知り合いの先輩が、数学好き受験生愛読の月刊誌「大学への数学」に寄稿したと聞いていたので久々に購入。12月号。1200円。買ってた頃はもう少し安かった気もするが気のせいか。高校3年生と中学3年生かと思しき学生であふれている喫茶店に立ち寄り、そこに混ざって筆者も恐る恐る大数を開く。昔はこんなの解けたんだっけなとかいう発言は、今日も夜から高校生に勉強を教えなければならない都合上慎みたいところだが、本音はそんなところである。忘れたものは忘れたよ。数式を目で追うという作業も普段の医学部の学生生活に於いてほとんど要求されないので新鮮で意外に楽しい。高校の勉強というのは大学受験という忌々しき行事さえなければ結構楽しいものなのだと最近よく感じる。現代文とか日本史とか。しかしそんな呑気なことも言っていられず目の前にあるのは大学の試験。薬理、病理、疫学、神経解剖、あと数科目あった気がするが、科目名すらとっさには思い出せない現状に流石に危機感を覚える。あ、あとは医動物と分子なんちゃらだ。とはいえ、1200円がもったいないので今夜1問くらい解いてみようかな。医大生・たきいです。
TSUTAYAからの帰りにスーパーに寄ってみても、包丁を握らない予感がしたので試食のみかんを一房食べただけで何も買わずに店を出てきた。近くの郵便局が年賀状の出張販売をしている。中学生ぐらいのときからパソコンの扱いに慣れてきたこともあって、毎年凝った年賀状を作るのを楽しみにしていたが、まずは大学受験のおかげで年賀状作りから遠ざかり、大学に入ってからは同級生は全員同じ寮に住んでいるしわざわざ手紙を出す必要性を微塵も感じないのでなおさら年賀状から遠ざかっているわけである。
年賀状とは、普段顔を合わせない友人や知り合いと交換するのがしみじみとしてよいのだろうが、昨今はLINEだのfacebookだのtwitterだのいろいろあるので、遠方にいる友人とも「いつもつながっている」かのような気にさせられるのだ。先日他の大学の友だちのところに遊びに行った時も、実際はかなり久しぶりの再会だったのだが全くそんな気がしなくて驚いたものである。
しかし、手書きのコメントが寄せられた年賀状の良さというのもよくわかる。年賀状の世界に復帰するのは社会に出てから余裕が出てきた頃な気がするが、ついつい「年賀状だりー」とか言わない人間でありたいものだ。ネットでは送れない、手紙でしか遠くに送れない感情というものもあろう。
年賀状といえば、今年はウチの両親はプリンタの設定とかちゃんとできているかも少しは気になるが、おそらく我が家のことだからまだ年賀状を買っていないはず。そうに違いない。
(ウエンツさんのブログにあった“教訓(零)「受験勉強はあらゆる情報を断つことから」”が参考になった人(笑))
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