入院中に兄が見舞いに訪れ暴言を吐いた。投薬の副作用で便秘になってしまい困っていると兄に告げると、そもそも便秘は女性に多く、それは女性が一般にケチであるからという説である。女性は男性と比べるとケチであるという。従ってケチが多い女性には便秘が多く見られるという発言だ。たしかに金遣いのあらい人や気前のいい人を思い浮かべると便秘の話題があがってないことにも思い当たる節がないとは言えない。しかし良く考えると、この場合の女性とは主婦を対象と考えてのコメントであるような気がする。一家の家計を任された主婦は、一般にではあるが、その責任上やたら気前よくお金を使う訳にはいかない。節約と呼ぶか、ケチと呼ぶかは人によって違ってくるだろう。平均的なサラリーマンの給与が年々減ってゆく時代である、毎月のやるくりは主婦にとって頭痛の種である。あれこれと買いたいものも我慢して節約せねば、生活がなりたたない。ケチにもなろうというものである。結果、精神的なストレスは想像を絶するものになる。この精神的なストレスが便秘という症状になって現れるのであれば、確かに便秘とケチ(節約)との相関関係は認められるのだろう。ただ兄の言葉には、女性を見下したような男尊女卑の時代錯誤てきなニュアンスと貧乏人はケチであるというような差別意識のようなものを感じてしまった。誤解だったのだろうか。ちなみに妻は一度も便秘をしたことがないのが自慢である。そしてどちらかと言うと、宵越しの金は持たないという江戸っ子並みの気風の良さで決してケチではない。そして、おこずかいの管理をしっかりとして無駄遣いをしない計画性のある息子は、トイレの滞在期間が長いようである。そして、普段からお腹をこわしやすく下痢が多い自分はと言えば、決して倹約家ではない。後先を考えずに金をつかってしまう部類に入る。まあ、このあたりは兄の暴言も全く外れてはいない。お金も、お腹のなかの物も溜め過ぎてはいけないということか。ほどほどに、自然に流れるのが良いということだろう。
1ヶ月と2日目になる明日5月17日で退院となる。長いようで、あっという間の入院生活であった。この間ほとんど病院の外にでることもなく建物の中で過ごしていたが、最初の2週間は点滴をしていたので、病院の廊下を動き回るしかなかったので我慢できた。しかし、点滴のパイプが外れ食事ができるようになると体力も次第に回復してきたこともあり、体を動かしたくなっていた。先週あたりから建物の外をあるくようになったが、病院内にこもっていると、まるで刑務所にでもいるような錯覚をおこしてしまう。違いといえば、恐らく健康体であるか病人であるだろう。
前立腺ガンの治療も順調なようで、足腰の痛みも気にならないほど軽くなっており担当医から退院の許可が出たのが先週の土曜日5月12日であった。それでは来週早々にでも退院しようと5月15日に退院することに決めた。ところが、日曜日の朝食から急に食欲がなくなり、わずかに食べただけで吐いてしまった。1週間近く続いた便秘のせいらしく、前日から便秘薬を飲んでいるのだが効果がないままに食欲不振になってしまった。その後便通もなく、昼食と夕食が食べられない状況が続いた。普通の便秘薬では役に立たないほど頑固な便秘症状であった。翌日の月曜日になり、朝食も食べられないので下剤を処方してもらったが、あまり効き目がなかったようであるが若干は便通があった。まだまだお腹が張った状態なので翌日の火曜日に浣腸を行い強制的に出すことになったが、下にたまっていた一部が出た程度で、まだ残っているという感じと胸部のムカつき感は消えることがなかった。夜になって便秘薬を2錠飲んで様子を見ることになったが、早朝5時半に目が覚めたときにも便意の兆候は見られなかった。薬の効き目がなかったのかと落胆しながらも朝食に手をつけ少量でも食べないといけないので無理をして口に入れた。2割程度はなんとか押し込んだものの無理して吐いてはいけないと、それ以上は諦めた。