世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 世界を制するお医者さん!熱きニッポンの旅人レポート!】

2014-02-27 02:03:28 | 日記
2014年2月26日。

《これまでに何人もの方々にインタビューをさせていただいたが、今回初めて「この職業」の人に僕は出会った。熱くて優しくて、ガンガン自分を貫ける男、イシマツさん。今回は「世界で活躍する日本人旅人」イシマツさんのインタビューレポートです!》

南アフリカの一大観光都市、ケープタウン。メインストリートの端にある安宿で、僕はある日本人の方に出会った。

その方の名前はイシマツさん。僕は彼の職業を聞いて驚いた。なんと、お医者さんだというのだ!しかし今は1年以上旅を続けているという。そんなイシマツさんと色々と仲良くさせていただいて、僕は彼のキャラクターや人間性にとても惹かれた。

少しお話をさせていただいただけですぐ分かった。さすがは医者、とっても頭の良い人だと。そして溢れる男気とリーダーシップ。本当に素晴らしい人なのだ。


今回は、そんなイシマツさんにインタビューをさせていただきました~!


Q1:イシマツさんの簡単な経歴をお聞きしてもいいですか?

A1:はい。医学部を卒業した後、2年間研修医として病院で勤務をしました。(研修医と言っても医師免許を持っており、正式な医者です。)しかしその後少しだけ医者の道から外れて、アルバイトをしてお金を貯めて、そのお金で今は旅を続けています。


Q2:なるほど、そうなんですね。医者の道から一歩外に出て旅を続けている理由をお聞かせ願えますか?

A2:そうですね。医者という仕事は非常に専門性も高いので、一度その道に入るとノンストップで修行の日々なんですね。僕はそうなる前に世界に出てみたかったんです。

いずれは家庭も持ちたいし、プロフェッショナルの医者としてやっていくことが目標です。ですから今このタイミングで、僕は世界をこの目で見ようと決め、今旅をしているんです。


Q3:そうですよね、医者のトレーニングは相当に厳しいものですよね。ところで世界に出ることや旅をすることには、興味はあったんですか?

A3:昔からとっても興味がありましたね。世界を知りたくてしょうがないという気持ちが強かったんです。

父親が仕事でドイツやアメリカなどに行ったことがありまして、その話を聞かされた経験があります。その話にはとても興味を持ちましたね。


Q4:そうなんですか、お父さんからそういうお話を聞けていたとは羨ましいですね!ではこれまでの旅を通しての全体的な感想はいかがですか?

A4:間違いじゃなかったと確信していますよ。旅をしていると、自分自身に対して考える時間がとても多くありますよね。自問自答の日々というか・・・。帰ってからのことや自分の人生のことなど、よく考えます。今のこの時間がとても大切だと感じています。

もちろん焦りもあります。同期の人間は、医者としてのトレーニングを積んでいるわけですからね。でも、今やらないとできないことも人生には確実にあります。それが今のこの「旅」だと思うんですね。

アメリカの老人ホームでの有名なアンケートの話があるのですが、確か80歳(?)になる老人ホームの入居者の方に「これまでの人生の中で何を一番後悔していますか?」と聞いた話があるんです。その回答で一番多かったのが「若い時に冒険や挑戦をしなかったこと」だったというんですね。それは1つの例ですが、僕は死ぬときに後悔はしたくないんです。だから今、旅を続けています。


Q5:死ぬときに後悔しない人生・・・僕が普段から言っていることと全く一緒です!メッチャ共感します!ここまでの旅の中で、一番良かったことって何でしょうか?

A5:旅をしていると、変な人とたくさん出会いますよね(笑)。現地の人でも旅人でも面白い人がたくさんいます。そういう方々と接することはすごく大事なことですね。多様性への対応とでも言いましょうか、色々な人がいるんだな~ということを学びましたし、またそれを受け入れる度量が付いたと思います。

医学部の世界も素晴らしい人ばかりで大好きですが、その世界の中ばかりにいたので、自分の世界の狭さを知りました。それを肌で感じられたことはとても大きいですね。


Q6:その感覚、僕も同じです。世界に出ることで感じるこれまでの自分の狭さって、とても大事な感覚ですよね。イシマツさんの将来のビジョンをもう少し詳しく教えて下さい。

A6:僕は産婦人科に進みたいんですよ。その道でエキスパートになることが目標です!


