TAZUKO多鶴子

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『寒桜』が咲いていましたよ(^ ^)

2007-12-26 | TAZUKO多鶴子からの伝言
時々TAZUKO多鶴子は用事がある関係で
京都の桜で有名な『平野神社』の前を通るのです。
昨日も通ったのですが…何と!『寒桜』が咲いていたのです。
(ブログ写真の鳥居右側が寒桜ですが…見えにくいですよね…)
思わず可愛い美しさに笑顔がでましたよ(^ ^)
『寒桜』が咲いていた所には
『猿田彦社』と『出世導引・稲荷社』がありました。
それぞれお参りしましたよ(^ ^)これで良い事があるかな…?
…嫌な事ばかり続いてるので良い事があって欲しいのですよ。
まっ!打たれ強いので何があっても大丈夫ですがね!
頑張りま~す!
『猿田彦社』と『出世導引・稲荷社』の詳細は下記をご覧下さい。





<猿田彦社>
猿田彦神は古くから『知恵の神、子守りの神』として知られている。
また『猿の縫いくるみ』を奉納して祈願すると霊験あらたかであるとされている。

<出世導引・稲荷社>
稲荷神は後陽成天皇の勅許をもって
平野本社の復興大工事完成された西洞院時慶郷の神徳拝受以来、
特に『出世導引』の霊験有りとされ参拝の多いところである。
特に近年は出世の祈願の参拝者が多い。

天才画家『青木繁』…NO.2

2007-12-25 | TAZUKO多鶴子からの伝言

『青木繁』は私の人生を変えた一人です。
彼の絵との出会いと伝説に残るような生涯…人生。
画家として生きることがどれほど厳しく苦しく、
…それ故に芸術と呼ばれる作品が生まれ人々に感動を与えるのだと…。
私が画家の道に進む為に無くてはならない出会いでした。
画学生の頃私は
夜明けまで画友と『青木繁』の事で語り明かし、
涙し、討論したことが度々ありました。
それ程『青木繁』に引き込まれていたのです。
私の手元に青木繁の作品集と生涯を綴った本を何冊かは持っていますが、
今日はやはりウッキペディアの文章を書き込みました。
私の愛する天才画家『青木繁』の生涯…
下記を是非ご覧下さい。


青木 繁(あおき しげる、1882年7月13日 - 1911年3月25日)は、日本の明治期の洋画家。
『海の幸』の作者として知られる青木繁は、近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人である。若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した青木の生涯は半ば伝説化している。短命だったこともあって、残された作品の数は決して多くはなく、代表作『海の幸』を含め、多かれ少なかれ未完成の作品が多い。しかし、日本の古代神話などをモチーフにした浪漫的色彩の濃い画風は、西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。
青木は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吾の長男として生まれた。武士の系譜を引く父は厳格な人物で、息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」となじったという逸話が残っている。青木は同じ久留米生まれの洋画家坂本繁二郎とは同年で、両者は小学校の同級生でもあり、終生の親友でありライバルであった。同時代人の証言や青木自身による「自伝草稿」によれば、青木は歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようだ。青木は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。
青木は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。肺結核のため、麻布中学を中退。1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂本繁二郎らと群馬県の妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。これは無銭旅行に近い珍道中だったことが坂本の書簡などから窺えるが、青木はこの旅行中に多くの優れたスケッチを残している。1903年(明治36年)に白馬会8回展に出品した『神話画稿』は白馬会賞を受賞した。『古事記』を愛読していた青木の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。1904年(明治37年)夏、東京美術学校を卒業したばかりの青木は、坂本繁二郎や、画塾不同舎の生徒で青木の恋人でもあった福田たねらとともに千葉県南部の布良(めら)に滞在した。『海の幸』はこの時描かれたもので、画中人物のうちただ一人鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは福田たねだとされている。この前後が青木の短い絶頂期であった。以後の青木は、展覧会への入選もかなわず、私生活にも恵まれず、放浪のうちに短い生涯を終えたのである。
1905年(明治38年)8月、今の茨城県筑西市に滞在中、青木と福田たねとの間の子である幸彦(後の尺八奏者福田蘭堂)が誕生した。しかし、青木は福田たねとはついに正式には結婚しなかった。1907年(明治40年)8月、郷里の父の危篤の知らせを聞いた青木は単身帰郷、これが青木と福田たね・幸彦母子との永遠の別れとなった。画家としては「天才」と言われた青木であったが、父亡き後、一家を支えていく甲斐性は彼にはなく、1908年(明治41年)10月には郷里の家族とも別れて、天草、佐賀などを転々とする放浪生活に入った。放浪時代にも作画を続け、『月下滞船』(1908年)のような佳作もあるが、もはや画家としての青木のピークは過ぎていたようだ。心身ともに病んでいた青木は1911年(明治44年)3月、入院先の福岡市の病院で死去した。満28歳と8か月の若さであった。
友人の坂本繁二郎は、青木の死後、遺作展の開催や画集の発行に奔走。青木の死の翌年である1912年(明治45年)には東京上野と福岡で遺作展が開催され、その翌年には『青木繁画集』が発行されている。また、1948年(昭和23年)には青木の遺言にしたがい、筑紫平野を見渡す久留米市兜山(通称「けしけし山」)に青木繁の歌碑が建立された。除幕式には坂本のほか、元恋人の野尻たね(旧姓福田)、青木の遺児福田蘭童も出席した。