ところが30分もたたない内に下腹部に異変が起きた、なんと今まで冬眠していた大腸が眠りから覚めたかのようにゆっくりと動きだしたのである。12時間後の忘れた頃になってやっと薬がきいてきたのである。ただ出てきたものは流木のような硬そうな物体で、とても本来の姿ではない物体である、まだ先が長いと感じずにはいられなかった。ところがである、昼食のあとで同じ日に2回目の便意をもよおしてきたのである。しかも今度の排出物体は今まで排出されつづけた流木や陶器のような硬いものでなく、数週間ぶりの柔らかそうな物体であった。普段は何気なく流し去ってしまう物体をこれほど愛おしく感じ、感謝した瞬間は60年弱の人生において全くなかったかもしれない。単なる排泄物として扱っていた過去を反省した瞬間でもある。この排泄行為が毎日正常に行われてこそ、健康な体が保っていけるのである。服用している薬の副作用であるという説明は受けているものの、1週間に及ぶ便秘はかって経験がなく不安で軽い苦痛を伴うものであった。姉が特に心配をしたようで、昨日は病院を抜け出して他の病院で診察してもらおうと言いだす始末である。これに同調した兄からも電話があり、別の病院に転院させるから明日すぐに退院しろと言われてしまった。退院の通告とはいっても夕方の5時前後に明日の退院では病院側でも事務手続きがあるのに無理だろうと思い翌日の17日にするように兄を説得した。兄も姉も何をそれほど慌てているのか理解できなかった。
そして今朝になって病院側に明日の退院をお願いした。担当医から直接説明がなされたのは午後になってからであるが、退院には何ら問題なく2週間分の薬を出すので自宅療養をするように言われた。食事についても制限はなく、好きなものを食べて良いようであるし、普通に生活して大丈夫との事である。ホルモン療法による治療は順調で痛みも治まっていれば生活に支障はないようだ。明日の午前中に退院となる。今日はこの病院で過ごす最後の夜になる。便秘騒動で退院が2日伸びてしまったが、やっと病院生活から解放される。もちろん治療が終わったわけではないが、通院で治療を続けるのと入院しているのでは全く環境が異なる。
前立腺ガンの治療も順調なようで、足腰の痛みも気にならないほど軽くなっており担当医から退院の許可が出たのが先週の土曜日5月12日であった。それでは来週早々にでも退院しようと5月15日に退院することに決めた。ところが、日曜日の朝食から急に食欲がなくなり、わずかに食べただけで吐いてしまった。1週間近く続いた便秘のせいらしく、前日から便秘薬を飲んでいるのだが効果がないままに食欲不振になってしまった。その後便通もなく、昼食と夕食が食べられない状況が続いた。普通の便秘薬では役に立たないほど頑固な便秘症状であった。翌日の月曜日になり、朝食も食べられないので下剤を処方してもらったが、あまり効き目がなかったようであるが若干は便通があった。まだまだお腹が張った状態なので翌日の火曜日に浣腸を行い強制的に出すことになったが、下にたまっていた一部が出た程度で、まだ残っているという感じと胸部のムカつき感は消えることがなかった。夜になって便秘薬を2錠飲んで様子を見ることになったが、早朝5時半に目が覚めたときにも便意の兆候は見られなかった。薬の効き目がなかったのかと落胆しながらも朝食に手をつけ少量でも食べないといけないので無理をして口に入れた。2割程度はなんとか押し込んだものの無理して吐いてはいけないと、それ以上は諦めた。ところが30分もたたない内に下腹部に異変が起きた、なんと今まで冬眠していた大腸が眠りから覚めたかのようにゆっくりと動きだしたのである。12時間後の忘れた頃になってやっと薬がきいてきたのである。ただ出てきたものは流木のような硬そうな物体で、とても本来の姿ではない物体である、まだ先が長いと感じずにはいられなかった。ところがである、昼食のあとで同じ日に2回目の便意をもよおしてきたのである。しかも今度の排出物体は今まで排出されつづけた流木や陶器のような硬いものでなく、数週間ぶりの柔らかそうな物体であった。