Q7:産婦人科ですか!それはまたどうしてですか?

Q7:産婦人科って毎日が誰かの誕生日ですよね。それって最高に素晴らしことだと思いませんか!

僕は研修の時にエコー検査から実際に産まれてくる赤ちゃんを見てきましたが、検査ではただの2次元にしか映っていないのに、それが産まれてくるときは新しい生命として、3次元の存在として産まれてくるんですよね。その感動は本当に凄まじいものだったんです。研修を通して、この感動を超えるものはなかったんですね。

ちなみに僕は不妊治療の専門家になりたいんです。自分はとても子どもが欲しいのですが、もしそんな自分に子どもが出来なかったら・・・と思うと、とても辛いですよね。だからそのような苦しみの中にある人の力になりたいと思っているんです。


Q8:2次元から3次元への感動・・・凄い、そんな表現初めて聞きました!感動ですね!では最後の質問なのですが、最近海外のことに興味を持たない「内向き」の若者が増えていると言われています。そんな若者に、長く海外を旅をしている石松さんから、ぜひメッセージをお願い致します!

A8:自分の子どもをどう育てるか?に置き換えて考えてみればいいと思うんですよね。

今の日本って、一歩踏み外したら崖から転落するような感じだと思うんです。失敗の出来ない社会というか、常に成功をし続けないといけない社会というか・・・。

でも、人生そうじゃないんだぞ!失敗してもいいんだぞ!バカをしてもいいんだぞ!だと思うんです。それを若い世代に伝えたいですね。

僕だって見方によっては、今は「人生の失敗」だと思うんです。医者の道を選ばずに旅をしているんですから(笑)。でも僕は、自分の人生は絶対に「何とかなる」と信じています。

旅をするということも同じだと思うんですね。旅って「何とかなるという成功体験」の宝庫だと思うんです。すごく大切なことは、この「人生何とかなる」という感覚だと思うんですね。

僕は昔、浪人したら人生終わりだと思っていました。でもそんなことは全然ない。失敗したって何てことないですよね。海外を旅すると、こんな感覚を学ぶことができます。失敗したり「何とかなる」の繰り返しですから(笑)。そんな心持を若い世代には学んでほしいし、またリスクを恐れずバカをする勇気をもってほしいですね。


Q9:「何とかなる」という感覚、そのくらいのゆとりとチャレンジ精神をぜひ持ってもらいたいですよね!全く同感です!やっぱりイシマツさんのお話は含蓄がありますね!今日はどうもありがとうございました!


イシマツさんとはケープタウンでは部屋も一緒で、本当に仲良くさせていただいた。そしてモロッコに渡る日程もほぼ同じだったので、再会を約束し、今このモロッコの地でご一緒させていただいているのだ。

おかしいことはおかしいとバシッと言えて、自分の意見を貫ける男、イシマツさん。その男気溢れる姿は本当に魅力的である。それでいて繊細で賢く、これまで出会ってきた旅人の中でも異質な魅力を持っている方だと僕は感じた。

ぜひともイシマツさんのような幅広い知見を持った方に、医療現場に立ってほしいと僕は心から思っている。これからもうしばらく僕はイシマツさんと行動を共にするので、彼から色々なことを学ばせていただきたいと思っている。

イシマツさんのような素晴らしい日本人と出会うことができ、僕は本当にラッキーだ。我以外皆師。この出会いを大切にし、全てを吸収していきたい。


2014年2月26日。海風が非常に強く、ちょっとだけ肌寒いエッサウィラの安宿にて。


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ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 アフリカの大地より『俺流オリンピックのクソッタレ』論。

2014-02-26 19:56:35 | 日記
2014年2月25日。


《旅をしているとテレビを見ることはほとんどない。ネットが繋がらなければ、世間のニュースを知ることもほとんどない。日本ではソチオリンピックで大いに盛り上がっているようだが、それさえ旅人には縁の遠い話なのだ。そんなオリンピックをアフリカの地から眺めてみると、僕にはとんだ「戯れ事」に思えてしまう。》


