世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『空』の教え。「世界はバラバラなんかじゃない。」】

2014-01-31 05:11:49 | 日記
2014年1月30日。

《世界は繋がっている。世界はバラバラなんかじゃない。そのことを「空」が僕に教えてくれる。》

ここはスワジランドのエズルウィニ渓谷。ふと空を見上げてみる。


空って青いんだよなぁ。

そんなこと常識だ。当たり前の話だ。

でも、世界中のどこで見ても「空が青い」って、なんか不思議だ。


そんな人種でも民族でもどんな宗教を信じていても、みんな「青い空」を見ている。

「blus sky」ってのは、世界共通なわけだ。

当たり前だよね、そんなの。当たり前なんだけど・・・

なんだかすごく「神秘」を僕は感じる。


太陽だってそうだ。

今僕が見ている「夕日」は、どこかでは「朝日」なのだ。


どこかでは1日の終わりだけど、どこかでは1日の始まりなのだ。


僕たちは、みんな同じ太陽を見ている。同じ太陽のもので生きている。

それって凄いよなぁ。当たり前なんだけど、凄く「神秘」を感じる。

僕たちを「生かせてくれているもの」なんて、みんな同じなのだ。


星だって同じだ。世界中のみんなが同じ「星座」を見ている。

月だって同じだ。世界中のみんな同じ「うさぎさん」」を見ている。


空を見ていると、僕は感じる。

「世界はバラバラなんかじゃない。」

僕たちは、みんな繋がっている。僕たちは、みんな同じ「神秘」の下で生きている。


僕たちは、みんな同じなのだ。


それなのに、世界中どこに行っても「人」は争い、殺し合う。

なんて愚かなのだろう。なんと「人」は愚かなのだ。


世界中の「人」がみんな太陽の力の下に生き、

同じ青空から元気をもらい、

綺麗なお月様と星空を言葉を無くしながら眺めている。



一緒なんだ、僕ら「人間」なんて。

繋がっているんだ、この「空」の下で。


そんなことをちょっと考えてみるだけで、世界は平和に近づけるような気がしてくる。

そんなことをちょっと考えてみるだけで、隣の人に優しくできるような気がしてくる。


同じなんだよな、ちょっと肌の色が違うだけで。

同じなんだよな、ちょっと信じている神様が違うだけで。

この「空」の下じゃ、僕らはみんな一緒なのだ。


だから僕は思う、きっと「人」はもっとみんな仲良く、平和になれるって。

だって、みんな根本は一緒なんだから。


「空」を見て、僕は願う。


世界人類が平和になりますように・・・。


2014年1月30日。小雨が降り続く生憎の天気のダーバンの安宿にて。



世界一周 ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 モザンビーク恐怖の警察!『バスターミナル事変』勃発!】

2014-01-29 03:42:58 | 日記
2014年1月28日。

《ここが事件の現場となったバスターミナル。今日僕は、衝撃の現場に遭遇してしまった。》

ここはモザンビークの首都・マプト。時間は午前7時。僕は次なる目的地・スワジランドに向かうため、朝早くから市内のバスターミナルに来ていた。

バスターミナルと言っても小さなローカルターミナルで、大型のバスが来るわけではなくミニバスのみ発着の小さなターミナルだ。

ここではいつもの光景が繰り広げられていた。わさわさと集まって来る人々と物売り。なんてことはない、いつもの「アフリカのバスターミナル」の光景がそこにはあった。


マプトからスワジランドへの国境まではミニバスで約2時間。あっという間の距離だ。僕はサクサクとバスの席を陣取り、バスの発車を待っていた。

アフリカのバスはほとんどが時間発車ではなく、「満員発車」だ。つまり、人が集まって満席にならないと、何時間経ってもバスは出ないのだ。と言ってもそんなことは有り得ないので、ある程度待てばもちろんバスは発車する。

いつもの待ち時間だ。僕はいつもと同じように過ごしていた。行き交う人々、断っても断ってもやって来る物売り、「ニーハオ!」と叫んでくるおっさん。それはいつものバスターミナルの喧騒だった。


