コンプレックスか…
人間というもの、まあほとんどの人がコンプレックスってものを持っていて、そのエネルギーで生きている人もおりますほど。
だからコンプレックス、そんなに悪いもんじゃありませんよ、と思いますが。
されどコンプレックス、人生に引きずっていくもんであります。
コンプレックスは、苦手の根源でもあります。
運動音痴なので、会社の運動会は応援団に徹して参加してる振りをする。
趣味のジョギングも道のりの半分以上はハァハァしながら歩く。ごまかしてる自分にガッカリ…
音楽の面でも歌音痴とくればカラオケは好きじゃないから誘われても「今日は用事があるから」と嘘付いて行かない。
行かねばならない付き合いのときは、ひたすらリクエストに徹し他人の歌に口づさみ、懸命に音の調節をしたり裏方に回る。
そして自分の存在を消す~疲れる~
苦労します、コンプレックス。
苦手よりコンプレックスは強烈です。同じ苦手を抱えてる人には親近感を感じたりしますが、同じコンプレックスを持っている人にそれを告白されたりすると、目を瞑りたくなります。
打ち消したくなります。遠のけたくなります。それくらいコンプレックスは強烈で、なかなか他人には語れませんね。
母は幼いときからずっと、身体が弱いということにコンプレックスを抱えておりました。
その娘の私はやけに健康な子どもでしたので、母はそれを誇りにしておりました。
身体の、痛い、辛い、苦しい、こういったコンプレックスはどうにも本人しか分かりません。
母は運動会の父母の催し物にも一切参加せず、あまり海やプールに一緒に行かれませんでした。行楽関係はほとんどダメ。だから子どもの私からすると、つまらないわけです。「なぜ?」と受入れられないわけです。子どもですからね。
今日また、そんな人に出会いました。身体が弱いことに悩み「根性がないと言われる」と押し黙っちゃいました。そうかそうか…と私。
健康でなければ根性は生えませんね。踏ん張れません。大人になった自分、その方の声を、やさしく受け止められました。で、母を思い出しましたわけです。
人生八十年と考える私にしても、今は健康ですが先のことは分かりません。健康であっても急に亡くなることも起き得るわけです。
それに比べれば、母は年中病院に通ってますので、何かあるとすぐ薬で治ってしまいます。大病もせず今月七十六歳を迎えて、来月には私と二人で銀座に遊びに行くのをとっても楽しみにしております。
いいじゃないですか。病弱が故の今です。人生は最期まで見ないと分かりません~
コンプレックスが故の今、誇れる今にしておきたいじゃないですか。
「運動音痴でもよし! スイミングでも習うか」と自分。
「歌音痴でもいい! 行くかカラオケ。歌うかカーペンターズ」
笑われても平気、バカにされても平気、辛くとも夢がある、まずはそんな自分を作ることが、一番のコンプレックス解決策かもしれませんねえ。
でもこれって、とても自力じゃ無理。そんなこと運命の神さまに頼んだりすると、大きなハプニング頂いちゃったりするんでしょうか…そんなんで乗り越えたりするんでしょうか…それもちょっとイヤですね…
コンプレックス VS 長所 といった対策で、まずは忘れよっかな。