普段は何気なく流し去ってしまう物体をこれほど愛おしく感じ、感謝した瞬間は60年弱の人生において全くなかったかもしれない。単なる排泄物として扱っていた過去を反省した瞬間でもある。この排泄行為が毎日正常に行われてこそ、健康な体が保っていけるのである。服用している薬の副作用であるという説明は受けているものの、1週間に及ぶ便秘はかって経験がなく不安で軽い苦痛を伴うものであった。姉が特に心配をしたようで、昨日は病院を抜け出して他の病院で診察してもらおうと言いだす始末である。これに同調した兄からも電話があり、別の病院に転院させるから明日すぐに退院しろと言われてしまった。退院の通告とはいっても夕方の5時前後に明日の退院では病院側でも事務手続きがあるのに無理だろうと思い翌日の17日にするように兄を説得した。兄も姉も何をそれほど慌てているのか理解できなかった。
そして今朝になって病院側に明日の退院をお願いした。担当医から直接説明がなされたのは午後になってからであるが、退院には何ら問題なく2週間分の薬を出すので自宅療養をするように言われた。食事についても制限はなく、好きなものを食べて良いようであるし、普通に生活して大丈夫との事である。ホルモン療法による治療は順調で痛みも治まっていれば生活に支障はないようだ。明日の午前中に退院となる。今日はこの病院で過ごす最後の夜になる。便秘騒動で退院が2日伸びてしまったが、やっと病院生活から解放される。もちろん治療が終わったわけではないが、通院で治療を続けるのと入院しているのでは全く環境が異なる。
腰痛だと思い込んでいた坐骨の痛みが前立腺がんの転移によるものだと判明したのは入院してから16日目であった。翌日から前立腺がんの治療が開始された。ホルモン治療から次に抗がん剤を用いるという計画である。それまでは腫瘍の疑いはあったものの部位が特定できなかったので、県内の大学病院でペット検査とかいう腫瘍を特定する検査を5月2日に予定していた。4月25日に泌尿器科の担当医が触診検査をしたところ、前立腺が腫れているのが明らかなので前立腺生体検査を行うことになった。検査は27日に実施され右2か所、左2か所の計4か所から生体サンプルを採取するものであった。その結果が5月1日出たので、担当医から治療の方針について詳細な説明がなされた。
そもそも外来で通院していたのは外科で骨に異常があるのではないかと考えていた。腰の骨がずれたのか坐骨神経痛ではないかと整体師に見てもらったりしてはいたが、あまりの痛みにこの病院の外科で診察を受け、骨のレントゲンを十数枚撮ってもらったのが入院のきっかけとなった。最初の診察は3月の上旬であったと記憶する。老化による多少の骨変形はあるものの骨には異常がないと診断されてはいたが、一月後には再び痛みがひどくなり動けなくなってきた。しかたがないので、4月16日の月曜日に再びこの病院に来ることを決意して痛みをこらえながら自分で車を運転してきた。
ここ2カ月以内で体重が9キロ近く減ったことを告げると、消化器官の異常も考えられると内科医の診断を勧められた。その内科診療中に気分が悪くなり、貧血状態で緊急入院となって今日に至った。
最初は消化器系の病気かもしれないと胃カメラによる診断を入院3日目に行い、引き続き5日目に内視鏡による大腸検査を行ったが、胃腸に異常は見られなかった。消化器系の検査が終了したので6日目から食事をとれるようになった。点滴だけでは摂取できるカロリーにも限度がある、せいぜい数百キロカロリー程度らしいと聞いた。食事が始まると同時に痛み止めの投薬が開始された。それまでは骨の痛みで夜も眠れない日が続いていたので、少しは痛みが緩和されるのかと期待したのは言うまでもない。
4月24日のMRI検査により、ガンが骨に転移していることが明らかになったが、その時点では原因となったガンの位置が特定されていなかった。その後の前立腺検査により前立腺ガンと診断され治療の方針が決まったのである。その間、すでに3週間の時が流れていた。腰痛だと、ばかり思い込んでいたのが実はガンが原因だったのである。治療は始まったばかりである。