このままバスは何事もなく発車するものだと僕は思っていた。しかし、この後驚愕の事件が起きる。


ふと誰かが何かを叫んだ。ポルトガル語だし、僕にはさっぱり分からない。しかしかなりの叫びっぷりだ。

すると突然、物売りの人々が慌てふためいた。それも尋常な慌て方ではない。「蜘蛛の子を散らす」とはまさにこのことだ。何故だかもちろん理由は分からない。しかし物売りの人々は、猛ダッシュであちこちに散らばり始めた。


そして間髪入れずに1台の車がバスターミナルになだれ込んできた。凄い勢いだ。

その車とは・・・なんと警察!そして数人の警官が勢いよく飛び降りてきた。

「な、なんだ?何か事件でもあったのか?」僕は思った。

あまりの事態の進展の早さに、もはや僕は為す術がない。乗る予定のミニバスのドアに寄りかかりながら、激しく動くその様子を眺めるしかなかった。


逃げ惑う物売りの人々と追いかける警察。一体何があったというのだ?

ほとんどの物売りはあっという間に逃げ去って行った。10人近くいたであろう物売りであるが、その逃げ足は凄かった。あっという間に全員が散っていった。


と思ったのだが、違った。1人の物売りだけ、警察に捕まってしまった。

40歳くらいの男性だろうか。「ああ、1人捕まっちゃったのか・・・」と思ったのも束の間・・・!


信じられない事態が起きた。

なんと、警官たちはその彼を警棒でボコボコに殴り始めたのだ!突然の惨事に僕は頭がついていかず、眺めているしかなかった。

周りの人たちも特に止めるわけでもない。いや、止められるわけがないであろう、相手は警官だ。ただただその様子を見守るしかなかった。

時間にして何分であっただろう、長い時間ではなかった。3~4人の警官がひとしきり彼を殴ったところで、警官の手は止まった。その隙をついて、物売りの彼は走って逃げて行った。

逃げる彼を追うでもなく、警官たちはその場を去って行った。あれは一体なんだったのだろう・・・?


僕は近くにいた英語が話せるおじさんに事情を聞いてみた。すると、

「バスターミナルの中でものを売るのは違法なんだ。だからたまに警官がやって来るんだよ。」

と教えてくれた。

なるほど、モザンビークでは一応違法行為なのか。しかしそんなの当たり前のように行われているじゃないか。なんで今さら、しかも1人だけ殴るだけ殴っておいてそのまま放置するだけだし、どういうことなんだ?こんなのは日常茶飯事なのか?

と、彼に聞いてみた。すると、

「ああ、たまに捕まる人がいるね。捕まるとああして殴られる。警察はクレイジーだよ・・・。」

と、力弱く答えてくれた。


ケニアでは、もし誰かが街中で犯罪を犯してその場で捕まったとすると、警官だけでなく民間人も含めてみんなでリンチをするという。下手するとそれは死ぬまで続き、私刑が死刑になってしまうというのだ。

僕がモザンビークで見た衝撃の光景。それは「死刑」になるほどのものではなかったが、明らかに異常な事態だった。この国ではこんなことが日常茶飯事だといのだろうか。僕は言い知れぬ恐怖を感じた。


いわゆる発展途上国と呼ばれている国の多くは、ハッキリ言って警察など信用できない。何だかんだとイチャモンを付けてきて金を騙し取ろうとしてきたり、犯人と結び付いて犯罪に手を貸したりなんてことは当たり前だ。聞いた話だが、そんな中でもモザンビークはかなり「信用できない警察」の国らしい。

頭の中ではそういうことは分かっている。これまでいくつもの「発展途上国」を訪れてきた。しかし目の前で実際に起きた警察の暴挙に、僕は頭の整理ができなかった。


数十分後、何事もなかったかのように国境行きのバスは出発した。しかし僕の頭からは、あの殴られてるシーンが離れなかった。せめてもの救いは、彼が走って逃げられるくらいの暴行だったことだ。足を滑らせながら必死で逃げる彼の姿を、僕は一生忘れることはできないだろう。

強烈な印象を最後に残し、僕は次の国・スワジランドへと足を踏み入れた。


2014年1月28日。美しい緑の大地が広がる、スワジランドのエズルウィ二渓谷の安宿にて。



世界一周 ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!



