ミスター エスパルスとして14年間清水一筋で
活躍した大エース・澤登正朗選手が今季限りで引退を表明。
澤登正朗選手 現役引退記者会見の内容について(清水公式HP)
今季限りで引退、沢登が会見(静岡新聞)※動画付き
正直なところ、Jリーグ通算400試合出場となるであろう
来年まで現役を続行するものと思っていただけにショックが
大きいです。
しかし引退記者会見の模様を見ると、本人の美学に則っての
決断であるようなので、ここは1ファンとして引退を惜しむ
気持ちをグッと堪えて気持ちよく有終の美を迎えたい気持ちです。
自分が清水をここまで追い続けていた理由はノボリの
存在がほぼ全てといって良いくらいでした。
ノボリは富士宮市出身。私は常々
静岡東部出身選手が清水の10番を背負っている
ことを誇りに思っていました。
ノボリを注目し始めたのはJリーグが創設され、彼の出身が
富士宮であることを知ってから。
残念ながらノボリの高校時代やバルセロナ五輪予選時代に
ついてはあまり良く知りません。
それまで「静岡県内でサッカーが上手い選手=旧清水市出身選手」
という誤った固定観念が出来上がっていた自分にとっては、まさに
目から鱗が落ちるほどの嬉しい出来事でした。
(オールドファンから見たら笑われてしまいそうですが事実は事実)
サッカーの街・清水
そのサッカーの街から初めて0から創設されたプロサッカー
チームの10番を背負う・・・このことがどんなに名誉で栄
あることか最近の静岡サッカー界の凋落しか知らない若い世
代の方々には想像つかないかもしれませんが、清水の10番
を背負う意味はそれほどに大きいものでした。
ちなみに私は加茂&岡田・日本代表時代、ノボリ代表待望論
者で事あるごとに、知人、友人、家族に「ノボリを代表に」と
吹聴して回っていました。残念ながら当時の私の周囲にはサッ
カーに理解のある人間が少なかったのでいくら吹聴しても理解
してもらえなかったのですが…。
有名なオールドファンのブログにも一部触れてありますが、私も
97年、W杯2次予選直前に駒場で行われた日本代表vsJリーグ
外国人選抜の試合も見に行きました。
しかし、ノボリが後半半ば過ぎに登場した時は
「出すの遅せーよ。ふざけんな加茂」と何度思ったことか。
(ちなみにこの試合がA代表初観戦試合。)
結局、加茂時代ではこの試合しかチャンスは与えられず、
引き続き岡田監督にも期待していたが、既に中田英中心の
チームとなっていたフランス98日本代表へ召集されること
は無く、トルシエ時代に一度呼ばれるものの定着はしなかった
のは周知の通り。
代表には縁遠かったものの、清水ではまさに大エースとして君臨。
特にオジーことアルディレスの師事を受けてから前線からの
プレスを積極的に行うようになり、旧来の司令塔タイプから
当時の日本人選手として北澤、森島以上の能力を持った
「汗かきプレーも出来てFKも蹴れる万能MF」に大成したと
私は思っています。
さらに先に紹介した氏の文章にノボリはボランチの方が適職では
という意見がありましたが、ノボリウォッチャーから言わせて貰
えばノボリのボランチとしての出来は清水での試合を見る限り
あまり芳しくなかったような…。
やはり彼は2列目の右が適職ではと。
他所のサイトなどを見ると彼のピークは99年という見方が
多いですが、ノボリは既に97年から絶頂期だったと当ブログ
では書き留めておきます。
最後にノボリのプレーで私個人の中で印象に残るゴール・プレーを
5つほど挙げてみます。
第5位 98年1stステージ第12節 清水vs神戸
4点全てに絡むプレー&ゴール
突発性難聴から復帰後のスーパープレー。
後方からの縦パスを走りながら右アウトサイドで
正確にトラップ~神戸DF中央とGKをブチ抜きシュート~
ゴールは今見ても凄いはず。
残念ながら98W杯・代表発表後の試合となり
