最近のフランス映画は“対物性愛”花盛りである。おそらくジュリア・デュクルノーの『TITAN』がカンヌ映画祭でパルムドールをかっさらった影響だろう。『TITAN』の対象が“車”であったのに対し、本作の主人公が欲情する相手はなんと遊園地の遊具である。監督さん曰く、エッフェル塔に恋した女性の記事を新聞で読んで本作を着想した、なんてことをもっともらしく語っていたらしいが、映画化までこぎつけることができたのは間違いなくデュクルノーのおかげであろう。
『TITAN』は“対物性愛”と“環境破壊”を結びつけたなかなかユニークなシナリオだったが、本作のストーリーは少女コミックの域を脱していない稚拙な内容だ。要するに、主人公ジャンヌが恋する最新鋭遊具“ジャンボ”が一体何のメタファーになっているのかが問題なのだが、どうせ見る人もほとんどいないだろうからここでネタバレさせていただく。つまり、ジャンヌが産まれてすぐに家族を捨てて蒸発してしまった“父親”の分身なのである。
最後まで秘密にしておかなければなはないこのネタバレを、映画中盤でジャンヌ自らに「お父さんみたい」と語らせてしまったのは監督の致命的なミスと言わざるを得ない。『ラースとその彼女』のような、車椅子に乗ったラブドールが死んだ母親の分身であることを最後までぼかす演出をしないと味もそっけもなくなってしまうことに、この新人女流監督さんまったく気づいていないのだ。
母親に新しい男ができてから、ジャンヌの玩具もとい遊具愛がますます深まり、ジャンヌに何かとちょっかいを出してくる同じ年頃のがきんちょではなく、遊園地で働くかなり年上の上司と恋仲になったりするジャンヌを見るにつけ、ファザコンが高じて他人とうまく交われない内向的な性格になってしまったことがみえみえなのである。さらにいただけないのが、どう考えてもそれはないだろうというラストシーンである。
ジャンヌの母親と新しいオヤジフレンドとの結婚を、ジャンヌがジャンボの面前で認めるようなラストシーンにしていないがために、シナリオは完全に破綻をきたしているのである。『卒業』のラストシーンを無理やり真似てどうすんねん?と思わず突っ込みをいれたくなったくらいだ。しかし、劇中脱ぎまくっていたジャンヌを演じた女優さんの(フェミニズムにも抵触しそうな)意味のない露出がやたらと気になる1本であった。
恋する遊園地
監督 ゾーイ・ウィットック
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