ネットに接続をして、ふと日本のニュースを見てみる。

それを見て、僕は驚いた。「おお、今年はソチオリンピックだったのか!全く知らなかったわ。」と。


ソチオリンピックが開幕したとき、僕はたぶん南アフリカにいた。そしてその後ナミビアに行き、現在はモロッコにいる。いずれも冬季五輪とは縁の薄い国々だ。

当然、オリンピックの盛り上がりなど一切ない。いつものように日が昇り、また日が沈む。そんな1日が止めどなく流れている。


オリンピック、それは平和の祭典。

僕はスポーツイベントは大好きだ。オリンピックやワールドカップ、WBC(ワールドベースボールクラシック)など、熱を持って僕は応援してしまう。

限界まで鍛え上げられた身体と技術、そして精神力。国の威信をかけてそれをぶつけ合い、闘う。観客側もその闘いに酔いしれ、熱狂と興奮の渦に包まれる。僕はそんなスポーツイベントの時間が大好きだ。


しかし旅をしていると、僕は違う感覚に襲われてしまう。

「オリンピックなんてクソッタレだ!」

「一部の裕福な国々のとんだ戯れ事だ!」
と。


僕が今いるアフリカという地域。いわゆる発展途上国と言われている国が多く存在している。

たくさんの、貧しい国々・地域を訪れてきた。

世界には70億人を超える人口がいると言われている。しかし残念なことに、その多くは「貧困」と言われる状況に置かれている。

そこに住む彼らは、まさに「今」を生きることに必死であり、明日のことさえ考えられない人々も多くいる。


彼らが健康的にスポーツに打ち込むことなど残念なが不可能だ。そのような環境を提供することなど、正直不可能に近いだろう。

オリンピック。世界から集まる人類の代表が闘い合う場のように思われているのだが・・・。

果たして本当にそうなのだろうか。


いわゆる発展途上国と呼ばれる国々に住む人々。彼らには、そのスポーツに積極的に参加する「権利」も「環境」も与えられない。

それは誰が悪いということではない。複雑な世界の仕組みの中で、そのような国々の存在が確立してしまっている。

そしてそんな立場に置かれている人々の数は、莫大なものに登る。


もし本当に世界の70億人全ての人に平等に機会と環境が与えらるなら、それは本当の「平和の祭典」であり、まさに「世界一」を決めるイベントであろう。

しかし残念ながら、多くの人にはそのチャンスすら与えられない。もし仮に彼らに爆発的な才能があったとしても、それを花開かせるチャンスなど存在しないのだ。

オリンピックに参加できる国々や地域、あるいは人々。それは、ある一定以上の生活水準を達成している者に限られるのだ。


アフリカの大地を見て、オリンピックを考える。すると、日本にいるときは全く違う感覚に襲われる。

オリンピックなどバカらしくて仕方なくなる。ただの「金持ちの道楽」にすら見えてしまう。


目の前にはみすぼらしい服を着て、お金や物を求める人々が溢れるように存在している。

小さな子どもが物乞いをし、歩けなくなった老人がただひたすらに手の平を差し出している。

そんな世界が傍らにあるのに、何がオリンピックだ!何が平和の祭典だ!

