カンヌのある映画批評家が、この若手監督を(もちろんよいしょで)ロベール・ブレッソンに例えていた。
なるほど、本作は出所後のラスコリーニコフを描いた『罪と罰』の後日談的お話であり、映画タイトルから察するに『善悪の彼岸』に書かれた道徳に対する批判的精神を映像化しようと試みた1本なのだろう。
浅野忠信演じる八坂は、殺人の罪で服役していたが、共犯者である利雄の名前を決してもらさなかったという一種“誇り”のような感情を抱いている。
自分は利雄との約束を守った義理堅い男だから、女とSEXして子供までもうけた利雄の家族に何をしても許されるはずたという二ヒリズム的思考の持ち主である。
利雄は利雄で八坂に負い目を感じていて、いきなり家庭生活に割り込んできた八坂が女房とできていたり、娘の蛍を不具にしたことに、心のどこかで安堵している(良心の疚しさを感じている)ことを妻の章江に告げるのだ。
プロテスタントである章江は、内心街工場の嫁という立場を疎ましく思っており、娘に自分の夢を押し付けている典型的自己愛マザー。八坂を見せかけの博愛主義で一旦は受け入れるが、狂暴さをみせた前科者に思わず本気の後ろ蹴りを見舞ってしまう。
いかにもカンヌ受けしそうなテーマではあるが、伏線の回収すらままならない技術的にまだまだ未熟な本作を見る限り、もうちょっと身の丈にあった映画を撮ることをおすすめしたい。でないと足が全く届いていない深淵で本当に溺れちゃうことになりますよ。
淵に立つ
監督 深田晃司(2016年)
[オススメ度 ]