Tao Planning-道

あなたは、この世界でとっても大切な人です。
なぜならあなたは、この世にたった一人しかいないから。
特別な存在です。

みんなは出来ていますか?part 2 "志"

2011年08月30日 00時57分27秒 | 良斗からの贈り物

前々回のお話の続きです。

競うなら他人ではなく、自分と競ってみませんか?

と書きましたが、どうやって競うかというと!

志(こころざし)を持つ事です。

ある方の守護霊様がおっしゃった事です。

主「あなたは、目標を持つ必要なありません。正!志を持ちなさい」

良「どんな志とお伝えさせて頂ければ良いでしょうか?」

主「今の自分より一歩前に出る事。今の自分を超える事です。」

良「ほ~ぉ!なるほど~ぉ!!」

志とは、心に思い決めた目的や目標の事ですが、目標や目的を『自分』に焦点を当てると人と競わなくて良くなりますよね。

今の自分より一歩前に出る事。

今日より明日。

明日より明後日。

今の自分を少し越える自分を目指す。

常に競う相手は、自分ですね。

そうなると周りの方々は、競争相手ではなくなるから人を恨んだり、妬んだりする事が無くなります。

常に自分との闘い。

面白いと思いませんか?

今の自分に対し、人に言いたい事をぶつけるのも自分に対する挑戦ですよね。

ですが、相手が自分だと頑張れない方もおられるかも知れませんね。

それは、自分に甘い証拠。

人を責める事は、出来ませんね。(笑)

それに人を競争対象としてみないので、その方が陰で支えてくださっている事にも気づく事ができ、要らぬ争いや憎しみを持たなくて済みます。

日々精進という言葉がありますが、日々そのことだけに心を集中して努力する事。

その事とは「今の自分を超える事」それをやり続ける事。

これが原因と結果でいうなら原因です。

イメージでいうなら常に上を向いて元気に進んでいる様子です。

これって、すごく楽しく面白い人生だと思いませんか?

え??今の自分がどんなレベルか解らない??

今の自分が常に最高レベルです。

その最高レベルを更新し続ければ良いだけです。

は?しんどい?

別に大きな目標を持てと言っている訳ではありませんよ。

例えば、マラソンなら今日は、3Km走ったから明日は、3.1Km走ろう。

営業マンなら昨日は、20件訪問したから今日は、21件訪問しよう。

とか、昨日は、30件に電話したから今日は、31件に電話しよう。

ちょっとでいいのです。

昨日より今日、今日より明日。

少しでも超える自分を創ろうとする事です。

今できる事を精一杯頑張って、笑顔になって明日は、もう少し笑顔になれるように頑張る。

それも思いっきり楽しんでね。

楽しみ方がわからない?

そうですか。

学生の頃、部活ってしていましたか?

私は、軟式テニスをしていました。

初めてラケットを握った時、思うように返せなかったのが、日々の練習で少しずつ思うように返せるようになりました。

3年の夏には、市内の大会で6位になれるまで上達していましたが今日は、30回ラリーが続いたから明日は、32回は、続けたい。
そんな思いで素振りをしていたりしました。

皆様だって、そんな小さな目標を持って練習に臨んでいたから成し遂げたものでしょう。

それと同じこと。

達成した時の喜びは、誰のためでもなく自分が喜べるものですよね。

『やる前から出来ないというな!!』と祖父に良く言われましたが、正しくそれ。

どうしても楽しめるか分からないならとりあえず、やってみましょうよ。

今日の自分が少し、怠け者さんなら明日は、ちょっと怠け者さんに、次の日は、怠け者さんに昇格していけば良いです。

その次の日には・・・あ・・・もういいですか・・・(^_^;)

ほんのちょっとだけ毎日進化していきましょうよ。

そのうち気が付いたらスーパーマンになっていますから。(笑)