【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『バカをやれ!』トーフビーチ1人千本突き大会!】

2014-01-26 19:21:56 | 自論
2014年1月26日。

ふと思った。

「最近バカしてないなぁ。」

ビーチに来ると、何かバカをしたくなる。

ブラジルでは「友達100人プロジェクト」を実施、ベネズエラでは「1人ハーフマラソン大会」を決行した。

ここはモザンビーク、目の前には綺麗なビーチが広がっている。

「何かやってやりたいなぁ。日本人がまだ誰もやったことがないような『バカ』を・・・。」

午前7時、外は大雨。風も強い。ビーチと言っても最悪の状況だ。くあ~、こりゃひどい天気だね。まるで修行に来ているようだ。

ん?修行?

「そうだ、修行をしよう!久しぶりに空手がしたいって言ってたじゃないか、俺!」

ということで・・・開催決定!


第1回『モザンビーク・トーフビーチ』1人千本突き&千本蹴り選手権大会!

大会委員長:俺。

審判長:俺。

選手:俺のみ!


競技内容:海に向かってひたすらに千突きと千本蹴りをする!たった1人で!そんだけ(笑)!

大会の趣旨:何でもいいから、これまで日本人がやったことないバカをやる!たぶんトーフビーチで千本突きと千本蹴りをやったバカ野郎はこれまでにいないはず。たぶん俺が「世界初」だ!

大会期日:2014年1月26日(日)、午前7時30分。(現地時間)

会場:トーフビーチの真ん中らへんにあった、遺跡のような岩の上。ここでひたすら千本突いて蹴る!


『大会結果報告』

①最悪の雨と風の中、心が折れそうになりながらも何とか実施!しかし途中でハンパない雷が鳴り出し、さすがに身の危険を感じたので、千本蹴りは中止に・・・。

最悪の雨と風の中、誰もビーチには訪れず・・・。ギャラリーもいない中、1人悲しく千本突いてやりました。

③蹴りは中止になってしまったが、トーフビーチで1人気合いを入れて千本突いたのは日本人で、いや、全世界の人を含めて、きっと俺が初めてだろう。だから藤本君の優勝!おめでとう、君がチャンピオンだ!


『感想』

①途中で退散というのもあったけど、なんか虚しかった。イマイチ達成感に欠けたのは何でだろう・・・。

②あ~でも面白かった!やっぱり何でもやってみるもんだね!

③大会後に飲んだビールは美味かった!ビールを美味くするためにやったようなもんだね(笑)。まぁでもそれでもいいか!


『最後に大会委員長より一言』

日本の若い衆よ、「バカじゃないの?」と周りが思うようなことこそやってみよう!やっぱりバカは見るもんじゃない、やってみるもんだ!以上、ありがとうございました!おい藤本、風邪ひくなよ!

2014年1月26日。無料Wi-Fiが使えることを発見した、トーフビーチにあるダイビングハウスのレセプション前にて。






【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『民度論』どっちが上?アフリカ人VS日本人!】

2014-01-26 17:42:35 | 日記
2014年1月25日。

《近隣諸国との問題が大きく取り上げられている昨今、民度という言葉をよく聞くようになった。東日本大震災時の日本人の態度をはじめとして、日本人は民度が高いと報道されているように見受けられるが、果たしてどうなのか。ちょっとアフリカ人と日本人を比較して考えてみたい。》

民度。

最近よく聞くこの言葉だが、僕はあまり好きではない。

ことに日本人は民度が高いと報道されているような気がする。それが真実かどうかは別として、日本人自身もまた自分たちは民度が高いと思っている人が多いのではないだろうか。

え~と、実はですね、僕もそう思ってます(笑)。と言っても、何を以て「民度が高い」と言えるのか?というのは甚だ疑問ではありますが、世界の他国の人々と比べても良い国民だよな~と、僕は感じております。

が、しかし!仮に日本人の民度が高かったとしても、全てにおいて無条件に良いと言えるのだろうか。そこでちょっと今回は『アフリカ人VS日本人』ということで、ふじもん流民度対決を実施してみたいと思います!


第1回民度対決:どっちの方が民度が高い?アフリカ人VS日本人!

