葵紋
葵はあおい科に属する多年生草本で、
葵紋はその葉と花を文様としたものです。
「丸に立葵」
家紋としての葵は、※「見聞諸家紋」に見え、
丹波船井郡の豪族西田氏からであるといわれています。
鬼瓦(御所鬼瓦)につくとこんな感じです。
「丸に三つ裏葵」
葵の紋は戦国時代になって、三河の松平(徳川)氏・本多氏らが家紋としました。
徳川家康(三つ葉葵)が将軍となるにおよんで . . . 本文を読む
丸なし五三の桐
今日は桐紋について。
桐の葉と花を形象化したものです。
桐の種類は多いのですが、その中の白桐と言われるものが紋章になりました。
聖王の出現を待ってあらわれる端鳥鳳凰のとまる嘉木
といわれ端祥的意義(縁起が良い)に基づく。
丸に五七の桐
平安・鎌倉時代、桐・竹・鳳凰一組の模様が天皇のみに用いられ、
黄櫨染(こうろぜん)の袍に織り込まれていたのが、
のちに桐だ . . . 本文を読む
窯の余熱で乾燥中の家紋。
今日は巴紋について。
巴紋は結構目にされることがあるのではないでしょうか?
アジア全土で古くからある文様で、その起源には諸説があるそうです。
その形から、水の渦巻く様子を抽象化した説、
ヘビがとぐろを巻いている形という説、
電光の走る様子を表している説、
勾玉の形という説…。
またその呼び名については、鞆(とも)という弓を射る際に
手首に付けた武具の形に似 . . . 本文を読む
今日は梅の紋について。
梅の花を図案化したもので、
梅鉢紋(幾何学的なもの)と
↓
丸に梅鉢
梅花紋(絵画的なもの)があります。
↓
三つ追い松葉に八重梅
隅立て井筒に梅の花
梅鉢紋と梅花紋とでは随分見た目の印象が変わります。
梅の花の文様は奈良時代に用いられていたと言われています。
高野山の赤不動像の裳に、梅鉢の文様が描かれているのが
最古のものと考えられている . . . 本文を読む
木瓜紋について。
窠(か)の紋ともいい、木瓜(ぼけ)の切り口とも呼ぶ。
御簾(みす)の帽額(もっこう)につけられた文様に対する呼び名。
奈良時代に衣服、車に文様として使われていて、
後に家紋として用いられるようになった。
保元の乱の当時の内大臣、徳大寺実能が
車文としていた事が、『大要抄』に記されている。
このような事から徳大寺氏の家紋とされたのが最初だそうです。
その後、 . . . 本文を読む
牡丹の花・葉・枝などを図案化したものです。
牡丹は金鳳花(きんぽうげ)科の植物で、落葉かん木。
鑑賞花木であり薬用ともなるそうです。
中国において唐代より観賞用として、冨貴の象徴とされていた。
わが国でも『蜻蛉日記』『平家物語』にこの記事があるそうです。
牡丹の文様は平安時代から衣服に好んで用いられている。
家紋としては、最初に近衛家が用いた。
初めは車紋とされていたが、華麗さや冨貴の意義 . . . 本文を読む
藤紋について。
藤の葉と花を図案化したもの。
藤はまめ科の植物で、「やまふじ」ともいいます。
延喜二年(902年)、醍醐天皇が藤花の宴を開いたとあり、
このような藤花を観賞する宴は、この花にちなんだ
藤原氏の栄華と共に盛んになり、『源氏物語』『栄華物語』をはじめ
小説、詩、和歌、日記などの記録に多く見られます。
そして、藤の花という美的な文様は『紫式部日記』『北野天神縁起』
などに表現されている . . . 本文を読む
菊紋について。
菊の花と葉を図案化したもの。
菊は古くから中国において観賞用とされていたそうです。
また、延命長寿の薬餌(やくじ)として毎年9月9日の
重陽の祝の菊酒などにも用いられています。
古くは延暦十六年(七九七年)、
桓武天皇が和歌をもって菊花を惜しんだ事が
古文書に記されているそうです。
この紋様は平安時代の流行紋様で、
衣服や甲冑によく用いられたといいます。
菊花紋は皇室の紋 . . . 本文を読む
橘紋について。
橘の葉・実を図案化したもの。
垂仁天皇の命を受けた多遅間毛理(たじまもり)が、
中国から持ち帰ったと言われているそうです。
薫り高いこの植物を伝来者の名にちなんで「多遅間花」とし、
これが訛って「たちばな」と言われるようになったと
伝えられているそうです。
「たじまはな」→「たじはな」→「たちばな」
橘は奈良時代から珍重されていたようで、
「古事記」にも記されているそうで . . . 本文を読む
桔梗紋について。
文字通り、桔梗を図案化したもの。
桔梗は藍色の美しい花を咲かせるききょう科の植物で
秋の七草の一つとして数えられています。
また、『神農本草経』にある漢方薬の主剤の一つとしても
知られているそうです。
『神農本草経』??
少し調べてみると、医神神農の名を冠した中国最古の薬物書で、
三六五種の薬品を収載しているそうです。
また、生薬の書として現代でもバイブル的存在だとか…。
. . . 本文を読む