そんな想いにさえ駆られる。


もし世界の貧困問題が解決し、全ての人に平等にチャンスが与えられたなら・・・。

もし世界の紛争がなくなり、皆が平和の中でスポーツに打ち込むことができたなら・・・。

そんな世界が実現できたなら・・・。



そしたらオリンピックは、本当の意味で「平和の祭典」になりうるだろう。本当の意味で「世界一」を決めるイベントになるだろう。


僕は思う。

残念だけど今のままじゃオリンピックは、ただの金持ちの「戯れ事」だ。

一部の人たちだけが参加しているだけの、ただの「道楽」だ。



僕が今いるモロッコの地方都市、エッサウィラ。

ソチオリンピックの話など一切ない、いつも通りの喧騒とゆったりとした時間が流れている。

何とも言えない気持ちになることもあるけど、それでも僕は日本が好きだし、やっぱり日本選手団を応援している。


でもやっぱり、これからを生きる僕たちは、今の世界を一歩も二歩も超えた「オリンピック」が実現できる世界を創っていかなければならないだろう。

そのために今の自分ができること。それに逃げずにぶつかっていかないといけない。


僕の究極の目標、それは「世界平和」。

この遥かなるモロッコの地から、僕は願う。そして少しでも、やれることをやろうと誓う。


世界人類が平和になりますように・・・。


2014年2月25日。海風がとっても心地よい、エッサウィラのメディナの中にある日本人宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 長い長い1日・・・。ドバイ空港・まさかのトラブル!の巻。

2014-02-24 17:48:19 | 日記
2014年2月23日。


《人生にはリズムがある。良い時が続く時があれば、悪いことが重なる時もある。天下に名を馳せるドバイの空港。ここで僕は、溜め息の1日を過ごすことになった・・・。》


しかし参りましたよ。トランジットで立ち寄ったドバイで飛行機が欠航になってしまって、待ちぼうけする羽目になってしまったんですよ。

でも飛行機が止まることなんて珍しいことではないので、まぁ仕方ないのですが、その過程と対応がなかなかのものだったんですよ。

今回はですね、そんな不運に見舞われてしまった僕のちょい愚痴物語なんですよ。どうぞよろしくお願い致します(笑)!


ドバイの空港を使用する航空会社と言えば、とっても有名なあの会社ですよ。ここでは一応ニックネームで、「えみこさん」と呼ぶことにしますよ。ちなみにウチのかーちゃんもえみこなんですよ(笑)。


僕はヨハネスブルグからドバイ経由でモロッコに向かう行程だったのですが、ドバイへの到着が遅れてしまって、乗り換えがギリギリになってしまったんですよ。それは何とか間に合ったのでよかったのですが、問題はその次のドバイ~モロッコ間の飛行機だったんですよ。

搭乗までは順調だったんですよ。しかし乗ってからが問題で、いつまで経っても出発しなかったんですよ。1時間、2時間、3時間・・・待てども待てども出発せず、しかも機内アナウンスも何もないんですよ。さすがに僕もイライラしてきたんですよ。

でもイライラしても仕方ないので、映画でも観ながら待ってたんですよ。そしたらついに数人の乗客がシビレを切らして、文句を言い始めたんですよ。そりゃ当たり前ですよ、何のアナウンスもなく、なんと機内での待ち時間は6時間を過ぎていたんですよ。

僕も何人かの客室乗務員に聞いてみたのですが、みんな「I don’t know」なんですよ。誰一人として親身な返答などしてくれないんですよ。そりゃやっぱり頭に来ますよ。


僕の反対側の通路ではちょっと暴動みたいになっていて、何人か怒鳴り始めたんですよ。その騒ぎのせいか、喘息を患っていた一人の乗客の症状が悪化してしまい、医者が必要なまでの事態になってしまったんですよ。さらに後ろの方では中国人の団体客がお茶会を始めてしまい、それがまた賑やかなんですよ(笑)。もう機内はカオスですよ!

その後の機内アナウンスで何度か「あと10分で離陸します」と言ったのですが、結局全く出発しないんですよ。そしてなんと8時間が経過ですよ!何故出発しないのかも分からず、一部の乗客はイライラが爆発直前、もう最悪の状況ですよ。

やがてついに最後のアナウンスがあったんですよ。そしたらですよ、なんと「この飛行機はキャンセルになりました」ですよ!8時間も乗客を機内に待たせておいて、その理由の説明もなく、あと10分で出発しますとか言っておいて結局出発せず、そしていきなりキャンセルですよ。もう腹立たしさを通り越して呆れましたよ。


問題はその後もなんですよ。為す術なく飛行機を降ろされた僕たちは、とりあえずエミ・・・じゃない、えみこさんのカウンターに行ったんですよ。そしたら、「上の階の○○レストランに行け」とのことなんですよ。でもそれについてもアナウンスも何もなく、みんな又聞きで動いている状況なんですよ。しかもそのレストランに行ったら、他の欠航になったフライトの乗客が既に使用していたんですよ。もうアホですよ。

