連続大河ブログ 原付旅
レイラインポイントコンプリートの旅
名古屋編
イエス!家康!SKEの本拠地!栄の街と100m道路の巻
さて、前回はノリタケが世界のノリタケチャイナになったのは、家康公のおかげってお話でした。江戸時代!戦国時代を納め265年もの間、内戦も含め大きな戦争に関わらない平和な時代を送ることになります。世界中を見ても、こんなに長い間平和が続くって縄文時代以降なかったんじゃないですかね〜。歴史として記録が残っている文化圏では非常に稀だと思います。
イエス!家康!SKEの本拠地!栄の街と100m道路の巻
さてさて、今回は名古屋城から南へ三の丸の県庁やお役所街と外堀を超えた丸の内、錦、栄、大須あたりまでお話しです。
名古屋は道路が広いなんて良く言われますが、俗に言う「100m道路」が代表されます。100m道路とは今はミライタワーて名前の変わった旧名古屋テレビ塔!のある久屋大通公園の挟んだ南北を通る久屋大通と栄と大須の間を南北に通る若宮大通の2本のことです。その名の通り道路の幅が100m以上あるんです。
この道路の幅にも家康公が携わっています!家康公は名古屋を京都や大阪をも超える商業都市にしたかったので、京都でよくある商店のあり方で間口が狭く奥行きがある構造、俗に言う「町屋造り」!そうすることにより通りに沢山の店先が軒を連ねられるのです。京都や大阪では東西、または南北に商店の並びがありますが!名古屋は東西南北の通りに間口の狭い商店を連ねる形の街を作りました。丸の内、錦、栄の街は、その幅一辺100m x100mの碁盤の目のような、作りになりました。
そうです!勘の言い方は、もうお分かりでしょう!この一辺100mの街の一番東の街並みと一番南の街並みをそのまま道路にしたのが「100m道路」久屋大通と若宮大通なんです!
このおかげで、丸の内、錦界隈では間口が狭く奥にだだっ広い、ホテルや駐車場があるそうです。Googleマップで空から見ないとわかんないですけどね。江戸時代当時は中央は共同の生活空間だったみたいです。
さらにこの道幅のおかげで、歩行者は一回の青信号で渡りきれないんです!青になった途端F1グランプリのように猛ダッシュするか?わざとゆっくり渡るか?信号待ちの間に決めないといけません!そんな中でも、背中の曲がったおばあちゃんは、信号も見ずにもう赤信号だよ!ってタイミングで渡り始め、片側4車線の道路を封鎖しながら渡るシーンを幾度となく見ます。名古屋のドライバーは優しい!じっと待っててくださいます。たまにクラクションを鳴らすのは大抵、県外の車!信号が青なのに進まないのは進めない理由があるので、5〜10秒くらい待っててやってください♡
次回 イエス!家康!名古屋城で一番古い建造物!清洲櫓の巻
ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に…」
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