皆様が笑顔でありますように(^-^)v
 

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教えから気づく

2011年08月28日 01時13分10秒 | 良斗からの贈り物

私は、子供の頃からおばあちゃん子でした。

その祖母は、5年ほど前に95歳で亡くなりましたが、その祖母から教わった事が今も心に刻まれています。

祖母は、とても信仰心の厚い方でした。

朝、日の出と同時に起床し、太陽に向かってお祈りをし、仏壇に座ってお経を読み、一日田畑で働き、日が暮れれば、帰ってきて食事をして、お仏壇にお経を読み就寝する。

これが毎日の祖母の姿でした。

幼い頃、祖父母が田畑に連れて行ってくれました。

季節季節の野菜や果物をいっぱい作ってくれていました。

そんな中で教わったことは、神の存在でした。

土にも水にも風にも太陽にも、それぞれ神様が存在し、その力が植物を育てる。

人間は、そのお手伝いをさせて頂いていて、その神々の恩恵で生活をさせて頂いている。

「お米を作るのは、人間ではなく、7柱の神様が創られるんだよ。土、水、風、太陽などの神様がね。だからご飯は、一粒も残しては、いけないよ。」

これが、祖母の教えのひとつでした。

怪我をして血が出た時は、道端に生えている「血止め草」という草を貼ってくれて

「これですぐに血が止まるよ」

って自然のものでいろいろな怪我や痛みを止めれる事も教えてくれました。

祖母の時代は、こんな風に自然と共存、共栄をしていたのだと思います。

現代文明の中で人間は、自然を支配したかのような生き方をし、それが当たり前かのように思っています。

山を切り開き、空気を汚し、便利さを求めるが故に忘れてしまった自然との共生。

この震災で私は、何かに気づかなければならないとずっと考えていました。

そう。祖母の教え。

私たちは、自然からの恩恵で生きている事。

人間は、自然を支配したのではなく、人間が汚した世界を自然が綺麗にしている事。

本当の愛は、心の中で存在するものではなく、体全体に存在し、人間も動物も草木も、地球も宇宙もこの愛という大きなエネルギーで繋がっている事。

もしかしたら祖母は、それを教えたかったのかも知れません。

私の守護霊が生きていた時にある山で修行をしていたそうです。

その山は、岩盤で出来ていて、登るのも降りるのも大変なところで、頂上に今でいうテントを張り、何日も修行した時に自分の存在と宇宙の存在は、1つである事に気づいたそうです。

それは、人間のいうひらめきではなく、体で感じる気づきだったそうです。

目に見えるすべてのものには、精霊が宿り、その精霊によって人間は、生かされている。

本当の安心、幸福は、物質的なものではなく、この地球や宇宙と一体になる事で得られる幸福感である。

この幸福感そのものが愛である。と。

なぜ、今になってこんな話をしてくれたのかは、良くわかりませんが、祖母の教えとシンクロする事が多く、そんな話をじっと聞き入っていたら朝方5時になっていました(笑)

余り、多くの書いても理解出来るものではありませんし、理解するものでもありません。

また、現代文明においてもそれを表現する言葉が存在していないと言います。

私がこの仕事を始めた頃、1ヶ月だけこの幸福感という大きな愛に包まれた時間を体験させてくれました。

毎日が本当に新鮮で会う人会う人がみんなが愛おしく、一日中楽しくて仕方がない。そんな感じの毎日でした。

「この感覚を忘れるでないぞ」

疑似体験が終了した時、大切な人にフラれたような感覚で、ずっとあのままで居たいと思いました。

祖母の教え、守護霊様の教え、震災の教え。

すべてが差すものは、人間は、もう一度、本当の原点に戻り自然と共に身も心も豊かな生活をするように言われている気がします。

今、目の前にあるすべては、奇跡であって偶然ではありません。

今、側に居てくださる方は、偶然ではなく、必然です。

そのすべてがあなた自身です。

意味変わらないですよね(^_^;)

今は、解らなくても大丈夫です。

そのうち、この意味が解る時がやってきます。

え?

結局何が言いたいのかって?

何が言いたい訳ではありません。

単に回想録だと思ってください(笑)

あっ・・・

前回の続き、早く書き上げますね(笑)


皆様が笑顔でありますように(^-^)v
 

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あなたは、出来ていますか?

2011年08月25日 01時55分12秒 | 良斗からの贈り物

暑い日が続いていたかと思うと、とっても涼しい夜があったり、体調を崩されておられる方も多いかと思いますが、如何お過ごしでしょうか?

超~久しぶりの更新です。

楽しみに待って頂いてる皆様、お待たせを致しました。

っていうか、どうもすみませんm(_ _)m

お盆休みを頂き実家の両親とご先祖様にお会いさせて頂きながらの~んびりしていたらちょっと??太ってしまった良斗です。(笑)

さて今日は、いつも私が守護霊様にお聞きしながら「あ~痛い・・・」と思う事を書かせて頂きます。

唐突ですが

「あなたは、自分が他人に言っている事を"自分は"、出来ていますか?」

例えば、

「あの人は、○○をしてくれない。」

「あの人は、何もしないのに文句ばっはり言っている」

「あの人は、決められた事も出来ないのか」

「何であんな事ばかりするんだ」

「うちの子、言う事を聞かなくて・・・」

「何でうちの子あんないい加減なのでしょう・・・」

「旦那が偉そうに言うようになちゃって、何様のつもりかしら」

なんて。(笑)

その他人に投げたその言葉、あなたは、出来ていますか?

