最近、うっかり忘れものがとても増えた。どこかへ出かけては、帽子、傘、スマホ…置いて帰ってしまう。先日なんて3日連続で忘れ物をしてしまい、参った。そのたびに電話して、取りに行ってと、嫌になる。そもそも若いころから忘れっぽいのに、年齢が上がるにつれ、その度合いが増している。
なんとか忘れないよう、鞄にポケットを付けたりして工夫をするのだが、手から離した途端、持ち物たちは自由を求めて私の意識の外へフワフワ出て行ってしまう。そのたびに電話をかけて、確認して、連れ帰る。
ところである公共施設の話。その施設、利用者が多いためか、忘れものも多い。帽子や傘はもちろん、シャツ、靴下、キッチンタイマー、眼鏡や靴(!)まで。…靴?二足制ということもあるけれど、上履きで帰ったんだろうか?まさか裸足では帰らないよね?不思議だと思うけれど、月に2~3足は忘れられている。
新品に近いような、きれいなものも多い。私なんて10年使った傘でも取りに行くのに。
数カ月保管後、貴重品を除いて、忘れものたちは廃棄処分される。勿体ない。まだきれいで使えるのに。靴だってシャツだって、それを買いに行き、試着し、時間とお金をかけて手に入れたはずなのに、(最終ゴミになるのが分かっていても)それを簡単に手放してしまう、その心持がよく分からない。
金持ちなんだなー(棒読み)。
自分が良いと思い、気に入って買ったはずなのに、手元から離れるとそういう愛着とか、時間やお金をかけたその労力を忘れてしまうのだろうか?それ以前に、使える物を捨てるな~そんな奴は勿体ないオバケに食べられてしまえ~、と内心叫んでいる。せめてリサイクルショップに持って行って、使ってくれる人に引き継ぎたいと思うのだが、そうもいかないらしい。
時々『鉄道忘れ物市』なる催しを見掛けるけれど、ウチでもやりたーい!儲からなくていいから(本音は儲かった方がいいけれど)、使える物は誰かに使ってもらいたい。ごみ袋に忘れ物の山を片っ端からつっこんでいく時の罪悪感…胸が痛い。こういう仕事は嫌だな。
人は現金なもので、ビンボーになるとモノを大切にする。それは当然?いやいや、当然じゃないと思う。同じモノなのに、懐具合によって価値が変わるのはおかしいでしょ。持ち金によって物に対する態度が高慢になったり、丁寧になったりって、自分の価値観に筋が通っていないということ。つまりお金に価値観が振り回されているってことになる。もしくは価値がお金に依存してるってこと。お金は単なる数字であって、価値ではない…はず。
話が大げさになってきた。もっと簡単に言うと、面倒がらずに忘れ物をしたら探しましょう、取りに行きましょうってこと。大人たちのモノに対する態度を見て、子どもは学ぶ。責任や価値を。他人にごみ処理を押し付けて、無責任に次々買うのは慎みたいと思う。
それで思い出した。ごみは自分で持ち帰ろうって話。…という訳で、次はごみ捨ての話。