後で知ったのですが、欠航や遅延になったのは僕たちに便だけでなく、何便もあったんですよ。だから空港内はパニックですよ。そんな状況にも関わらず、えみこさんのカウンターには人がほとんどいないんですよ。だから誰も何も情報を知りようがないんですよ。もうまさにお手上げですよ。


そこで僕は、とりあえず一番大きな恵美子さんのカウンターに行ったんですよ。そこは訳も分からずフライトが出来ない人たちで溢れていて、ここもまさにカオスですよ。もう酷いもんでしたよ。

カウンターの中には人もおらず、何百人もの行列ができていたんですよ。その周辺をえみこさんの制服を着てウロウロしている人が何人かいたのですが、誰に何を聞いても「I don’t know」とか「私の仕事じゃない」とか「これは特別な事態だ。私は知らない」とか「私のせいじゃない」とか、みんなそんな返答ですよ。もう意味不明ですよ。


こういう事態はアフリカで慣れたもんではあるんですよ。でも、ここはドバイ空港、天下のエミ・・・じゃない、えみこさん航空、もっと誠意ある対応を期待していたんですよ。でも本当に酷いもんで、それにはマジでガッカリでしたよ・・・。

朝7時50分発の予定で結局それから8時間以上機内に待たされ、空港に戻されてからも何の情報もなくさらに数時間が経過・・・。気が付いたらもう夜9時ですよ。もう溜め息しか出ませんよ。

さすがに我慢できなくなった僕は、強引にカウンターの最前線に割り込んで、「俺のフライトはどうなってるんだ!ふざけんな!」と文句を言ったんですよ。そしたらようやく次の日のフライトを予約してくれたんですよ。でも時間は既に夜の10時。もうハナクソですよ。

他の欧米人の観光客もみんなキレキレで、スタッフに詰め寄りまくりでしたよ。そりゃ当然ですよ。でも返答は相変わらず・・・。正直、僕が最後に見ていた3年○組の生徒たちの方が、よっぽど良い仕事するんじゃないか?と思ってしまいましたよ。

こういう状況なら、せめて航空会社がホテルを取ってくれそうなもんですよ。でもそのことについて話すと、「それは俺は知らない。あっちのカウンターに行ってくれ」ですよ。そしてあっちのカウンターを見ると、ま~長い長い!大行列ですよ!そしてカウンターには1人か2人のスタッフしかいないんですよ。もうこの列を待つ気力なんてないですよ。ということで、結局空港のベンチ泊ですよ。


そんなこんなで次の朝を迎え、ようやくテイクオフですよ。僕にとって世の中で一番嫌いなことの1つは「時間の無駄」なんですが、まさに訳も分からず過ぎていった時間ですよ。でもイライラしても意味はないので、この時間にも何か意味があると思うんですよ。おかげで待ちぼうけした他の乗客と仲良くなれたし(笑)。

それに大切なことを学べましたよ。トラブルは仕方ない、でも大切なのは、そのトラブルに如何に対応するかですよ。僕の好きな言葉に「ピンチはチャンスであり、チャンスはピンチである」というのがあるのですが、もしここでしっかりとした対応をしてくれれば、それでよかったんですよ。逆にえみこさんへの評価もあがるってもんですよ。

そして思ったんですよ。日本の会社だったら、絶対こんなずさんな対応はないよなと。日本の企業って素晴らしいなと。本当にそう思ったんですよ。

心持ち次第で、全てが師になると思うんですよ。今回の事態は不幸でしたが、僕はここから「何か」を学ばなければならないと思ったんですよ。これから先、僕はピンチに陥ったとき、どのような対応をすればよいかをこの日は教えてくれたんですよ、きっと。


そんな日を乗り越えて、僕は今モロッコのマラケシュという街ですよ!これからはモロッコ、そしてヨーロッパから登場致しますよ~!


