TAZUKO多鶴子

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正岡子規から学ぶ…

2010-03-13 | TAZUKO多鶴子からの伝言
  『 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺  』 

    誰もが知っている 正岡子規の句である。 

  子規は、35歳の若さでこの世を去っている。
  雅号の「子規」とはホトトギスの異称で
  結核を病み喀血した自分自身を
  血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものである。
  
 『 糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな 』 辞世の句

   病床六尺、これが我が世界である。
  しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。
  子規が病床にあって書き続けた連載随筆「病床六尺」に、
  下記のこんな言葉が残されている。

 『 悟りといふ事は
   如何なる場合も平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで
   悟りといふ事は
   如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。 』



 正岡子規の死後
 親友『夏目漱石』が
 子規の死をロンドンで知り下記の句を書いた。

 『 手向くべき線香もなくて暮の秋 』

 『 きりぎりすの昔を忍び帰るべし 』

 死を目前にして激痛に耐え忍ぶ正岡子規の心は
 痛みの中にも関わらず
 それでもまだ生きている喜びを感じ
 悟りの意味に気付き
 平気で生きようと…
 
 それを句に遺したのではないだろうか。

 TAZUKO多鶴子は
 正岡子規から多くを学び…励まされます。