前回の続き。
効率重視、ボタン一つで意のままになる(と勘違いしたくなる)ような世界に住んでいると、どうも待てなくなる。信号ひとつ待てなくなる。
せっかちで慌てることをみっともないとは感じない、むしろ急ぐこと、急がせることを正当な権利と主張するような風潮になってきた。でも、急ぐことで作った時間をどう使うの?
こんなことを考える時、いつも思い出すことがある。新幹線、リニアモーターカーによって移動時間が〇分時間が短縮されるというニュース。その短縮にどれだけの意味があるのか、いつも疑問に感じている。その余った時間で私たちは何をしている?余らせた時間でさらに金儲けをして、ゲームをして、時間を惜しんでスマホをいじるの?
今ふと思いついた。お金儲けの良いところは、生活に金銭的ゆとりが生まれるだけではない。自分と向き合わない正当な理由とみなされるし、孤独を感じなくても済むことだ。だから安易にお金もうけに走ってしまう…のではないか。人間賢くなるには、自分と向き合ったり、人を見たり、自然を味わう経験が必要だと思う。そんな大切な体験をせずに、余らせた時間をお金儲けやスマホに捧げるのは勿体ない。
私の話は、思いつくまま書き散らすのですぐ逸れる。書き出しは、花が土に慣れるのに時間がかかる話だった。
こんなに元気に咲いてくれた。萎れたようにうつむいた時、早々に諦めて抜かなくてよかった。私自身も失敗したり、不運が続いてうつむく事態になっても、早々に投げ出すのはやめよう。淡々と、黙々と生活していればまた花開くときがくる。絶対。