参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


今日はクリスマスイブです(^ ^)

2007-12-24 | TAZUKO多鶴子からの伝言

今日はクリスマスイブです。
猫までクリスマスムード(^ ^)
今頃様々な所でクリスマスパーティー等、
楽しまれている方も多いですよね~。
そして
京都の中はクリスマスムードと神社仏閣の文化が入り交じって
何だか不思議な感じです。
まっ!今日は難しい事は考えず
大好きなケーキでも食べて楽しみますね~(^ ^)


広島からのご注文の『心象油彩画』完成しましたよ(^ ^)

2007-12-23 | TAZUKO多鶴子からの伝言

紀伊國屋書店広島店のイベントがきっかけとなり
とても感性の豊かな方と知り合いになりました。
何度もブログでご紹介している西崎健次郎様です。
西崎様から昨年末に心象絵画(油彩画)をご注文頂いいていたのですが
一年近い時間をかけて
長い月日を費やし、やっと今日作品が完成しました。
勿論!西崎様にはその知らせを先程お電話で一番にお知らせしたのです。
とても楽しみに待っていらっしゃるようでした。
額注文等の件もある為、今年中には何とか広島まで送れそうです。
心を込めて一生懸命描いた作品だというのは間違いないので、
気に入って頂けれたら嬉しいのですが…。
西崎様!ご注文ありがとうございました。
また、絵のご注文だけで無く
『祈りのゆくえ』のTAZUKO多鶴子画集等も皆様にご紹介下さり
色々とご配慮頂き感謝で一杯です。
心ある温かな方に出会えて心から嬉しく感じています。
どうかこれからも温かく見守って応援してやって下さい!
宜しくお願い致します。
そして、くれぐれもお身体大切に頑張って下さいね(^ ^)
では、今年中には到着しますので今暫くお待ち下さい。


今回の件はまたまた
紀伊國屋書店高松店の坂谷嘉久店長に
お世話頂かなければならない事がありました。
手続き等の件で動いて下さるのですが、
いつもいつも紀伊國屋書店と坂谷店長には感謝するばかりです。
今回も面倒な事をお願いしたのですが
それにも関わらず快く動いて下さいました。
坂谷店長!本当にありがとうございました。
心からお礼を申し上げます。

尚、今回のご注文作品は
申し訳ありませんが心象絵画である為、作品写真はブログ公開出来ません。
心象絵画は貴重な為、
今の所は一部作品しか公開しておりませんので
皆様どうかご理解下さい。

『美研インターナショナルHP』にスイスで売却された『TAZUKO多鶴子の作品』が公開!

2007-12-22 | 『祈り・無限大』掛け軸シリーズ作品

ART INTERNATIONAL ZURICH 2007

【会期】2007年10月11日(木)~14日(日)
【会場】スイス チューリッヒ国際会議場
     (KONGRESSHAUS ZURICH)

2007年10月11日から14日まで、スイスのチューリッヒ国際会議場にて開催された
「アート・インターナショナル・チューリッヒ(ART INTERNATIONAL ZURICH)2007」に、
日本から出展作家にTAZUKO多鶴子が選ばれました。
更にその作品『祈り∞(無限大)』が売却されました。
この件は何度もブログでお知らせしてますよね。
その売却された作品『祈り∞』を今まで一度も写真公開していませんが
今日はその一部分だけを皆様に公開致します。
今回は一部分だけで申し訳ございません。
全ての公開は、大作等心象絵画公開の為の
個展等新企画を計画中ですので、それまでお待ち下さい。
尚、この作品の画材は特殊ですので
画材の詳細も現在の所公開出来ませんのでご了承下さい。

*お知らせ*
先程、美研インターナショナルのホームページを訪問した所
TAZUKO多鶴子のスイスで売却された作品が公開されていました。(^ ^)
是非!『美研インターナショナル』世界最高峰のアートフェア大国スイスまでご訪問下さいませ!