2014年2月23日。Wi-Fiはめちゃめちゃ早い、マラケシュの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 続『新鎖国論』「グローバルな内向き」へ!】

2014-02-22 23:17:04 | 日記
2014年2月22日。


《僕の旅の目的の1つは、「日本の若い世代がもっと世界に目を向けたくなるような情報を発信すること」。でも最近、その考え方が変わってきた。「世界に目を向けてほしい」という思いは一緒だけど、だからこそ、僕らは「グローバルな内向き」でいいんじゃないかと近頃思っている。》


南部アフリカの小国・レソト。ここで出会ったのがイタリア人の青年、アンドレアくん。彼の意見は、僕に1つの刺激を与えてくれた。

「僕はイタリアで生きていくつもりはないんだ。イタリアは経済がとても落ち込んでいるからね、仕事を見つけるのは難しいし、将来性もあまりない。だから僕は他の国に出て働くつもりだ。だから英語も一生懸命勉強しているんだ。」


僕はこの旅を通して、常に「真の国際人」とか「本当のグローバル社会」とか「日本人の内向きと外向き」などといったことについて考えている。しかしその背景には、「日本が大好き」という想いがあり、世界に出ることで、日本の良さ・素晴らしさをぜひ感じてほしいと思っている。

アンドレアくんはオーストラリアやニュージーランドをはじめ、世界各国を訪れているという。目的は「いずれ永住する国を探すため」。英語も流暢だし、一見すると「外向き」の人間だと言えると思う。

しかし、彼は本当に「外向き」の人間なのだろうか。外国に目が向いているという意味では外向きであろうが、彼は本当の「グローバル」な人間なのだろうか。


僕は決して彼の考え方を全て否定しているのではない。レソトの首都マセルで出会ってからしばらくの間行動を共にしたが、彼は本当にいいやつだった。僕は彼の考え方や人間性を全否定しているわけではない。ただ、1つの議論として、彼のような考え方が本当に「国際人」なのかどうかを問うているのだ。


彼はハッキリ言った。「僕はイタリアが好きではない。一生この国に住むつもりはない。」と。

さらに彼は続けた。「だから僕は、一生住めるような国を探している。イタリアには将来性はないしね。」と。



僕はこの旅を通して、たくさんの日本人に出会ってきた。そしてそのほとんどの人が、次のように言う。

「いや~海外に出ると分かるけど、日本って素晴らしいね。」と。



日本人が「内向き」と言われるのは、確かに海外へ出たがらない若い人口が増えてきたことによるものであろう。単純に「海外のことに興味を持たない」ことは、全くもって喜ばしいことではない。やはり積極的に海外のニュースや情報を取り入れるべき時代ではあるだろう。それは間違いない。

しかし、「海外に住みたいとは思わない」ということは、果たして「内向き」なのだろうか。僕は最近、この点について考えている。


例えば近くの国で言えば、多くの中国人が海外への移住を求めているという。さらに韓国でも同様らしい。それはそれで別に良いのだが、問題はその理由、動機だ。

どちらの国も「自国に住みたくないから」という理由の人が少なくないという。理由は諸々あるようだが、自国に住みたくないが故に海外に出る、移住を求める。それって「国際人」なのだろうか。「グローバルな」人なのだろうか。

僕はちょっと違うと思う。海外にいたとしても、自国への誇りを持ち、自国を愛し、自信を持って「○○人です」と言える人。それこそが、「真の国際人」なのではないかと思う。

そして「グローバル」な時代だからと言って、必ずしも海外で活動しなければならないのかというと、それも違うと思う。大切なのは考え方や感性の中に「海外からの視点や観点」を持てるかどうかであって、決して海外にいなければならないわけではない。日本を離れて生きるという「経験」は大切だが、必ずしもそれを「経験」ではなく「永遠」にする必要はない。


もし日本の若者が、近年言われているように本当に「内向き」になってしまっていて海外に出たがらないとしよう。しかしもしそれが、「海外より日本で働きたい」という純粋な気持ちなら、それはそれらの人たちが「住むなら海外より日本」と思っているわけでもある。それって素晴らしいことではないか。

