TAZUKO多鶴子

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奈良『飛鳥園・TAZUKO多鶴子個展』の準備で大忙し!

2008-11-19 | TAZUKO多鶴子からの伝言
来週の月曜日から開催される
奈良『飛鳥園・TAZUKO多鶴子個展』。
今日は
その準備で大忙しの一日になりそうです!
いらして頂けるお客様に
様々な形で楽しんで頂きたいと…
ですから結構大変な準備なのです。
でも、個展やイベントは
数多くの場数を踏んでいますから
以前よりは手早くなったように思いますよ(^ ^)
でも…でも…大変…。
さて~頑張るぞ~!



   <TAZUKO多鶴子『奈良』個展>

  会場:仏像写真ギャラリー『飛鳥園』

  場所:〒630-8213
     奈良県奈良市登大路町59
 
  会期:2008年11月24日(月)~30日(日)




哲学者『西田幾多郎』の『善の研究』より

2008-11-17 | TAZUKO多鶴子からの伝言



    美術家は

    能く自然を愛し、

    自然に一致し、

    自己を自然の中に

    没することに由りて

    甫て

    自然の真を

    看破し得るのである。



     …… 西田幾多郎 ……


参考資料:『善の研究』
     著者:西田幾多郎
     発行者:山口昭男
     発行所:(株)岩波書店


哲学者『西田幾多郎』の言葉

2008-11-15 | TAZUKO多鶴子からの伝言
    花が花の本性を現んじたる時

      最も美なるが如く、
 
   人間が人間の本性を現んじた時は

        美の頂上に

       達するのである。

      善は即ち美である。


    …… 西田幾多郎 ……


<西田幾多郎>
西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年6月17日(明治3年5月19日) - 1945年(昭和20年)6月7日)は、日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。
同郷の鈴木大拙(本名:貞太郎)、山本良吉、藤岡作太郎とは石川県専門学校(第四高等中学校の前身、のちの第四高等学校)以来の友人であり、西田、鈴木、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。
*経歴*
現在の石川県かほく市森(旧宇ノ気町森)に、西田得登(やすのり)、寅三(とさ)の長男として生まれる。西田家は江戸時代には十村(大庄屋)を務めた豪家だった。若い時は、肉親の死、学歴での差別(東京大学における選科への待遇)、妻との一度の離縁など、多くの苦難を味わった。そのためか、大学を出た後は故郷に戻って中学の教師となり、同時に思索に耽った。その頃の考えが温まって、最も著名な著書、『善の研究』(弘道館、1911年1月)に繋がった。同書は、旧制高等学校の生徒にとって必読書であった。
鎌倉にて、尿毒症により急逝。法名は曠然院明道寸心居士。
西田幾多郎が散策した琵琶湖疎水沿いの道は「哲学の道」と呼ばれ、日本の道百選にも選ばれている。
*思想*
彼の哲学体系は西田哲学と呼ばれたが、このように体系にその名が付けられるのは、日本の近代以降の哲学者の中では唯一と言って過言ではない。
郷里に近い国泰寺での参禅経験(居士号は寸心)と近代哲学を基礎に、仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした。その思索は禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論から、その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく自覚論、そして、その自覚など、意識の存在する場としての場の論理論、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される絶対矛盾的自己同一論へと展開していった。一方で、一見するだけでは年代的に思想が展開されているように見えながら、西田は最初期から最晩年まで同じ地点を様々な角度で眺めていた、と解釈する見方もあり、現在では研究者(特に禅関係)の間でかなり広く受け入れられている。
…………
論文『場所的論理と宗教的世界観』で西田は「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。」と記している。


参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


劇作家『ジョンソン』の言葉

2008-11-14 | TAZUKO多鶴子からの伝言


『 おしゃべりと雄弁はおなじではない。
      愚者はしゃべりまくるが賢者は話すだけだ。 』

            …… ジョンソン(劇作家)……




< ベン・ジョンソン(1617年)>
ベン・ジョンソン(Ben Jonson, 1572年6月11日 - 1637年8月6日)は、17世紀イギリスの劇作家・詩人で、シェイクスピアと同時代人。
1616年桂冠詩人になった。
彼はロンドンに生まれ、ウェストミンスター文法学校に学び、そこで古典についての学殖の基礎を身につけた。
代表作に「錬金術師」などがある。
シェイクスピアの追悼文を書いていることでも知られる。

「言葉は人を最もよく表す。だから何か言いたまえ、そうすれば君がわかるだろう」



参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』