2014年8月24日。
《ここはバングラデシュの地方都市・ラジシャヒ郊外の片田舎。村の名前すら分からない。しかし、訳も分からず訪れたこの村で、そしてこの村の学校で、僕は「何か」を感じさせられた。》
「どこから来たんだい?そうか、日本か!」
「ラジシャヒで何をするんだい?特に大切な用事がないなら、ウチの村に来ないか?」
ダッカからラジシャヒに向かう列車の中で僕に話し掛けてきたおっちゃん。例によってメッチャ人懐っこく、お菓子をご馳走してくれるわ色んなことを教えてくれるわで、いつもの通りゆっくりさせてくれなかった(笑)。
そんなお誘いに乗ってしまった僕は、おっちゃんに言われるがままに乗り合いタクシーに乗り込んだ。ここはラジシャヒ駅。おっちゃんの村まではタクシーで30分くらいだという。
そして辿り着いたのがこの村。
そう、そこはまさに「村」!
な~んもないやないかぃ!
おっちゃんは広い畑を持っているらしく、自慢げに「あとで俺の畑を案内するよ!」と言っていた。そしてまず、村の中を案内してくれたのだが・・・。
そこがまた凄かった!人々の注目度がハンパじゃない!み~んなこっちをガン見してくるし、道を歩けば行列ができ、止まれば人垣が出来る。ダッカでもそうだったが、ここはより田舎なだけに人々の注目度はさらに高い。
そりゃそうだ、ここは観光客などまず訪れない村。外国人が来るなんて、そりゃ珍しくてしょうがないのであろう。
しかしそれにしても、本当にバングラデシュ人は優しい。家では食べきれないほどの食事をご馳走してくれたし、案の定「ホテルの予約はしてないんだろ?だったら今夜はウチに泊まっていけ!」となってしまった。ま、そりゃもう遠慮なくホームステイいちゃいますけどね(笑)!
これほどまでに何もない村も久し振りだ。
こういう中を歩いていると、色んなことを考えさせられる。
生きるということそのものを、そして今の自分とこれからの自分の生き方を。
パッと見は何もない。ただの田舎の村だけど、そこにある「愛」というか「絆」というか、そういうものはハンパなく感じる。
何もないけど「何か」がある。こういう場所に来ると、それだけで魂に響く「何か」の学びがある。僕はいつも、そんな感覚に襲われる。
それが「村」だ。だから僕は、村が大好きだ。
僕はおっちゃんに頼んで、地元の学校にも足を運ばせてもらった。そこで僕は、驚くべき様子を目にした。
学校そのものは綺麗ではないし、教室も狭くて汚い。黒板もチョークも「本当に書けるの?」と、疑いたくなるくらいのボロさである。
イスラム圏の学校らしく、教室は男女が完全に分けられている。いくつか男女が同じ教室で学んでいるクラスもあったが、座席は完全に区分されていた。
そして、僕は教室で学ぶ子ども達の様子に本当に驚かされた。
校長先生の紹介で僕が教室に入る。すると、誰かが合図をしたわけでもないのに、全員が一斉にビシッと起立して、僕を迎えてくれたのだ。それはまるで軍隊のように正確で、一糸乱れぬ動きだった。
さらにそれは、1つだけの教室ではなかった。どの教室でも、みんな一斉に起立をして僕を迎えてくれる。その際、先生が何かの指示をしたわけではない。その規律の高さに、僕は驚かされた。
僕は世界中の学校を訪問してきたけど、これほどまでに礼儀正しく僕を迎えてくれた学校は初めてだ。なんと気持ちのいいことか、僕は純粋に感動した。
そして考えた。教育の在り方って何なのだろうって。
今日本でしきりに叫ばれているのは、新しい教育の形。そのイメージは、どうも北欧などの教育先進国と言われている国をイメージしたようなものがほとんどのような気がする。
確かにヨーロッパの国々には、新しくて斬新な取り組みをしている学校は多い。僕もオランダで「ピースフル・スクール」という新しい教育システムを実践している学校を視察してきたが、そこには大きな学びがあった。
それと比べると、間違いなく日本の学校は旧態依然としている。それは事実だろう。だけど、果たしてその全てが良くないものなのであろうか。僕はバングラデシュの学校を見ていて、その点を考えさせられた。