ではまずは、「アフリカ人の民度って低いなぁ」と、僕が勝手に感じた瞬間の紹介から・・・。


アフリカ人の民度が低いなぁと思う瞬間①~「待つ」という作業~

アフリカ人って、落ち着いて「待つ」ことができないんですよね。並んでいてもちょっと隙間があると平気で割り込んでくるし、バスなどに乗るときも順番を待たず我先にと乗り込んでくる。ちょっと譲ってしまうと、今度はいつまで経っても自分が乗れない事態に陥ってしまうのだ。

日本人はそういうことはないですよね。しっかり「待つ」ことができる。これに関しては、日本人の勝ち!だと僕は思います!


アフリカ人の民度が低いなぁと思う瞬間②~お店での対応~

日本人の接客態度の素晴らしさは世界的に評価されているが、アフリカ人の接客態度はなかなかのものです。何人お客さんが待っていようが関係なし!のらりくらりと作業をするし、プライベートな電話も平気でしてしまうし、メールをしながらのお客様対応なんて当たり前。お釣りだって投げて返すし、平気で舌打ちもする。これ、けっこうイラつくんですよね・・・!

こういう点での日本人の素晴らしさは本当に凄いと思います。上で書いたことと真逆のことを日本人のお店ではしてくれますよね。本当に気持ちがいい。ということで、これも日本の勝ち!


アフリカ人の民度が低いなぁと思う瞬間③~異なる人種の人に対して叫ぶ愚かさ~

これについては以前のブログにも書いておりますが、正直不快なのと同時に、どうしてそういうことができるのかが疑問です。

まぁ中国人だと決めつけられて叫ばれるのが不快だという側面も大きいのですが(笑)、でももし仮に「ジャパニーズ!」とか「こんにちは!」と言われていたとしても、あんなにいちいち言われていたら、それはやっぱり不快だ。そしてどうして大の大人がそんな行動をしているのか。不快さよりも疑問の方が大きいかもしれない。

さらに言うなら、そうやって叫ぶのはアジア人に対してだけなんですよね。白人には絶対に叫ばない。やはりかつての支配・被支配の意識もあるのでしょう、これに関しては簡単に何かを発言するのは危険なのかもしれませんが、言われている方の立場からすると、「言うなら全員い言えよ!」と、感じたりもしてしまう。

日本人はこんなこと絶対にしないですよね。明らかに違う人種の方が人ごみなどにいればそりゃ見てはしまいますけど、そこまでガン見をすることはないし、ましてやその人の出身国(と思われる国)を叫んだりなんて有り得ない。

ということで、この点はダントツ日本人の勝ち!お願いだから、いちいち「チャイナ!」と叫ぶの止めてくれ!


では今度は逆に、「アフリカ人の民度って高いなぁ」と思う瞬間も考えてみたいと思う。


アフリカ人の民度が高いなぁと思う瞬間①~困っている人を放っとけない!~

旅をしていると迷ってばかりなので、当然色んな人に道を聞くことになる。そのときのアフリカ人は、本当に親切なのだ。

手を引いて連れて行ってくれたり、自分が分からなかったら誰か知っている人を大声で呼んで確かめてくれたり・・・。地図を見て立ち止まっていると、だいたいすぐに誰かしらが「どうしたんだい?」と話し掛けてくれる。もちろん中には騙すことが目的で近付いてくる輩もいるが、そんな人間よりも純粋に助けようとしてくれる人の方がはるかに多い

そういう点ではどうだ、日本人は。けっこうみんな「見て見ぬふり」ではないか?もちろん日本人の美徳として「恥の文化」があり、あからさまに手を貸さないことが優しさという考え方はある。しかしそれにしても、最近の日本人は冷たいんじゃないか?と、僕は思っている。

ということで、この勝負はアフリカ人の勝ち!


