その生き方でご家族、ご両親は、本当に幸せで安心して頂いていますか?
あなたの師の教えを今も守り続けていますか?
あなたの恩人に恩返し(自分が幸せになる事)は、ちゃんと出来ていますか?
今の自分は、驕(おご)っていませんか?
私は、好きな言葉があります。
それは、中国の四書五経のひとつ孟子の言語録『孟子』という本の告子章句上十六に
「修天爵而人爵従之」
天爵(てんしゃく)修めて而(しこう)して人爵(じんしゃく)之(これ)に従(したが)う
と書いてあります。
私が常に心の中に持っているものです。
孟子は、こう説いています。
孟子曰、有天爵者、有人爵者、
仁義忠信、樂善不倦、
此天爵也、公卿大夫、此人爵也、
古之人、脩其天爵、而人爵從之、
今之人、脩其天爵、以要人爵、
既得人爵、而棄其天爵、則惑之甚者也、
終亦必亡而已矣。
孟子は言う。
天爵というものがある。人爵というものがある。
仁・義・忠・信を伸ばし、そして楽しんで善を行なう。
これが、天から各人に与えられた徳としての天爵である。
一方、公、卿(大臣)、大夫(上級家老)の位が人爵である。
いにしえの人は天爵を修養して、人爵は後からついてきた。
今の人は人爵を得んがために天爵の修養に努めようとする。
そしていったん人爵を得たならば、もう天爵を棄てて顧みない。
これは何というひどい迷いか。
これでは結局滅びの道しかない。
孟子が生きておられたのは、紀元前372年~289年
そんな時代から人間は、人爵を求めていたのですね。
ちなみに
仁とは、思いやりや慈しみの心
義とは、人道に従うこと、道理にかなうこと。
忠とは、心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。
信とは、言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉を誠と受けて疑わないこと。
何でこんな話をするのかというと2011年の波動が「破壊」と「感謝」の2つの波が同時に来るからです。
破壊とは、壊れる事です。
必要なものは残り、必要ないものは、無くなると言う事です。
これは、企業でも団体でも個人にも起こりうることです。
これは、企業のトップや団体のトップが決めるのではありません。
これからの地球に必要か。これからの地球に不必要かを人間は、問われています。
壊れていくのに感謝する自分がいる。
そんなことが本当に起こりうるのだろうかと疑問に思う方もおられるでしょう。
でも、早い方には、すでに起こっていると思います。
今まで当たり前に有ったものが崩れて、自分の身の回りが整理され、生きやくなったり
毎日、毎日、ゴタゴタとしている中、人との繋がりがどんどん強固なものになったり
そんなことなどが起こっています。
天爵を求めると言う事は、地位や名誉に関係なく、自らが今、できる事を何でもやらせて頂くという姿勢と
自分に不都合な事が有ったとしても、自分の会社に不都合な事が有ったとしても
自分にできるから頼りにされているのだと喜んでやらせて頂く事。
嫌な出来事、受け入れがたい屈辱を受けたとしても
それは、自分の中に何かそうさせるものがあったとして、まず反省し、
心新たに前を向いて歩く事。
決して、人を責めたり、心を傷つけたりしないこと。
ましてや仕返しをして、人が苦しむ姿を笑って見ているなんて最低な事はお止め下さいね。
自分に地位や名誉があるならば、尚更。
その地位や名誉を持って人様に何がやらせて頂けるかと考える事。
そうする事で破壊の波の中にあっても感謝できる現実が来ます。
自然に起こるのは、破壊。
自分が起こすのが感謝です。
毎回のように書きますが、人がどうかより、自分は、どうしたいかが重要です。
あの人がこうしたから。
あの人がこう言ったから。
あの人がこうなったから。
私は、こんな事になったから許さない。
なんて、考えている方が居られるとするなら大きな間違いです。
では、その方が死ねと言われれば、そういう行動を取られれば、
あなたは、あっさり実行できるのですか?
あなたは、その方に自分の人生すべてを預けていたのですか?
いいえ。そうではないはずです。
この言い訳が出てきたらあなたは、自分が傷つきたくないだけです。
自分を傷つけないために人を傷つけて良いという法律はありません。
天爵とは、自分にも人にも思いやりと慈しみを持った行動をし、自分の心に嘘をつかず、人にも嘘をつかず、
例え、相手が嘘を言おうともそれが真実と信じて疑わない事。
ようは、自分の心の問題だと言う事です。
そうする事で人間がほしい、地位とか名誉とか財産とかというものは、勝手についてきます。
だって、自分の心も人様の心も大切にする生き方です。
地位や名誉、財産は、人間が作り出したものです。
解りやすく、神という言葉を使いますが、