ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

沈黙

2007年12月17日 | 誰も逆らえない巨匠篇
ベルイマン作品中最難関。極端に少ないセリフ、まったく説明のない抽象的表現などは、アントニオーニ的であるといえなくもない。はたしてこの映画が、“神の沈黙”をテーマにしているかどうかも定かではなく、難解というよりあまりにも漠然とした内容にレヴューを書くのもためらわれる作品だ。

車窓から眺める戦車の群れ、言葉の通じない異国のホテル、不気味な小人劇団、荷台を引く腰骨の浮き出た痩せたロバ、夜中の戦車行軍、異常な暑さを感じる妹アナ(グンネル・リンドブロム)などが、はたして一体何を意味するのか。スクリーンへのシンボリックな登場のさせ方は、簡単に受け流すことができない何かのメタファーであることは間違いない。エステルを主イエスになぞらえ、アンをマグダラのマリアと重ねる強引な説もあるようだが、どうもしっくりこないのだ。

妹の奔放にあきらかな不快感をあらわにする翻訳家の姉エステル(イングリット・チューリン)。チェーンスモークにウィスキーのガブ飲みですっかり体調を崩し、はげしい吐き気を催し息もたえだえだ。そんなエステルが、まるで遺言のように妹アンの息子に託す“精神(ハジェク)”の言葉の真意がまた?である。「どんな主義、主張も過去の亡霊にはさからえない」父の死をなぞるように孤独のうちにエステルは心身ともに弱りはてていく。

この映画が製作された1963年は、ベトナム戦争がいよいよ激しさを増してきた年。本作品とこの不条理な戦争を結び付けるには、相当な想像力が必要とされるし、そもそも自分自身確信がもてない。しかし、イデオロギーを建前に泥沼の消耗戦となったベトナムでは、神は沈黙せざるをえなかったにちがいない。今まで社会問題をほとんど描くことのなかったベルイマンの、静かなる抗議の<精神>を感じることができる作品だ。

監督 イングマール・ベルイマン(1963年)
〔オススメ度 

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