先日、聖書を何気に読んでいたら前のブログの答えが載っていました。
本当は、違う話を書いていたのですがこれを見て頂きたいと思い書かせて頂きます。
ルカによる福音書
第6章 28節~36節
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
こんなお話なのですが
そんなことできたら苦労しないと言われるかも知れませんね。
でも、やった事があれば、それは言わないでしょう。
プライドの高い方は、プライドがズタズタでしょうね(笑)
プライドっていうものが本当に必要なのかと言われれば、確かに必要ですが必要以上にプライドを持つ事は、必要ありません(笑)
じゃどこまでと言われそうですが、みんなが笑顔になるまでのプライドは、持ってほしいですが、誰かが涙するプライドや怒りを持つプライドは、要りません。
このルカの福音書の一部は、
「与えよ、さらば与えられん」
という言葉の解釈だと私は思います。
自分がどんな状況であれ、与える事だけを心掛け生きる。
こんな素晴らしい生き方ができれば、最高だと私は思います。
自分から何かを求めると奪い取る事になりかねません。
例えば、愛情。
誰かに愛情を求めると相手の方が愛情に飢えておられる場合、奪い取る事になります。
まず、与える事により相手は、愛情の器が満たされていきます。
この器がいっぱいになって溢れ出したら必然的に与えてくださるようになるかも知れません。
でも、その与えてくださる相手が自分とは、限りません。
他人に与えられても喜ぶべき事です。
2人で与え合ったって2人しか幸せになりませんが、他の方に与えさせて頂ければ、3人以上の方が幸せになりますよね。
これって楽しくないですか?(笑)
自分は、一人の方に渡しただけなのに多くの方々が幸せになっていかれるのです。
それを見ていると楽しくなりません?
そう思うのは、私だけですかね?(笑)
「人様の喜びを我が喜びとせよ」
師匠は、こう教えて下さいました。
その意味が今、理解できています。
毎日拝見させて頂く、皆様の笑顔が本当に嬉しくてもっと笑顔になって頂ければ、こんなうれしい事はないと思っています。
いろいろ書きましたが
あなたの心で描くものが原因となって、現実という結果が来るのです。
また、あなたの心が喜んでいるという原因があるから目の前に喜んでいる人々がいっぱいになるのです。
もちろん、あなたも喜んでおられるはずです。
皆様、今から良い原因だけを作る生き方をしませんか?
この国、この地球、この宇宙に対し感謝を持って生きましょう。
それが原因となって素晴らしい現実が現れるはずです。
皆様が日々笑顔でありますように。
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