この村の学校は確かに古くて設備も何もない。それはそうなのだけど、目を見張るほどの「規律」と「熱意」があった。教え方は先生からの一方通行の講義形式であり、正直そこには工夫はないのかもしれない。いや、現実的に言えば工夫を施すほどの余裕などないと言った方が的確であろう。
だけど、子ども達の「眼」はハンパじゃなく「熱意」に満ちている。学びたいんだ!という想いがひしひしと伝わってくる。そしてみんな姿勢よく席に座り、本当にしっかりとした態度で授業を聞いていた。
「とても良い学校だな。」僕は純粋にそう思った。
でも、オランダの学校を見たときも同じように思った。
そしてさらに言えば、日本の学校を思い出してみても、僕は同じように思うのである。
つまり僕は何を言いたいのか?それは「全部それぞれに良さがあるじゃないか!」ということ。
オランダの学びの形は素晴らしかったけど、規律の面で言ったらきっとバングラデシュや日本の方が優れている。だけど、例えば創造性教育のような見地から見れば、間違いなくオランダの方が優れているであろう。
日本に帰ってきて再び学校に関わるようになり、そして今回バングラデシュの学校を訪れる機会を得られたことで、僕の中でまた不思議な想いが生まれてしまった。
日本の学校にはたくさんの問題点がある。それはそうなのだけど、良い点だってある。それはそれで素直に認めていいと僕は思うんだ。その上で、良くない点は改善をし、また海外の新しいシステムも取り入れていけばいいと思う。
人間と同じだ。国と同じだ。どの国の学校にも必ず良い点も悪い点もある。良い点は良い点で認め、悪い点も悪い点も素直に認め、そこから改善をしていけばいい。
「バングラデシュは発展途上国だから・・・」などと、先入観で絶対に下に見てはいけない。そこには必ず大きな学びがある。それとは逆に「ヨーロッパは教育先進国だから・・・」などと、先入観でヨーロッパの全てが良いものであるかのように見ることもまたいけない。すると、きっと大事なものを見落とす。
おっちゃんの自宅で夕食をいただき、素晴らしい一室を遣わせていただいた。
こんなに優しい人々がいる国、バングラデシュ。そこにある教育にも、また大きな「優しさ」と「学び」があった。
この日の夜、僕は悟った。いかに自分が何も分かっちゃいないかを。そして、僕は死ぬまで学び続けなくてはいけない存在であるのかということを・・・。
2014年8月24日。虫の音が心地よく響き渡る、埼玉の自室にて。
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《ここはバングラデシュの地方都市・ラジシャヒ郊外の片田舎。村の名前すら分からない。しかし、訳も分からず訪れたこの村で、そしてこの村の学校で、僕は「何か」を感じさせられた。》
「どこから来たんだい?そうか、日本か!」
「ラジシャヒで何をするんだい?特に大切な用事がないなら、ウチの村に来ないか?」
ダッカからラジシャヒに向かう列車の中で僕に話し掛けてきたおっちゃん。例によってメッチャ人懐っこく、お菓子をご馳走してくれるわ色んなことを教えてくれるわで、いつもの通りゆっくりさせてくれなかった(笑)。
そんなお誘いに乗ってしまった僕は、おっちゃんに言われるがままに乗り合いタクシーに乗り込んだ。ここはラジシャヒ駅。おっちゃんの村まではタクシーで30分くらいだという。
そして辿り着いたのがこの村。
そう、そこはまさに「村」!
な~んもないやないかぃ!
おっちゃんは広い畑を持っているらしく、自慢げに「あとで俺の畑を案内するよ!」と言っていた。そしてまず、村の中を案内してくれたのだが・・・。
そこがまた凄かった!人々の注目度がハンパじゃない!み~んなこっちをガン見してくるし、道を歩けば行列ができ、止まれば人垣が出来る。ダッカでもそうだったが、ここはより田舎なだけに人々の注目度はさらに高い。
そりゃそうだ、ここは観光客などまず訪れない村。外国人が来るなんて、そりゃ珍しくてしょうがないのであろう。
しかしそれにしても、本当にバングラデシュ人は優しい。家では食べきれないほどの食事をご馳走してくれたし、案の定「ホテルの予約はしてないんだろ?だったら今夜はウチに泊まっていけ!」となってしまった。ま、そりゃもう遠慮なくホームステイいちゃいますけどね(笑)!