マスコミ的には当時代表に選ばれた伊東、市川の
祝賀ムードの影に隠れがちになりましたが…。
ちなみにサッカーダイジェスト誌の採点は「8」を記録。
しかし、これまた残念なことにあまり映像として残ってない(涙)
しかもスパサカのダイジェストでしか見れていないのが辛い
ところ。
もしスーパープレー集DVDをクラブが作るとしたら
是非入れて欲しいプレー。
第4位 98年1stステージ第10節 清水vs磐田
アレックスの決勝ゴールに繋がるスルーパス。
やはり静岡ダービーで魅せたプレーは1つ挙げないと。
まさにここしかない!というべきスルーパスのお手本
ちなみに記録はこちら
第3位 99年天皇杯決勝 横浜Fvs清水
先制点となるヘディングシュート
このシュートに至るまでのボール繋ぎは圧巻の一言。
これが決まったとき「この試合貰った!」と
思っていましたが…。
第2位 99年チャンピオンシップ第2戦 清水vs磐田
有名すぎるFK。でもテレビ観戦だったので、あえて2位。
第1位 97年Jリーグ1stステージ第16節 横浜Fvs清水
100の質問にも書きましたが、
三ツ沢で初めて見たFKによる直接ゴール。
ゴールが決まった瞬間、無意識に雪崩やってましたw
大方のサッカーファンにとっては99年のFKがベスト
となるはずですが、私にとっては生で見たこのゴールが
1番の思い出です。
(ちなみにこの試合は横浜F・ジーニョの三ツ沢ラストホームであり、
興津大三のプロ初ゴールを挙げた試合でもあったりする。)
もちろん、まだノボリの全ての試合が終わったわけじゃないんで。
残り試合でもきっと良いプレーを見せてくれるはず。
それまで感謝の言葉はしばらくお預けです。
こうなったら元旦国立までプレーを続けて貰いたいものです。
そして今日、日本平へ行かれる方は私の分までノボリの勇姿を
見届けてやってください。(;´д⊂)
活躍した大エース・澤登正朗選手が今季限りで引退を表明。
澤登正朗選手 現役引退記者会見の内容について(清水公式HP)
今季限りで引退、沢登が会見(静岡新聞)※動画付き
正直なところ、Jリーグ通算400試合出場となるであろう
来年まで現役を続行するものと思っていただけにショックが
大きいです。
しかし引退記者会見の模様を見ると、本人の美学に則っての
決断であるようなので、ここは1ファンとして引退を惜しむ
気持ちをグッと堪えて気持ちよく有終の美を迎えたい気持ちです。
自分が清水をここまで追い続けていた理由はノボリの
存在がほぼ全てといって良いくらいでした。
ノボリは富士宮市出身。私は常々
静岡東部出身選手が清水の10番を背負っている
ことを誇りに思っていました。
ノボリを注目し始めたのはJリーグが創設され、彼の出身が
富士宮であることを知ってから。
残念ながらノボリの高校時代やバルセロナ五輪予選時代に
ついてはあまり良く知りません。
それまで「静岡県内でサッカーが上手い選手=旧清水市出身選手」
という誤った固定観念が出来上がっていた自分にとっては、まさに
目から鱗が落ちるほどの嬉しい出来事でした。
(オールドファンから見たら笑われてしまいそうですが事実は事実)
サッカーの街・清水
そのサッカーの街から初めて0から創設されたプロサッカー
チームの10番を背負う・・・このことがどんなに名誉で栄
あることか最近の静岡サッカー界の凋落しか知らない若い世
代の方々には想像つかないかもしれませんが、清水の10番
を背負う意味はそれほどに大きいものでした。
ちなみに私は加茂&岡田・日本代表時代、ノボリ代表待望論
者で事あるごとに、知人、友人、家族に「ノボリを代表に」と
吹聴して回っていました。残念ながら当時の私の周囲にはサッ
カーに理解のある人間が少なかったのでいくら吹聴しても理解
してもらえなかったのですが…。