「自国より他国がいいから国外へ」より「海外より自国がいいから日本で」の方がよっぽど素晴らしい。僕はそう思う。そして海外の旅を通じて「日本って素晴らしいですよね」と言う日本人がとても多いこと。それも本当に喜ばしいことだと思う。


僕はこの旅を通じて、ちょっと考え方が変わってきている。「海外には出たくない」人が多いほど、「日本に住みたい」人が多いほど、それはいいことなのではないか。海外の情勢に変に惑わされることなく、日本は良き日本であり続け、日本人は良き日本人であり続ける。もちろん諸外国との適切かつ友好的な交流と関係の構築は絶対に大切だが、それはそれ。日本は日本独自の道を歩み、「おお、日本ってやっぱりすげぇな」って他国から思われるような国家を作っていけばいいのではないだろうか。


これはある意味では「鎖国」だ。僕はある種の『新鎖国論』をちょっと考えている。もちろん江戸時代の鎖国とは全く異なるものであるが、日本はもっと自信を持って「日本」であればいい。


「海外に出ている人=グローバルな人」ではない。「日本にいる人=内向きな人」ではない。

大切なのは、その心持ち。「どこにいるのか」なんて関係ない。どういう視点・感性を持っているのかが重要なのであって、問題は場所ではない。


だからこそ、やっぱり僕は願う。日本の若い衆には、ぜひ一度世界を流れてほしい。そこできっと感じるはずだ、「日本って悪くねぇじゃん」ということに。

そこからどう動くはその人次第。でも僕は日本が大好きな日本人だから、やっぱり日本の若い衆には日本を愛してほしいし、誇りを持ってほしい。日本国内に住もうが海外に住むことになろうが、その気概をぜひ持ってほしい。

僕がこれから日本でやろうとしていること。その目的の1つは、そのような「日本への意識」を持てる若者を育てていくことだ。

こういうことを書くと、すぐ「ふじもんは右翼か?」みたいに思う人もいるようだが、そういうことではない。自分の国に誇りを持つ。自信を持つ。ただそれだけの、真っ直ぐな話だ。変に歪曲して捉える人がたまにいるが、そういうことではない。


僕はこの原稿をドバイの空港で書いているが、ここでも日本の素晴らしさを実感することがあった。あ、そのことは後ほど書きたいと思います(笑)。

これから僕はモロッコを最後にアフリカを後にし、ヨーロッパに入る。今一度、僕自身が「日本人」を意識して、一歩一歩進んでいきたい。


2014年2月22日。まさかの飛行機の欠航で足止めを食らっている、ドバイの空港にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『Are they happy?』温かきヒンバ族の教え。

2014-02-21 03:48:12 | 日記
2014年2月20日。

※ヒンバ族は強い日差しや虫などから皮膚を守るため、バターと赤い粘土を混ぜたものを身体中に縫っています。僕もヒンバ族の方に、顔だけその塗料を塗ってもらいました~!(笑)

《世界には様々な先住民族の村がある。「先住民族」という響きが大好きな僕は、世界中で様々な先住民族の村を訪れてきた。しかしこの村は、これまでの村とは一味も二味も違っていた。》

ナミビア北部に住む先住民族、ヒンバ族。僕は先日、このヒンバ族の村を訪問してきた。


「先住民族」が好きな僕は、これまでたくさんの先住民族の村を訪れてきた。しかしその度に、複雑な想いに駆られてきた。

それは、いわゆる完全なる「商業主義と観光地化」。村の人々は観光客からいかにしてチップを取るか、お土産を売るかが目的となってしまっている。そして子ども達は僕たちに群がっては「ギブミーマネー」を叫び続けている。

その度に僕は考えさせられる。正直、一外国人としてはそんな状況にガッカリしてしまう自分もいるのだが、またそんな状況を作り出してきたいわゆる先進国に憤りを感じていもいる。それはもちろん日本も含めてだ。


僕は先住民族の村が大好きだ。しかし、僕は何をしに、何のために村に行っているのか?

僕のような人間がたくさん村を訪れるから、村は商業化するのだ。僕自身もその原因の1人だ。それなのに、何を1人で憤っているのか?何を1人で善人ぶっているのだ?オマエなんか完璧でも何でもない、ただの一外国人だ。何を1人で責任を感じているのだ?


