アスルクラロ沼津のJ3入会のご報告とコメントhttps://t.co/no9y1jYzrq今後ともクラブ、選手にご支援、ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。#アスルクラロ沼津 pic.twitter.com/oTMrhMu4dj
— アスルクラロ沼津【公式】 (@azulclaro1990) 2016年11月16日
2016年11月16日
JFLアスルクラロ沼津は来年からのJリーグ加入、J3参戦が承認された。
私が静岡県東部のチームに関心を寄せたジヤトコFC時代から早14年。
前年の01年の勢いはどこへやらという流れで関西リーグ・アイン食品との入替戦を戦った02年。
あの時のPK戦で活躍した大石尚哉氏のサインは生涯の宝物。
03年は突如発表されたジヤトコFC活動休止
それからの存続署名運動は結果として実を結ばなかったけど
当時、三ツ沢で署名に協力していただいた横浜FC、モンテディオ山形サポーターの皆様には
本当にお世話になりました。
04年、FCイースタン04発足。当時J1から数えて9部に当たる東駿河湾リーグ1部からの参戦。
それでも東駿河湾3部からのスタートより恵まれていた半面、声出し、鳴り物、幕掲示は控えなくてはならなかった日々
泥んこピッチの東レ三島グラウンドでの試合、ここで初めてローカルフットボールの現場を目にした。
05年、チーム発足2年目からだけど、当時流行りのブログで情報発信してみてはと
助言を受けて一念発起して始めたこのブログ。しかし、このブログを立ち上げた直後に
FCイースタン04は休部・解散に・・・。あの時人知れず流した涙は今も忘れない。
その後は故郷静岡県東部のサッカーは高校年代に軸足を移し加藤学園暁秀高校や飛龍高校などを応援するようになったり。
07年、08年に静学と選手権県大会の舞台で堂々と渡り合ったのは本当に感動した。
その当時のメンバーの真野直紀選手が今沼津に所属している。こんなに嬉しいことはない。
09年は飛龍も奈良から来たエース澤上が1年時から圧倒的な存在感を見せつけていた。
来年もしレンタルで彼が沼津に来たらどれほど心強いことだろう。
2012年6月、静岡県1部から東海2部に昇格したアスルクラロ沼津の試合を初めて見る。
東海2部なのに、その運営力には衝撃を受けた。
2013年は沼津の応援に元ジヤトコサポの仲間が現場復帰した。(参考)
しかし、当時の観客数は900人に満たない数に。
もっとも、東海1部としては驚異的な数字だったけど。
2014年、J3創設に伴いJFLの参入枠が拡大し、沼津は地域決勝を経ずにJFL参戦へ。
この時対戦した佐川印刷SCは、もういない。
この頃、町田や松本など既存Jクラブからレンタル選手が加入したことにより他クラブのサポさんも
沼津の試合を観るようになる。それでも観客は1,872人だった。
2015年は惜しくも参入条件の順位を満たせずJ参入とはならなかったが
奈良クラブサポやホンダロックサポの方達とアスルドダック氏らとの絡みは
今後の応援スタンスの方向性として位置付けられていく。
そして2016年。
ここまで、本当に、本当に長い道のりでした・・・・。
よく仕事場などで静岡県出身だと自己紹介すると「サッカーどころの」と清水方面の方だと誤解されがちだったけど
「実はサッカーはあまり強くない地域の出身なんですよ」と言い直すのが心苦しかった。
静岡と言ってもサッカーどころとしては全国的にまだ無名だった地域の静岡県東部
清水や磐田、藤枝の華やかなサッカーの話題の陰に隠れがちだった我が故郷・・・。
でも、これからは名実共にサッカーどころの県出身
アスルクラロ沼津がある静岡県出身だと言える。
実際、アスルクラロ沼津の試合は年に2~4回位しか行けなかったけど
行ける試合は動画とマッチレポにまとめ、自分なりの情報発信はやってきた。
それが沼津サポ本隊の方達をどれくらいアシスト出来てたかは定かではないけど
沼津の方達が少しでも喜んでいただけたら、それでいい。
もう今のアスルクラロ沼津は自分が知る規模よりも、社会的公器なものとして大きくなった。
Jリーグの中では55番目のクラブ。
FIFAランキングの日本のような立ち位置で、今後も厳しい現実も待っているかも知れないけど
これからのアスルクラロ沼津の奮闘ぶりを暖かく見守っていきたい。
おめでとう アスルクラロ沼津
そして ありがとう。
万感の想いを込めて。
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静岡東部のサッカーに関わる皆様におめでとうと言いたいです
こんにちは。返事が遅れて申し訳ありません。
コメントありがとうございます!
本当にここまで長い道のりでした。
愛鷹でJ3の各クラブとの対戦、アウェイも含め
今から非常に楽しみにしております。
三ツ沢など南関東アウェイは行ってみたいですね。