そもそも外来で通院していたのは外科で骨に異常があるのではないかと考えていた。腰の骨がずれたのか坐骨神経痛ではないかと整体師に見てもらったりしてはいたが、あまりの痛みにこの病院の外科で診察を受け、骨のレントゲンを十数枚撮ってもらったのが入院のきっかけとなった。最初の診察は3月の上旬であったと記憶する。老化による多少の骨変形はあるものの骨には異常がないと診断されてはいたが、一月後には再び痛みがひどくなり動けなくなってきた。しかたがないので、4月16日の月曜日に再びこの病院に来ることを決意して痛みをこらえながら自分で車を運転してきた。
ここ2カ月以内で体重が9キロ近く減ったことを告げると、消化器官の異常も考えられると内科医の診断を勧められた。その内科診療中に気分が悪くなり、貧血状態で緊急入院となって今日に至った。
最初は消化器系の病気かもしれないと胃カメラによる診断を入院3日目に行い、引き続き5日目に内視鏡による大腸検査を行ったが、胃腸に異常は見られなかった。消化器系の検査が終了したので6日目から食事をとれるようになった。点滴だけでは摂取できるカロリーにも限度がある、せいぜい数百キロカロリー程度らしいと聞いた。食事が始まると同時に痛み止めの投薬が開始された。それまでは骨の痛みで夜も眠れない日が続いていたので、少しは痛みが緩和されるのかと期待したのは言うまでもない。
4月24日のMRI検査により、ガンが骨に転移していることが明らかになったが、その時点では原因となったガンの位置が特定されていなかった。その後の前立腺検査により前立腺ガンと診断され治療の方針が決まったのである。その間、すでに3週間の時が流れていた。腰痛だと、ばかり思い込んでいたのが実はガンが原因だったのである。治療は始まったばかりである。
一時は痛みがおさまったように思えた腰痛も、しばらくすると再発してしまった。夜も眠れぬ激痛にたまりかねて3月22日は会社を休み外科で診てもらう決心をした。大きな病院は予約が必要かと思ったが、予約なしでも受け付けてもらえる病院があったので午前中に痛みをこらえながら車に乗り込んで出発。隣りの街にある病院は車で5分程度であったがアクセルを踏むのさえ苦痛であった。取りあえず骨に異常があるかどうかだけでも確かめたかった。10数枚も様々な角度から骨盤と周辺の間接を撮影を繰り返した。体や足の向きを強引に変えられての撮影で、動かされるたびに痛みが走る。レントゲン撮影が終了して再び診察室に戻ると写真を眺めながら担当医の説明が始まった。背骨が老化による変形をおこしていることを除けば、骨そのものに異常があるわけでもないとのこと。骨と骨をつないでいる接合部分、車のショックアブソーバーのような役割をしている部分に疲労が溜まっているせいで痛みが生じるらしい。疲れ切った体が悲鳴をあげているのが、今の痛みであると担当医は言った。必要なのは体を休めることらしい。痛み止めの薬も胃を荒らすし副作用が皆無という訳ではないので、我慢できるなら飲まない方が良いとのアドバイス。この担当医は薬を出さない主義のようである。薬漬けで、やたら薬をたくさん出したがる医者の多い昨今の医療界においては異端児的な存在である。もし、どうしても痛み止めが必要になったら、薬をもらいにくるとした。薬の代わりに腰バンドをもらい、使用法について説明を受けた。
さて、話変わって我が家には早めの桜が咲いた。3月21日は息子の合格発表だったのだが、あいにく個人用の携帯電話充電切れ状態で連絡がとれない状態が帰宅時まで続いた。帰宅して初めて国立大に合格したことを知らされた。10倍以上の倍率を聞いていたので、半分は諦めていた合格の知らせに正直驚かされた。私立大は既に合格が決まっていたので、さほど心配はしていなかったが学費のことを考えれば経済力の無い父親としては、国立大合格は嬉しい誤算となった。決して恵まれたとは言えない環境の中で2年間よく辛抱したものである。予備校に通わせるお金もなく、通信教育による自宅浪人という逆境の中を毎日計画的に勉強を続けた息子の努力に頭が下がる思いである。合格おめでとう。