これほどまでに何もない村も久し振りだ。
こういう中を歩いていると、色んなことを考えさせられる。
生きるということそのものを、そして今の自分とこれからの自分の生き方を。
パッと見は何もない。ただの田舎の村だけど、そこにある「愛」というか「絆」というか、そういうものはハンパなく感じる。
何もないけど「何か」がある。こういう場所に来ると、それだけで魂に響く「何か」の学びがある。僕はいつも、そんな感覚に襲われる。
それが「村」だ。だから僕は、村が大好きだ。
僕はおっちゃんに頼んで、地元の学校にも足を運ばせてもらった。そこで僕は、驚くべき様子を目にした。
学校そのものは綺麗ではないし、教室も狭くて汚い。黒板もチョークも「本当に書けるの?」と、疑いたくなるくらいのボロさである。
イスラム圏の学校らしく、教室は男女が完全に分けられている。いくつか男女が同じ教室で学んでいるクラスもあったが、座席は完全に区分されていた。
そして、僕は教室で学ぶ子ども達の様子に本当に驚かされた。
校長先生の紹介で僕が教室に入る。すると、誰かが合図をしたわけでもないのに、全員が一斉にビシッと起立して、僕を迎えてくれたのだ。それはまるで軍隊のように正確で、一糸乱れぬ動きだった。
さらにそれは、1つだけの教室ではなかった。どの教室でも、みんな一斉に起立をして僕を迎えてくれる。その際、先生が何かの指示をしたわけではない。その規律の高さに、僕は驚かされた。
僕は世界中の学校を訪問してきたけど、これほどまでに礼儀正しく僕を迎えてくれた学校は初めてだ。なんと気持ちのいいことか、僕は純粋に感動した。
そして考えた。教育の在り方って何なのだろうって。
今日本でしきりに叫ばれているのは、新しい教育の形。そのイメージは、どうも北欧などの教育先進国と言われている国をイメージしたようなものがほとんどのような気がする。
確かにヨーロッパの国々には、新しくて斬新な取り組みをしている学校は多い。僕もオランダで「ピースフル・スクール」という新しい教育システムを実践している学校を視察してきたが、そこには大きな学びがあった。
それと比べると、間違いなく日本の学校は旧態依然としている。それは事実だろう。だけど、果たしてその全てが良くないものなのであろうか。僕はバングラデシュの学校を見ていて、その点を考えさせられた。
この村の学校は確かに古くて設備も何もない。それはそうなのだけど、目を見張るほどの「規律」と「熱意」があった。教え方は先生からの一方通行の講義形式であり、正直そこには工夫はないのかもしれない。いや、現実的に言えば工夫を施すほどの余裕などないと言った方が的確であろう。
だけど、子ども達の「眼」はハンパじゃなく「熱意」に満ちている。学びたいんだ!という想いがひしひしと伝わってくる。そしてみんな姿勢よく席に座り、本当にしっかりとした態度で授業を聞いていた。
「とても良い学校だな。」僕は純粋にそう思った。
でも、オランダの学校を見たときも同じように思った。
そしてさらに言えば、日本の学校を思い出してみても、僕は同じように思うのである。
つまり僕は何を言いたいのか?それは「全部それぞれに良さがあるじゃないか!」ということ。
オランダの学びの形は素晴らしかったけど、規律の面で言ったらきっとバングラデシュや日本の方が優れている。だけど、例えば創造性教育のような見地から見れば、間違いなくオランダの方が優れているであろう。
日本に帰ってきて再び学校に関わるようになり、そして今回バングラデシュの学校を訪れる機会を得られたことで、僕の中でまた不思議な想いが生まれてしまった。
日本の学校にはたくさんの問題点がある。それはそうなのだけど、良い点だってある。それはそれで素直に認めていいと僕は思うんだ。その上で、良くない点は改善をし、また海外の新しいシステムも取り入れていけばいいと思う。
人間と同じだ。国と同じだ。どの国の学校にも必ず良い点も悪い点もある。良い点は良い点で認め、悪い点も悪い点も素直に認め、そこから改善をしていけばいい。
「バングラデシュは発展途上国だから・・・」などと、先入観で絶対に下に見てはいけない。そこには必ず大きな学びがある。それとは逆に「ヨーロッパは教育先進国だから・・・」などと、先入観でヨーロッパの全てが良いものであるかのように見ることもまたいけない。すると、きっと大事なものを見落とす。
おっちゃんの自宅で夕食をいただき、素晴らしい一室を遣わせていただいた。
こんなに優しい人々がいる国、バングラデシュ。そこにある教育にも、また大きな「優しさ」と「学び」があった。
この日の夜、僕は悟った。いかに自分が何も分かっちゃいないかを。そして、僕は死ぬまで学び続けなくてはいけない存在であるのかということを・・・。
2014年8月24日。虫の音が心地よく響き渡る、埼玉の自室にて。
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