TAZUKO多鶴子

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全ての本質を追求すること…それが芸術家だとTAZUKO多鶴子は思います!

2007-02-18 | TAZUKO多鶴子からの伝言
万能の天才と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチは皆様がご存知の通り、画家だけにとどまらず医学や科学の範囲まで追求している事は余りにも有名ですが、同じく万能の天才のゲーテも文学だけでなく画家でもあり、科学(ニュートンやゲーテの色彩理論は有名)も追求している事を、あまり多くは知られていない事かもしれません…。アインシュタインは先日のブログでもお伝えした通り、見る事や感じる事をとても重要としています。又、生物学者は、観察する為に自分自身でスケッチをします。
では、それは何故でしょうか…。物を理解し知る為には五感を必要としますが、特に視覚的力を必要とするからだと思います。(盲目の方は視覚脳の代わりに聴覚脳が幅広働く事は皆様ご存知だと思います。その中でも更に優れた方は鳥の声で種類や言葉を感じる事が出来たり、又更に凄いのは地方によって雨音が違う事が分かる方もいるそうですよ。)
物を深く見る事はどういうことなのか?…あるデッサンの本には次のような事が書いてあります。
「『見る』ということは、視力をもって眼底に対象をしっかりと確認することです。見る・観る・看る・視る・眺める・睨むなどの総意を含んだ意味に解すれば、私たちの『見る』という言葉の内意が了解できると思うのです。又、見ることと同時に心の中に作用する悟る意にも通じて、見て気づくこと、見てあきらかに知ること、見て迷いを去って真理を知ることにもなります。心理学にいう統覚という言葉は、見てすべてを了解することであり、対象を見て、外部から内部までの構造をみぬいて造形を見極めるということであります。直感によって内面的な深さを知り、量・質・均衡など、空間の位置と秩序を感じることです。『ものがみえる』人は造形の美を本格的に理解していることであり、『みえない』人は芸術の深いデッサンの意味の重要さがわからないといえるのです。見る瞬間の視覚に『見ること』の正しさを錬磨してゆくことが大切であると思います。」
これは、みて描くことは技術を高め上手になるということが目的でなく、みて描くことは観ることで理解し悟り真理を知ることに繋がること、つまり本質を追究する事が目的であるとご理解頂けると思います。
つまり、芸術家とは?
全ての本質を優れた感性で追い求めて追求し、そして悟り真理を知ることで、その答えをそれぞれの分野や技で表現する事が芸術家が成すべき仕事なのではないでしょうか。
ですから一般的な感性の方々が芸術家や絵画を好き嫌いで判断する単純な考え方では間違いが生じると考えます。
ただし!天才的な感性の人間は、それの範囲にありませんが!
(感性とはなにか?その答えもハッキリと理解出来ないと上記内容は掴みにくいかとは思います。)

『何時の時代も…芸術家とは!極めた感性で全ての本質を追究する為に、命を削って仕事をする人…TAZUKO多鶴子は今そこまで辿り着きました。いえ、そこまでしか辿り着いていません。まだまだ…これからなのですよ。』