さて、話変わって我が家には早めの桜が咲いた。3月21日は息子の合格発表だったのだが、あいにく個人用の携帯電話充電切れ状態で連絡がとれない状態が帰宅時まで続いた。帰宅して初めて国立大に合格したことを知らされた。10倍以上の倍率を聞いていたので、半分は諦めていた合格の知らせに正直驚かされた。私立大は既に合格が決まっていたので、さほど心配はしていなかったが学費のことを考えれば経済力の無い父親としては、国立大合格は嬉しい誤算となった。決して恵まれたとは言えない環境の中で2年間よく辛抱したものである。予備校に通わせるお金もなく、通信教育による自宅浪人という逆境の中を毎日計画的に勉強を続けた息子の努力に頭が下がる思いである。合格おめでとう。
2~3日前から骨盤に違和感を感じていたが、一昨日は激痛で殆ど眠らない一夜を過ごした。土曜日は整形外科か整骨院に診療に行こうと決めていたが勤務中に時間を割くこともできず夕方の6時を迎えた。幸いなことに職場に整体師の有資格者がおり、診療が可能なので早めに仕事を切り上げて同僚の手当てを受けることになった。診てもらうと骨盤が1.5センチほどズレているとのこと。早速診察台に乗ると、整体師が背中をものすごい勢いで押し始めると治療器具が体の下でガチャンと不気味な音を立てる。骨盤が元の位置に戻ったらしく、それまでの痛みが消えていた。骨盤がズレていた事による周辺の筋肉への負担があった為だろうか、今度は軽い筋肉痛を覚えた。しかし、それまでの痛みに比べれば全く問題にならない。たった10分足らずの治療で回復できるとは思ってもいなかった。半信半疑で同僚の誘いにのったのが功を奏した。感謝である。治療費も請求されず、あとで酒の1本でも持ってお礼に行かねばならない。
そして今日は日曜日と言うのに出勤である。自社部隊はパチンコ店の駐車場舗装に、協力会社2社が公共事業と自動車検査協会の舗装修繕工事に向かった。平日は8現場をかかえることもあるので、3現場は休日と言うこともあってか。貧乏暇なし、土建屋ひまなしで収入の少ない労働者は高給取りの2倍も3倍も働かなければならない日本格差社会の縮図とでも言いたくなる休日出勤である。働けど、働けど我が暮らし、、、、と現場作業員のため息が聞こえてきそうである。いそがしい、ああ忙しい、いそがしい。
昨日は国立2期の大学入試があり、我が家の受験生も早朝6時半過ぎには駅に向かった。もちろん出勤前に駅まで送るのは父親の役目であった。お陰で通常より相当早く会社に着いてしまった。7時前の出勤は暫くぶりであった。朝から雨で、あいにくの天気で受験生にとっては寒々とした一日であった。試験の結果にも多少の影響はあったかもしれない。試験で実力が発揮できるかどうかは、受験生の気分の持ち方で大きく変わってしまうだろうから。
そして今日は日曜日と言うのに出勤である。自社部隊はパチンコ店の駐車場舗装に、協力会社2社が公共事業と自動車検査協会の舗装修繕工事に向かった。平日は8現場をかかえることもあるので、3現場は休日と言うこともあってか。貧乏暇なし、土建屋ひまなしで収入の少ない労働者は高給取りの2倍も3倍も働かなければならない日本格差社会の縮図とでも言いたくなる休日出勤である。働けど、働けど我が暮らし、、、、と現場作業員のため息が聞こえてきそうである。いそがしい、ああ忙しい、いそがしい。
昨日は国立2期の大学入試があり、我が家の受験生も早朝6時半過ぎには駅に向かった。もちろん出勤前に駅まで送るのは父親の役目であった。お陰で通常より相当早く会社に着いてしまった。7時前の出勤は暫くぶりであった。朝から雨で、あいにくの天気で受験生にとっては寒々とした一日であった。試験の結果にも多少の影響はあったかもしれない。試験で実力が発揮できるかどうかは、受験生の気分の持ち方で大きく変わってしまうだろうから。