アフリカ人の民度が高いなぁと思う瞬間②~弱者への配慮~

バスなどに乗ろうとするとき、お年寄りがやって来るとアフリカ人って自然と席を譲ったり、スッと通りやすいように道を開けたりする。あまりに自然にやっているので意識しなければ気付きづらいが、お年寄りや子どもへの配慮が大きい気がする。重い荷物を運んでいるお年寄りがアフリカには多いが、若い人がスッと助けてあげたりする。とても自然に。

しかしどうだ、最近の日本は。お年寄りに席を譲るなんて、最近の若者はしているのか?急に狸寝入りを決め込んだり、あからさまに無視したり。お年寄りが重い荷物を運んでいても、手助けをしようとする日本の若者はまだいるのだろうか。

この勝負もアフリカ人の勝ち!もしかしたら、近年においてはこれはアフリカの圧勝かもしれない・・・。


アフリカ人の民度が高いなぁと思う瞬間③~みんなすぐにお友達!~

大衆食堂で食事をしていたり、ちょっと一杯飲みに行ったりすると、アフリカ人はバンバン話し掛けてくる。いや、そういう場だけではない。道を歩いているだけでもそうだ。とにかく話し掛けてくるので、親指を立てて「グッド」のマークをし、握手をして拳を合わせれば、もうあっという間に「お友達」だ。このような、知らない人に対する懐の深さというか、壁の低さというか、すぐに打ち解けられる空気を作れるのはさすがだ。

それに引き換え、日本人はどうだ。旅をしていてもやっぱり日本人だけで固まりたがるし、どうしても他国の人々に対して「壁」があるのではないか?

もちろん日本人には「謙譲の美徳」があり、あからさまに話し掛けたりすぐに和気藹々としすぎないことが日本人の配慮でもある。歴史的に考えても、島国でしかも鎖国の歴史がある日本人としては、どうしても「壁」ができやすいのであろう。

それを差し引いても、アフリカ人の「すぐにウェルカム」は凄いと思う。ということで、この勝負もアフリカ人の勝ち!


ということで、僕が思い付くままに3点ずつ『アフリカ人VS日本人・民度対決』を行ってみた。もちろんあくまで僕が旅の中で感じたことを思い付くままに挙げただけですので、その点はご了承下さい。また、ザックリ「アフリカ人」としてしまってますが、これも本当は良くないですね。僕のザックリした印象でまとめてしまいましたが、その点もご了承下さい。

しかしそれにしても、「民度」って何なのだろう。結局のところ国でも国民でも個人で見ても完璧な存在なんていないのだし、みんな良い点と悪い点を持ち合わせている「不完全」な存在なのだ。

これが民度なのかは分からないけど、少なくとも今の日本人が「人として」大事なことを失いかけているのは確かだと思う。こうしてアフリカ人と簡単に比較しただけでも、何だか日本人が色々な「大事なこと」を忘れかけていて、アフリカにはそれが存在していることが分かる。それを感じるだけでも大きいと僕は思う。


もしかしたら、確かに日本人の民度は高い方なのかもしれない。でもそんなこと、どうでもいいのではないか?それならそれで自分たちを誇りに思いつつも慢心するものではない。完璧なんてことは有り得ないのだから。

また逆に、もし他の国の人々の民度が低く感じられるのなら、それを反面教師としてとらえればいいのだし、また悪い点ではなく良い点に注目すればいい。そこから学べばいい。それだけのことだ。

アフリカ人と日本人だってお互いに良い点と悪い点があるのでだし、お互いに学び合えばよい。どちらの国の民度が高いとか低いとか、そんな次元の低い指摘のし合いをしても何も生まれない。


別にいいじゃない!どっちが高くても低くても!どうせお互いに完璧じゃねぇんだし!そんなことを指摘し合って僅かな優越感に浸ろうとするなんて、きっと情けない。それよりももっと高い次元でお互いの国や国民を見合っていかなければいけない時代だと僕は思う。


何にしても、もし民度というものでその国の国民を計れるとするならば、そりゃ民度が高い方がいい。「日本人って民度が高いよね」と言われる方が嬉しい。じゃあ、僕たち国民1人1人はどうあるべきなのか?僕はこの国の一国民として、そのことを考えながらこの後の旅を続けていきたい。

よし、今日から「民度の高い」日本人でいくぞ!(笑)

2014年1月25日。美しいビーチが広がるも雨季のため天気がいまいちで残念なトーフの海岸沿いのネットカフェにて。



世界一周 ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!



