スペイン軍に斬首されたインカ帝国の皇帝『トゥパク・アマル』。
トゥパク・アマルの末裔と自称する『ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ』。
その皇帝が民を守る為にコンドルになって今も飛んでいる。
芸術を感じる上で文化とは何かを知ることは不可欠です。
インカ帝国はそれ故に私の魂を惹きつけます。
今日も『コンドルは飛んで行く』を聞く為にネットサーフィンしました。
そして
何とも言えない感動で時間が過ぎていきました。
先日制作中の油絵の下地がまだ乾いていないので
制作することが出来ず
今日はその為の再学習の一日になりました。
<ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ>
(Jos? Gabriel Condorcanqui Noguera、
1742年3月19日 - 1781年5月18日、またの名をトゥパク・アマル2世)
「農民よ、地主は二度とあなたの貧しさを食いものにはしない」
ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(Jos? Gabriel Condorcanqui Noguera、
1742年3月19日 - 1781年5月18日、またの名をトゥパク・アマル2世)
植民地時代ペルーにおける反乱事件の指導者の言葉である。
インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルの末裔と自称し、
植民地支配に対する反感を次第に募らせていった。
多くの先住民を苦しめてきた鉱山や織物工場の強制労働の廃止を主張して
各地の先住民を糾合したため、
この反乱はたちどころにアンデス地域全体を揺るがす
巨大な反乱へと発展した。
しかしティンタ郡の北サンガララーにて、
追撃してきたスペイン軍と交戦して壊滅し、
コンドルカンキはスペイン軍に捕らえられ1781年5月18日、
クスコにて馬に引かれて八つ裂きにされる刑で処刑された。
コンドルカンキの反乱は、5ヶ月で鎮圧されたが、
この反乱によってスペイン植民地政府の威信は大きく揺らぎ独立に至。
コンドルカンキの反乱は敗れたとはいえ
南米各国の独立に果たした役割は、決して小さくはない。
温かな田原様からのお手紙☆
いつもいつも忘れずいて下さり感謝で一杯です。
多忙な為お手紙書けずコメントで失礼致します。
また、落ち着いたら是非お会いしたいと思っています。
大変な毎日ですが頑張って下さいね(^ ^)
ではまたね☆