そっくりそのまま、自分に還して見てください。

「自分は、○○しているか」

「自分は、ちゃんと出来ていて文句を言っていないか」

「自分は、決められた事を出来ているか」

「自分は、文句を言っていないか」

「自分は、人の言う事を聞いているか」

「自分は、いい加減ではないか」

「あなたは、他人に偉そうになっていないか」

そう投げかけてみると以外にも出来ていない事がありますよね。

私は、良くあります。(笑)

心の中ででも、文句を言っている時に

「自分は、出来ているのだろうか」

と、客観的に見た場合、出来ていない事が多いです(笑)

それが、悪いと言っているのではなく、自分のやるべき事をしっかりやってから人にいう方が、効果的です。

例えば、野球のできない人に

「お前の野球は、素人丸出しだな」

って、笑われたら腹が立ちますよね。

でも、プロの選手に

「やはり、素人ですね」

って笑われても

「ごもっとも」

と思います。

つまり、自分が出来ていないから相手から反感を買うのであって、自分が出来ている事に関しては、どんな意見であっても相手は、受け入れてくれます。

これは、私の実体験でもそうでした。

自分が出来てるからこそ、相手の心に届くのです。

人に文句を言う前に自分にその文句を投げかけてください。

それで、自分が確固たる自信と実績があるのであれば、遠慮なく言わせて頂けば良いです。

が、その自分が思う何もしない方は、本当に何もしないのかを見極める必要がありますね。

どういう意味かって?

もしかしたら、何もしていないように見えて、影であなたを支えてくださっているかも知れませんよ。

そうだったらその文句のせいでおられなくなった場合、困るのは、誰でしょうね?(笑)

どうせ、競うなら他人ではなく、自分と競ってみませんか?

どういう意味かって?

それは、次回のお話と言う事で。(笑)

PS:出来るだけ早くアップしますね(^_^;)

皆様が笑顔でありますように(^-^)v
 

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疑心暗鬼

2011年08月08日 01時33分06秒 | 良斗からの贈り物

皆様ご無沙汰をしております。

今、世の中の方々がぶつかっている問題は、思い通りに行かないと言う事ではないでしょうか。

それも迷宮のラビリンスの如く、出口が見えないのが現実。

自分の思いと他人の思いがシンクロせず、疑心暗鬼になってしまう。

さてこの疑心暗鬼。

これが何とも曲者だな~と思います。

疑心暗鬼ってどういう意味だかご存知ですか?

これ実は、中国の古典から来ているのです。

しかも本文ではなく、説符の注にあります。

正式には、

『疑心(ぎしん) 暗鬼(あんき)を生ず』

「疑心が起ると、ありもしない恐ろしい鬼の形が見えるように、何でもないことまで疑わしく恐ろしく感じる」(広辞苑)

 

『列子』説符第八

 ある男が斧をなくした。男は、隣の息子が盗んだのではないかと疑った。

隣の息子を観察してみると、歩きかたも顔いろ言動も、いかにも斧を盗んだように見える。

後に、男は自分の窪地を掘り起こしていたら、偶然、なくした斧が出てきた。

後日、また隣の息子を観察してみると、動作や態度に怪しい点はなくなっていた。

 

というものです。

人間の思考は、それほど感情に左右されるものだと言う事ですね。

でも、日常そういう事は、よくある事です。

疑う心が決して悪い事ではありませんが、疑い過ぎるのも問題です。

疑うなら人ではなく、自分の心を疑ってみては如何でしょうか?

執着を持つ自分が居たとしたら・・・

「私は、あの人に本当に執着しているのだろうか?

もしかしたら人では無く、出来事に拘っているだけかも・・・。

だとしたらその出来事が問題なのであって、あの人ではないな」

何てところに気づいたり

出来事に執着している場合

その出来事に拘る意味が解ってあっさり捨てる事ができたりします。

つまり、自分を見つめるひとつの材料として疑う心を持っているのは良いでしょう。

しかし、その疑心を人に向け出すと相手を鬼のように見てしまう事があります。

ですが、その出来事の真実がわかった時、その方が天使に見える場合もあります。

我が師は、表面的には、ひどい人に見える時もありますがその奥には、大きな大きな愛を持った方でした。

本当に他人が自分を傷つけるためにしているのか。

本当は、自分を救うためにあえて悪者になってくださっているのではないか。

それを見極めるのは、自分の心です。

奪い合うことではなく、与え合うことによって開かれる道というものがあります。

奪い合うと疑心暗鬼になり、与え合うと信じる心が芽生えてきます。

どうせ生きなければならない人生なら与え合ってみては、如何でしょうか。

皆様が笑顔でありますように(^-^)v
 

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