神よ、わたしを、
あなたの平和を実らせるために、用いてください。
わたしが、憎しみのあるところに、愛をもたらすことができるように、
また、争いのあるところに、和解を、
分裂のあるところに、一致を、
疑いのあるところに、真実を、
絶望のあるところに、希望を、
悲しみのあるところに、よろこびを、
暗闇のあるところに、光をもたらすことができるように、
助け、導いてください。
神よ、わたしに、
慰められることよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されることよりも、愛することを望ませてください。
わたしたちは、
自分を与えることによって、与えられ、
すすんでゆるすことによって、ゆるされ、
人のために死ぬことによって、永遠に生きることができるからです。
これは、マザーテレサがノーベル平和賞を受賞された時、スピーチで語られた聖フランシスコの祈りです。
人間は、悪い事をした人をどうしても打ってしまいます。
現実的に何もしていないにしろ、心の中で恨んだり、罵ったり。
それが落ち着いた状態では無いですよね。
あなたが人生で望んだ事は、そんな事ではないはずです。
相手を打ったり、罵ったりする事が望みで有れば、それはそれですが・・・
あなたが目指すものは、何ですか?
裏切られた事、怒号と罵声を浴びせられた事への怒りを持つ事が目標ですか?
もし、そんな現実があったとしてもそれは、あなたのカルマか、何か原因があるはずです。
その原因が分からない何かに時間を割く事があなたの望みではないはずです。
ならば、そんな事に時間をかけるより、自分の目的、目標を目指した方が賢明ですよね。
このブログでも何度も書きましたが今、起こっている出来事は、過去の結果であってそれをどうこうしようとしても無理な話。
それよりもこれから先、どう生きるかの方が大切です。
"すべてから手を離してください"と書きましたが、手を離すという事は、求めないという事。
何を求めないかというと"結果を求めない"事です。
今、自分の行いが間違っていないと思うのであれば、それを精一杯やってください。
ある人を愛しているなら思いっきり愛してあげてください。
結果は、必ず付いてきます。
それが正しいか間違っているかは、24時間365日一緒におられる守護霊様がどう見られるかです。
人間的に正しくても神様的に間違っている事があります。
また、神様的に正しくても人間的に間違っている事もあります。
結局、何が正しくて何が間違っているかは、判断が付かないのです。
その結果を気にしても仕方がないという事です。
ならば、自分が思う正しい行いをすればいいだけです。
ここで間違ってはいけないのは、自分と相手さえ幸せならばいいのかということです。
そうではないですよね。
自分がその行動を起こす事で、自分の好きな人も嫌いな人も、誰もが傷つかず、嫌な思いもしなければ良いのです。
嫌いな人だから傷つけても良いなんて事は、絶対にありません。
人の不幸の上に成り立つ幸せは、絶対にありませんからね。
人生で成功するには、自分の生きる目的をただ目指して頂ければ良いだけです。
起こる現実に一々反応していたら身体が持ちませんよ。
だからと言って人が大変な事になっておられるのにほっておけと言っているのではありません。
なぜ今、その現実を見せられるのか。
なぜ今、これが私の元へやってきたのか。
もっともっと大きな視野でその出来事を見てください。
そうするとそれが起こった原因が分かるはずです。
悪に染まる人も元々悪ではありません。
そうならなければならない原因があるはずです。
"悪を憎んで人を憎まず"
私たち人間は、人を裁けるほど進化はしていません。
自分が偉いのでも自分が正しいのでもありません。
やるべき事は、とても些細な事です。
自分がやりたい事を楽しんでやり続けるだけ。
それでみんなが幸せならそれで良いです。
決して誰かの不幸の上には立たないようにしてくださいね。
みんながみんなのために喜んで働ける世の中が来ると思います。
そんな世の中になった時、自分だけだとしんどいですよ。(笑)
皆様のお幸せを心より祈念致します。
※ご予約は
taoplanning@goo.jp
メール担当の晃氣(こうき)が対応させて頂きます。
※料金などのご説明は
Tao Planning Introduction(料金など)携帯