試験前だけどオヤジと飲んできたという昨日の流れを汲んだタイトルにしようか迷いましたが、とりあえず今日もお酒を飲みました(笑)。ただいま満員電車埋まるつり革、ぼくは臭いジジイの腕の中状態ですが、帰ってからもまた勉強しないといけないというのが試験前の医大生の宿命でございます。やばいよやばいよ。医大生•たきいです。
とある受験生がいたとして、少々だらけていたときに、その母親から
「アンタ受験生なんだから勉強しなさい」
と怒られるのはよくある光景だろう。極めて従順な子どもなら申し訳ございませんとでも言って、そのまま机に向かうのかもしれないが、天邪鬼な人間なら特にイラっとしてしまうのではないか。こは如何に。
そのひとつの理由には、「受験生」という単語の使用があげられると思う。その受験生だって、もちろん本来ナントカさんというお名前があるわけで、その人自身の人間というものがある。ところが、「受験生」というひとつの特性だけを切り取ってその人を矮小化してしまうことが、怒りに繋がるともいえよう。
ところが。受験生時代は親に「受験生だから勉強しなさい」と言われて不貞腐れていたような医大生でさえ、「医大生なんだから勉強しなさい」と言われた瞬間に背筋が伸びる。仮にそれから勉強しなかったとしても多かれ少なかれ良心には傷がつく。
医師について考えるとき、医師とは職業ではないということはしばしば説かれることだ。普通のサラリーマンなら背広を着ているときだけが仕事をしている時間と言ったら怒られてしまうのかもしれないが、少なくとも医師は四六時中「医師」でなければならないということだ。診察をしていないときだって、ましてや自宅にいるときだって主治医と患者という構図は変わらない。いつ電話がかかってくるかはわからない。他の業種と比べるといささか医師というのは変わった職業とも捉えられよう。
ならば、その医師を養成するのが大学医学部ないしは医科大学であり、医学だけではなく、医師としての嗜みやプロフェッショナルとしての自覚を医大生に持たせるという役割を医学部は担っているのかもしれない。とどのつまり、医者という職業自体がその人自身なのである。
「受験生」というのはある人の特性のひとつに過ぎないのだが、「医大生」というのはそれがその人そのものともとれる。だからぼくたちは「医大生なんだから」と言われてしまうと勉強するしかないわけである。誇りを持って然るべきなのかもしれないが、今はただ目の前の勉強が辛いというのが本音である。勉強だるい(笑)
(緑内障の家族歴が濃厚だから気をつけなさいと言われてもどう気をつければいいか分からない人(笑))
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