル「出光」に遠く及ばない。
ではオリジナルはいったい誰が書いたのだろう?
答えはすぐに得られた。
「出光」の揮毫者は なんと、出光興産創業者
故 出光佐三氏本人だった。
12月19日 小春日和の中 番長は鎌倉市東慶寺にある
出光佐三氏の墓を訪ねた。
境内の奥まったところに墓苑があり、
さらに最奥に近い山の斜面の際に 「出光佐三夫妻之墓」があった。
周囲を囲む石垣の苔は 没後34年を物語るに余りある。
番長は墓前にたたずみ ご無礼を承知で
「出光」文字のブログ掲載のお願いをした。
と、その瞬間 静かだった竹藪がにわかに
ざわざわ となったのが不思議であった。
お願いをしたところで
むろん「認める」との声は帰って来ないが、
落葉盛んな折り、紅葉の一片が まるでスローモーションのように
ブランコの如く番長の眼前にひらりと舞い降りたのであった。
戒名に 佐三大居士の文字が読み取れる。
昭和の偉人 「海賊とよばれた男」
出光佐三ご夫妻のご冥福を心から祈ります。
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