今年も梅干しのシーズンになった。ベランダでジリジリ日にあぶられながら、梅を干している。子どもの頃は梅干しなんて嫌いだったのに、今では、ないと物足りなく思う。人の味覚は変わるもんだと驚いている。子どものころ食べられなかったのに、大人になってそのおいしさに目覚めるのは、よくあることだと思う。私は結構ある。レバー、銀杏、牡蠣、みそ汁などなど。
ここ最近、いろんなところで「(体調や体力など)齢を取って、いいことがない」的な愚痴や、もっと直接的に「齢をとって得することは何?」と聞かれたりするようになった。こういうところに自分の老いを感じる。なんだか齢をとって、ひとつも良いことがなく、諦めたり、足掻いてるように見える。確かに体が痛んだり体力が落ちたため、辛い思いをしたり、できたであろう体験を逃したりしているかもしれない。
けどね、さっきの例で言えば、おいしく感じられる味覚センサーが発達したから、好物の幅が広がった。舌が豊かになったんじゃないかな。
歳を経て得るもの、他にもある。例えば賢さ。難しい数学や語学は、今更ムリ!だけど、人との接し方、自分の怒りへの対処、モノのとらえ方…経験を積むと賢くなる気がする。まあ、経験によって頭が固まってしまい、頑固ちゃんにもなり得るけれど。
そもそも『齢をとって得』と考える時点で、どうかな。若さに対抗する何か得(徳じゃなくて)がないと許せないというのは、寂しい。
得か損かと言われたら、得の方が嬉しく感じるけれど、私たちは、得をするために生きているんじゃない。得をすることが人生の最終目標じゃない、ってことを忘れてる。世の中に溢れている『オトク』ワードに振り回されないように注意してる。その言葉によって自分を見失ってしまったら、それこそ人生の損失だと思うけれど、どうだろう?