【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『ミンナオナジ』VOL,2】

2014-01-24 21:37:21 | 日記
2014年1月24日。


《世界中の人がマックで食事をし、コーラを飲み、英語を話す。そんな『ミンナオナジ』の世界なんてつまらないとこの前書いたけど、同じだからいいものもある。いや、普遍的な『ミンナオナジ』がある。それがあるから、世界は面白いのだ。》


世界中、みんな同じものを食べて同じものを飲んで同じ服を着て同じ言葉をしゃべってなんて、絶対つまらない。そんな世界なんてないほうがい・・・とまでは言わないけど、絶対つまらない。


だけど、同じだからいいものもある。

同じだから分かり合えることもある。

世界中どこに行っても同じもの。

それは「愛」とか「平和」とか「元気」とか「楽しい」とか「夢」とか、なんていうか、そういうもの全部。


どんな言葉を話していても、どんなものを食べていても、どんな服を着ていても、みんな求めているものは同じ。

家族と仲良く暮らしたいし、戦争なんかない平和な国で生きていきたいし、美味いもん食べたいし、ゆっくり寝たいし、将来何になりたいか希望をもてる社会で生きていきたいとみんな思っている。

当たり前だけど、どこの国に行ってもみんな「笑顔」は同じなのだ。

家族への愛も、恋人への愛も・・・。

美味しいものをみんなで食べて笑いあったり、お酒を飲んで楽しくなっちゃったり・・・。

そういうもんって、みんな人間だから変わらない。

それが同じだから、僕たちは旅をしていても色んな人と分かり合えるし、言葉が通じなくても宗教が違っても一緒に「笑顔」になれる。

だから世界は素晴らしい。だから僕たちは通じ合える。だから僕たちは分かり合える。


色んなものが同じってのはつまらないけど、根本は同じだから、世界は面白いんだよな。


だから本当は僕たちは、何を目指すべきか分かっているはずなんだ。

世界中には色んな問題が山ほどあるけど、僕たちの根本は『ミンナオナジ』なんだから、どっちに行ったらいいのか絶対分かっているはずなんだ。


だから僕たちは、この山ほどある世界の問題をきっと解決できる。

だって僕たちの求めているものは『ミンナオナジ』なんだから。



肌の色が違ったって信じている神様が違ったって、美味いもん食って美味い酒飲んだらみんなハッピーだし、「楽しい?」って聞いて「楽しい!」って答えられれば一緒に楽しくなるし、僕らの根本なんてな~んも変わらない。

これまで何十もの国を訪れてきたけど、そういう原点って変わらないんだよな。というより、変わるわけがない。

家族と一緒にいたくない民族なんていないし、美味いもん食ったのに怒り出す人種もいない。綺麗な景色を見たのに悲しみにくれる国民もいない。

そうだよ、『ミンナオナジ』なんだ!僕たちなんて。

だからきっと、この世界はもっと良いものに出来る。


僕はそう信じている。


今僕がいるのはモザンビークという国。

昼間、超ローカルなレストランでビールを飲んだ。


普通観光客はそんなローカルなレストランに来ないから、みんなじっとこっちを見てくる。

でも「ビール好きか?」と聞かれて「おう、俺はビールを愛してるぜ!」の返事をするだけで、一気に分かり合える。一緒に笑顔になれる。一気に酒が美味くなる。

世界なんて実は単純なもんだ。実はとっても簡単なのだ。

せっかく『ミンナオナジ』なのだから、シンプルにそこを目指せばいい。

そしたら、きっと世界はもっと良いものになる。



みんなマックしか食べないのは嫌だ。みんなコーラしか飲まないのも嫌だ。みんな英語しかしゃべらないのも嫌だ。

でも、みんな家族が大好きで、平和を望んでいて、ちゃんと勉強できて、ちゃんとご飯が食べられる世界を臨んでいる。それってなんか素敵だと思う。



旅をすることで「違い」も分かるけど、もっと大切な『ミンナオナジ』も分かる。だから旅って素晴らしい。

「分かり合えるもの」が分かるって素晴らしい。「通じ合えるもの」を感じられるって素晴らしい。

明日は僕は何を「共に感じる」ことが出来るだろう。

よ~し、明日も思い切って色々「感じ」に行くぞ!

2014年1月24日。日本の真夏のように蒸し暑い、モザンビークの首都マプトの安宿にて。