ごみを捨てる話。
今どきは、商業施設はともかく、その他の場所ではごみ箱撤去の流れが起こっているように感じる。よく『家庭ごみのポイ捨て、お断り』のような文言がごみ箱に貼ってあったりする。貼らなければいけないほど、当たり前に家庭ごみを捨てていくのだろうか。マナーが悪いよ…なんて思う私は、古いのだろうか。
忘れ物を探しもせず、取りにも行かず、人に捨てさせることについて昨日書いたけれど、自分のゴミを人に押し付けるという意味では、根っこが同じ問題だと思う。自分ちで出したごみを人に捨てさせる、(商業施設から)給料をもらっているなら、ごみは片付けとけっていうことか?捨てて欲しければ、自分が給料を払って誰かを雇って欲しいもんだ。
ある人は、「子供が弁当を食べた後のゴミが捨てられなくって、困る」…だって。何が困るものか。持ち帰ればいいだけのこと。子ども云々って言っているけれど、捨てているのは大人本人だ。まだある。ここの商品を買っているのだから、それに付随するゴミ(弁当のラップや空き容器)は、施設が処分して当然??という『新・常識っぽいもの』だ。ごみ箱があれば、私も捨ててしまうが、本来それはお店の厚意であって、店の義務でも何でもない。ごみ箱がないと文句を言う筋合いのものではない気がする。でもまあ、そんなことお客に説教をする店はないもんね~。店が何も言わないからって、やっていいわけではない。
ゴミを持ち帰りたくなければ、弁当・水筒を持ち歩こう。うん、うん。
ごみや忘れ物に限らず、自分の始末はできるだけ自分でつけられるといい。人間ひとりですべてができるわけではない。助け合わなくては暮らせない、というのは承知している。でも、自分のできる範囲で自分の尻拭いは自分でできたほうが、恥ずかしくないと思う。自分が損にならないように、さらには、誰かに損をさせてでも得(利益)を獲ってやろうという浅ましさは、顔に出る。人付き合いに出る。
何かのため、誰かのために行動することを損だと言ってバカにするような人、相手を言いくるめて自分の思い通りにして得意がっている人、そんなのを価値と思うような『常識っぽいもの』には、馴染みたくないなあ。