人には、必ず「生きる道」があります。
これを「人生」といいます。
「人生」は「人によって生きる」と書き、
そのひとりの人生は、
多くの人の人生に影響を与えています。
それを繋げていくと地球全体が1つの人生だといえます。
逆に言えば、1人の人生がみんなの人生を握っているのです。
そして、地球は一つの運命共同体を意味します。
それは、1つの真理で繋がっています。
その真理とは「因果律」"原因と結果の法則"です。
良い原因を作れば、良い結果が生まれる。
また、悪い原因を作れば、悪い結果になる。
また、自分で巻いた種は、必ず自分で刈り取る事になる。
「因果応報」「カルマの法則」いろんな言い方、捉え方があります。
そんなことは、だれでも知っていることです。
ですが、それは、自分に当てはまらないと思っている方が居られます。
それは、大きな間違いです。
人生こそ、この因果律がもっとも大きく作用するものです。
1人の創った原因が、何万、何百万という人を巻き込んだ
結果を生む事は歴史を見ても明らかです。
では、どんな原因をつくれば幸せが手に入るのでしょうか?
自分の"我"と呼ばれる、思考の物差しを捨て、
心に常に神を感じ、
その神の意図通りに生きる事ができればいいのです。
それは、神の物差しを持つということです。
が、神を感じる。神の意図通りと言われても
そう感じるものではないと思うかも知れません。
でも、人間は、その力を持っています。
なぜなら人間の魂は、元々神であったからです。
神が罪穢れを祓われた時、多くの神々が誕生しました。
その神々の末裔が我々人間なのです。
その罪穢れを祓わせようとする神の慈悲の場がこの現世です。
言い換えれば、現世は魂の修行の場であり、魂の霊格の向上を
目指し、魂の罪穢れを全て祓い、神として天界に帰る事が
目的です。そのためには、苦しい人生であって、決して
楽な道ではありません。
それで当たり前です。
山に修行に行かれたお坊さんが遊歩道を歩かれないのと一緒で
魂の修行者であるこの身は、楽であるはずが無いのです。
しかし、神様は、この身を案じ1度で全ての修行を
終らせようとはせず、何度かの人生に分けてくださりました。
それが輪廻転生です。
そして、その人生は、苦と楽が半分づつになるように
してくださっています。
が、人間という生き物は、苦しい事を誇大評価してしまう
生き物です。
本来、50%ずつの苦楽であっても、実際は、苦が70%、
楽が30%のように感じています。
また、苦と楽が交互に5%くらいずつ着た場合、
これも苦が多い人生と感じています。
しかし、それは、間違いなく、同じ分量です。
なぜ、苦を多く感じるかと言えば、その方が魂にとって、
良い修行になるからです。
例えば、もし、苦を軽く感じてしまうと、
魂は向上することをしません。
苦しくなければ、人間はなかなか気づけないのです。
現世で"気付き"というものが必要です。
苦を味わう事で人間は、たくさんの事を気づき、改め、
そして、自らの人格を向上させようとします。
人格が向上すると周りの方から
「あの人は、良い人だ。」
と誰からも慕われ、尊敬されます。
その方は、それに驕らず、謙虚に生きている事でしょう。
これが、現世での修行であり、目的の一つでもあります。
周りの方が認め、それを神も認めれば霊格は向上します。
私たちが目指すは、魂を神に帰すことです。
そのために、どう生きればいいのか。
もっと詳しく、現実的な説明が必要でしょう。
そこが一番、問題です。
To be continued