そんな想いにずっと駆られていた。いや、今でも駆られている。そんな想いを心に秘めながら、僕は先日このヒンバ族の村を訪れたのだ。


しかし、この村は違った。

僕に新しい「経験」と「感覚」を与えてくれた。



全くないのだ、お金の要求も強引な押し売りも。


人々は本当に温かい笑顔で、僕たちを迎えてくれた。


家の中に案内して下さり、一緒に歌を歌ったり食事をいただいたり・・・。


快く村の人々の間に座らせて下さり、写真撮影にも一切嫌な顔をしないのだ。



僕は逆に悩んだ。「なんでこんなに良い人なんだろう?」と。

もともとこういう性格の民族なのか?それとも、僕たちがお土産に持って行く砂糖や油などの日常生活用品を受け取る代わりに、良い人のふりをしているのか?


※あ、ヒンバ族の村を訪問するには、何かしらのお土産を持って行かなければならないんです。ガイドの指示でそれを買っていくのですが、だいたいは小麦粉や砂糖、油、お菓子など、生活に密に関わる品を買っていきます。


しかし僕には、「良い人のふり」にはとても見えなかった。大人から子どもまで、みんな同じように本当に優しく僕たちに接して下さるのだ。その姿はとても「ふり」だとは、僕には考えられなかった。

とても心が温かくなった。「ああ、世界にはこんな素晴らしい先住民族の村もあるんだ。」と。

しかし同時に心が苦しくもなった。「先住民族の村を訪れるって何なんだろう。」と。


僕たちは所詮「一観光客」として村を訪れる。どんなに「純粋な気持ち」があったとしても、それは自分だけの話。所詮はただの「一観光客」に過ぎないのだ。

僕たちは村の方々にとって、ただの余所者だ。僕たちは村の方のご厚意で、その村に上がらせていただいている。

それなのに僕たちは文句ばかりを言っている。「先住民族の村ってマネーマネーばかりで嫌だ、観光客慣れしていて全然面白くない。」などと。

ちょっと考えればすぐ分かる。何を言っているんだ!って話だ。土足で彼らの生活にお邪魔しているのは自分たちなのに、彼らのライフスタイルを乱してきたのは自分たちなのに、それなのに「この村はすれている」とか「金ばかり要求してきて嫌だ」」とか、勝手なことばかり言っている。

貨幣経済を彼らに押し付けてきたのは、他ならぬいわゆる先進国だ。それなのに彼らがお金を求めてくると、それに対して不平不満を言う。彼らの村を観光として訪れるのは、みんないわゆる先進国の人々なのに。


人間とは本当に身勝手な生き物だ。自分たちの理想や要求ばかりを他人に押し付け、その理想の姿を崩している1つの要因が自分たちに在ることを省みもせず、不満ばかりを口にする。


ヒンバ族。


本当に、本当に温かい人たちだった。これまでの先住民族の村とは全く違っていた。

しかしその違いが、僕には心の痛みでもあった。

「この方々は、本当は何を思っているのだろう。僕たちのような外国人の訪村を、本当はどのように感じているのだろう。」

しかしそんな僕の想いとは裏腹に、彼らは最後の最後まで僕たちに優しく接して下さった。

そんな彼らを裏切るまいと、僕も全力で温かく接したつもりだ。

彼らの真意は分からない。でも、今はそうすることが、最低限の礼儀だと思った。


1人の外国人として、1人の観光客として、僕は最高の思い出をこのヒンバ族の村で得ることができた。それは紛れもない事実だ。しかしその裏にある「先住民族の村への訪問」」というある種のイベントに対して、僕はさらに考えさせらることとなった。


村からの帰りの車の中で、一緒に村を訪れた日本人の若者が僕にこう質問した。

「ふじもんさん、彼らって幸せなんですかね?」


このブログを読んで下さった方々へ、僕から質問です。

「彼らって幸せなんでしょうか?」

2014年2月20日。ナミビア周遊を無事に終え、再び帰ってきたウィントフックの安宿にて。



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