マスクのこと。
コロナ以前よりマスク星人だった私。冬は暖を取るため、春・秋は花粉のため、ノーメイクを隠すためと、いろんな意味で重宝してきた。マスクも白一辺倒ではなくなってきて、花柄や水玉など、家の端切れで作って楽しんでいた。そんなところにやってきたコロナウィルスの大流行。前ならマスクをしていると、風邪?花粉?と、いちいち尋ねられたものだった。それがマスク必須の世の中になった途端、何も聞かれなくなった。楽~。ただ、マスク圧が強すぎて、ちょっと、うっかり忘れると周囲の目が厳しい。バッグにマスクを常備するようになった。
楽~と喜んだのもつかの間、不織布マスクの価格は急騰するし、使用済みマスクのゴミがそこら中に落ちている。せめてごみ箱に捨てようよ、と思う。予防のためとはいえ、高価な使い捨てマスクを買い、どんどん捨てていく(それも道端に!)様子を眺めていると、何ともやりきれなくなる。必要な職種の人が使うのは理解できる。別にマスク自体を否定するつもりはない。私もしている。でも、心が痛むのは何故だろう。
ひとつに、不織布マスクという石油製品の使い捨てが気になっているんだと思う。これは100均のプラスティック商品にも通じることだけど、一回もしくはごく短期間だけの使用でゴミになるもの、そして自然に帰らないものを捨て続けるのは、苦しく感じる。私はこれまでどの位不織布マスクを捨ててきたんだろう、考えると怖い。
マスクを買う…この行為を、ひとつ遡って考えてみる。当然マスクを作る人がいるわけで、一時期なんて不足が叫ばれて、休む間もないほどにせっせと生産されていたことだと思う。同時期、トイレットペーパーやティッシュペーパーも、不足する不安から買い占めが起きた。50年位前の石油ショックみたい。人間って学習しないなと思った。買い占めなくてもいいような仕組みを、町内会や、ご近所で作ることを考えられないか…とも思った。まあ、買いだめができるほど豊かなのねって感じ。当時私のつれあい(だった人)も、自分用にトイレットペーパーを買い込んでいた。あーあ。
話を戻して、マスク生産者のこと。お金のために生産しているとはいえ、使い捨てられるものを意欲的に作り続けるのはしんどいのではないだろうか?どうせなら、生産物は大切に使って欲しいと思うのではないだろうか?私が作った料理が余って、もしくは傷んで、平然とゴミにされたら、私は悲しい。「使う人」という先に思いを馳せられたら、良いものを作ろう、喜んでもらおうと工夫したりして、働き甲斐があるというものだろうに。使い捨て前提の仕事って…。