先日、娘がお兄ちゃんの家に行きDisney+のアカウントを聴いて来た(無理矢理?)ので、我が家のテレビでも見れるようになり、MARVEL作品見放題で寝不足の良斗です!
今日も2時間しか寝てない^^;
「人は他人の為に何かをするために生まれてきている」
「人様に喜んで頂ける事をする」
これを利他愛や善行と言いますが、ここに付いて回るのが
「自己犠牲」という言葉。
これ、取り違えている方が多いんです。
「善行を行う為には、自己を犠牲にすべき!」ってね。
「そうするべき」と思ってやる事を「義務」というんです。
「やりたい事」と「やらなければならない事」は、全く別物。
「やりたいこと」をしてみんが喜んで頂けたら最高ですよね。
でもそれって相手が喜んで頂けないと無駄じゃん!って思います?
いえいえ、あなたの経験値は積まれているので無駄にはなりません。
えっ?欲で善行を行う人がいるって?
あ〜自分が褒められたいから良いことをするって話ね。
欲求がある事がダメなんじゃないよ。
善を行う人も最初は「人々に喜んで頂きたい」という欲求がある。それが当たり前になって自然に出来る様になるけど、心の奥底には「喜んで欲しい」という欲求がある。それでいいんです。
自己犠牲は、それを行う過程で起こってしまう現象のひとつ。重要なのは自己犠牲ではなく、人々が笑顔になる事です。
それに望まれない善もある。
良かれと思ってやっているのに疎ましく思われる。
これを「お節介」っていう。
人に何かをして文句が出るのは、相手が望まない事に自分を犠牲にしているから。
又は、善行にかこつけて人から何かを奪おうとしているから。
「もう!これだけやってあげてるのに!」ってね。
自分が喜びたいから人々を喜ばそうとしている証拠。
それでは、ちょと違うよね。
人々が喜んで頂いている姿を見て喜ぶのが正解だと私は思っています。
人から奪えば、奪われるし、与え合えば、与えられる。
誰もが分かっているのに間違ってしまう。
人は誰でも人からよく思われたいと思う欲求があります。
これを承認欲求と言います。
これはね、あって然りなんです。
人に認められたいのは、誰でお同じ。
心理学者アブラハム・マズローは「欲求の5階段」で説明しています。
※ネットで検索してみてねd( ̄  ̄)
他者から認められる事(他者承認)と自分を認める事(自己尊重)が含まれる。
つまりね。どっちも同時に行う事で本当の意味の善行って行えるのだと思います
自分も他人も犠牲にせず、互いに与え合う世界。
結果、みんなが笑顔で暮らせる世界。
これが私が目指す世界です!
皆様が笑顔でお幸せな今日であります様に!
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