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ベルリン映画祭で金熊賞に輝いたこともある映画監督セミフ・カプランオールは、トルコではヌリ・ビルゲ・ジェイランと並ぶニュートルコシネマの旗手として有名だ。元々寡作な監督さんでもあり商業的な路線にのりにくい作風の映画ばかりなので、アマプラはおろか通販サイトでDVDを入手することさえ難しい監督さんだという。そのカプランオールの最新作が東京国際映画祭でグランプリを獲得した因果だろうか、たまたまU-NEXTの無料キャンペーンで視聴することができたのである。
遺伝子組替や環境破壊の影響をうけて世界の農業が破滅的危機状態にあるのを目の当たりにして、「ここで手を上げなければ」と思って撮った作品がこの「グレイン(穀粒)」だという。近未来という時代設定には一応なってはいるが、本作に描かれている土壌汚染や種の絶滅は世界中ですでに起こっている出来事だと語っていたカプランオール。人口爆発が止まらない現在では、人間はもはや安価な食物モドキを食って生き延びることしかできない半ヒューマノイドになり下がっている、本作を見ているとそんな気さえしてくるのである。
汚染地帯を分け隔てているバリケードを通り抜けるシーンや、泉のほとりで眠りにつく主人公の科学者、その夢に登場する“燃える枯れ木”などは、すべてカプランオールが敬愛するタルコフスキーへのオマージュだという。チェルノブイリ原発事故を予期した作品ともいわれる『ストーカー』や、核兵器による世界の終末を叙情的にうたいあげた『サクリファイス』への言及は、テーマを一にする本作の静謐なモノクロ映像とともに観る者の心に何かを切々と訴えかけてくるのである。
(惑星ソラリスの“海”と通底する)“精神的な砂漠”で出会った(幻と思われる)科学者と共に旅を続ける主人公。生物などいるはずのない不毛の地に突如として現れる狼や人間の子供は、主人公の恐怖心や罪悪感が産み出した幻影なのだろうか。このマジック・リアリズモ的展開は、同郷の巨匠ジェイランゆずりの演出だ。そのジェイランゆかりのトルコ・アナトリア地方を中心に、ドイツの綿花農場やアメリカのデトロイトでもロケ撮が行われ、SF的世界観の中でワールドワイドな問題提起をする狙いがあったのではないか。
「人類は全て夢の中、目覚めるのは死ぬときだ」「宇宙は人間の中にある」汚染地帯で出会った科学者によって精神的な導きを受ける主人公の姿を見て、仏教の夢幻泡影や密教の曼陀羅世界を想起する日本人の方もいらっしゃることだろう。「息吹きか穀物か」将来的なSDGsを優先させるべきのか、それとも目の前の欲求(食料)を充足させるべきなのか。蟻の巣の中に希望を見出だした主人公の中では、きっともう答えが出ていたはずだ。
グレイン
監督 セミフ・カプランオール(2017年)
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