有名なオールドファンのブログにも一部触れてありますが、私も
97年、W杯2次予選直前に駒場で行われた日本代表vsJリーグ
外国人選抜の試合も見に行きました。
しかし、ノボリが後半半ば過ぎに登場した時は
「出すの遅せーよ。ふざけんな加茂」と何度思ったことか。
(ちなみにこの試合がA代表初観戦試合。)
結局、加茂時代ではこの試合しかチャンスは与えられず、
引き続き岡田監督にも期待していたが、既に中田英中心の
チームとなっていたフランス98日本代表へ召集されること
は無く、トルシエ時代に一度呼ばれるものの定着はしなかった
のは周知の通り。
代表には縁遠かったものの、清水ではまさに大エースとして君臨。
特にオジーことアルディレスの師事を受けてから前線からの
プレスを積極的に行うようになり、旧来の司令塔タイプから
当時の日本人選手として北澤、森島以上の能力を持った
「汗かきプレーも出来てFKも蹴れる万能MF」に大成したと
私は思っています。
さらに先に紹介した氏の文章にノボリはボランチの方が適職では
という意見がありましたが、ノボリウォッチャーから言わせて貰
えばノボリのボランチとしての出来は清水での試合を見る限り
あまり芳しくなかったような…。
やはり彼は2列目の右が適職ではと。
他所のサイトなどを見ると彼のピークは99年という見方が
多いですが、ノボリは既に97年から絶頂期だったと当ブログ
では書き留めておきます。
最後にノボリのプレーで私個人の中で印象に残るゴール・プレーを
5つほど挙げてみます。
第5位 98年1stステージ第12節 清水vs神戸
4点全てに絡むプレー&ゴール
突発性難聴から復帰後のスーパープレー。
後方からの縦パスを走りながら右アウトサイドで
正確にトラップ~神戸DF中央とGKをブチ抜きシュート~
ゴールは今見ても凄いはず。
残念ながら98W杯・代表発表後の試合となり
マスコミ的には当時代表に選ばれた伊東、市川の
祝賀ムードの影に隠れがちになりましたが…。
ちなみにサッカーダイジェスト誌の採点は「8」を記録。
しかし、これまた残念なことにあまり映像として残ってない(涙)
しかもスパサカのダイジェストでしか見れていないのが辛い
ところ。
もしスーパープレー集DVDをクラブが作るとしたら
是非入れて欲しいプレー。
第4位 98年1stステージ第10節 清水vs磐田
アレックスの決勝ゴールに繋がるスルーパス。
やはり静岡ダービーで魅せたプレーは1つ挙げないと。
まさにここしかない!というべきスルーパスのお手本
ちなみに記録はこちら
第3位 99年天皇杯決勝 横浜Fvs清水
先制点となるヘディングシュート
このシュートに至るまでのボール繋ぎは圧巻の一言。
これが決まったとき「この試合貰った!」と
思っていましたが…。
第2位 99年チャンピオンシップ第2戦 清水vs磐田
有名すぎるFK。でもテレビ観戦だったので、あえて2位。
第1位 97年Jリーグ1stステージ第16節 横浜Fvs清水
100の質問にも書きましたが、
三ツ沢で初めて見たFKによる直接ゴール。
ゴールが決まった瞬間、無意識に雪崩やってましたw
大方のサッカーファンにとっては99年のFKがベスト
となるはずですが、私にとっては生で見たこのゴールが
1番の思い出です。
(ちなみにこの試合は横浜F・ジーニョの三ツ沢ラストホームであり、
興津大三のプロ初ゴールを挙げた試合でもあったりする。)
もちろん、まだノボリの全ての試合が終わったわけじゃないんで。
残り試合でもきっと良いプレーを見せてくれるはず。
それまで感謝の言葉はしばらくお預けです。
こうなったら元旦国立までプレーを続けて貰いたいものです。
そして今日、日本平へ行かれる方は私の分までノボリの勇姿を
見届けてやってください。(;´д⊂)
解説をしていた木村和司が「面白い!!」と絶叫してました。