世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 失いかけている「当たり前」。でもモンゴルにはそれがある!

2014-06-30 18:40:23 | 日記
2014年7月1日。



すげぇいいなぁって思った。



ブルカンからウランバートルに向かうバスの中。モンゴル人はみんな声を合わせて歌を歌っていた。


それも尋常じゃなく長い時間・・・!


「モンゴル人は歌が大好き」ってある本に書いてあったけど、本当にそうなんだなって思った。


でもそんなことよりすごく羨ましかったのは、老若男女みんなで同じ歌を歌っていたこと。


日本なら、そんなことできるかなぁ。きっと出来ないだろうなぁ。


そりゃ一応は「さくらさくら」とか「ふるさと」とか知ってはいるけど、そういう歌をお年寄りと一緒に声を合わせて歌うなんて・・・今の日本人はしなくなってしまった。


でもモンゴルは違った。若い人もお年寄りも男も女も、みんな同じ歌を声を合わせて歌っていた。


モンゴル人はみんな一緒。みんな家族。みんな仲間。きっとそういう意識があるんだろうなぁ。


今の日本が限りなく失いかけている大切なもの。それがこの「モンゴルバス」には在った。




モンゴル人って面白い。バスに乗っていると、平気で寄りかかってきたり頭をもたれかけたりしてくる。


最初は「なんだこいつ?ちょっとうぜ~んだけど!」くらいに思ったんだけど、周りを見るとみんな同じようにしていた。


きっとみんな「仲間」なんだな。態勢がしんどかったら、みんなでもたれかかればいい。


みんなでそうやって家族みたいに生きているんだな。


こんなこと日本でやったら大変だ。マジでヤバイ人扱いされちまうよ。



個人個人が優先されて、大事なものを失いかけている日本。大切なものがまたもう1つ、この「モンゴルバス」には在った。




僕が乗ったウランバートルに向かうモンゴルバス、とにかく故障が多かった。


このバスだけじゃなくて、他のバスやトラックもあちこちで故障したりスタックしたりしていた。


でもその度に、通りかかる全ての車が止まるんだ。困っている車を助けようとして・・・。


モンゴル人って、こうやって助け合いながら生きているんだな。


隣に困っている人がいればお互いに助け合う。


そんなこと当たり前のはずなのに、今の日本ではそれがどこかに行ってしまいかけている。


またまた大切なものがもう1つ、「このバス」には在った。




全部が「当たり前のこと」だ。それなのに、それが出来なくなっている我が国日本。


日本って素晴らしい国だと信じているけど、抱えている病理もまた多い。


何とかしないといけないよな。


モンゴルが世界でベストの国ってわけじゃない。でも学ぶべき点はたくさんある。


長かった40時間のバスの旅。すげぇしんどかったけど、すげぇ得るものもあった。


もうすぐ僕は日本に帰る。こういう気持ちを日本に持ち帰んなきゃいけないよな。文字通り「土産話」だけじゃなく、そこから一歩進んだ行動が出来る人間として。


最初から最後までメッチャ濃かったモンゴル。楽しかったぜ!またいつか会おうぜ、モンゴルさんよ!


2014年月7月1日。予想以上に綺麗で全てが整っていてビビっている、中国は大同の安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 きつい、きつすぎる!これがモンゴル横断『超長距離』バス!

2014-06-30 00:08:57 | 日記
2014年6月30日。


・・・これ?これで40時間も走るの?僕はマジでそう思った、ていうかちょっと焦った。そう、そんなバスに僕はこのモンゴルで出会ったのだ・・・!》


僕はこれまでの旅の中で『耐え難き!過酷バスシリーズ』にはいくつも出会ってきた。ミャンマーの「座席吹っ飛び&埃まみれ呼吸困難バス」ネパールの「スーパー雨漏り&バスなのにカッパと傘着用必須バス」、さらにはタンザニアの「これぞ生き地獄!まさに同時多発ゲロバス」など、その数はけっこうなものに上る。


でもですね、今回のブルカン~ウランバートル・超長距離バスも、相当な上位に入りますよ!そりゃもう、かなりの熾烈を極めるバスでしたよ・・・!


「ウランバートル?明日の午後1時にバスが出るから、それがウランバートルまで行くよ!」


ここは中国・新疆ウイグル自治区との国境から15kmほどの街、ブルカン。な~んもない小さな街なのだが、ここから首都のウランバートルまで向かうバスが出るというのだ。


僕の次なる目的地はウランバートル。メッチャ遠いことはもちろん分かっていたけど、色々と時間のない僕はこのバスで行くしかない!


な~んて言ったところで、長距離バスなんて僕にとっては慣れたもの。「オッケー、午後1時ね!」と楽勝ムードでいたのだが、次の日の朝バスを見て、さすがにちょっとビビった。


「これ?これで40時間も走るの?」


いやだってさ、メッチャぼろいしメッチャ狭いし汚いし、どうみてもこれは「短距離」バスですよ?40時間って2泊ですよ?2回も寝るんですよ?まさかこのバスで寝るってことっすか?


しかし僕は思った。「あ、そうか。ここは小さな田舎町だから、ちょっと大きな町まで行ったらきっと別の大きなバスに乗り換えるんだな!」


なんていうほのかな期待も抱いてみたのだが、そんなもんはあっさりと裏切られた。2014年6月26日午後2時45分(とーぜん1時に出るわけはなし!)、熾烈極まる「ブルカン~ウランバートル・超長距離バス」はスタートしたのだった・・・!



何が辛いって?なんと言ってもですね、狭いんですよ!普通に座ったら膝が前の座席にぶつかるんですよ。常に完全に直立不動の姿勢でいないといけないんですよ!


そう、これは東アフリカのバスと同じだ。既存の座席を取り外して別の座席をぎゅうぎゅうに押し込んでいるパターン。こ~れがきついんだな!乗ったことのある人は、きっと分かってくれるはず!


さすがに僕は焦った。「ホントにこれでウランバートルまで行くのかな?これで2泊は冗談じゃなくきついぞ・・・!」


ということで、恐る恐る僕は運転手に聞いてみた。「ねぇねぇ、このバスでウランバートルまで行くの?」


返って来た答え、それは見事に「Yes!」


うおおお~、マジか、やっぱりそうなのか!このバスで俺は40時間も走るというのか・・・!僕は覚悟を決めた。これはやるしかねぇ!耐えるしかねぇ!と・・・!


しかし辛いのは座席だけじゃなかった。ヤバかったのはその道だ。


始めの数時間は比較的綺麗な舗装道路を走っていた。ウランバートルまでの道だし、さすがにずっと舗装道路だろうと思っていたのだが・・・そんな淡い期待もボコボコに打ち砕かれた。


なんだよおい、こんな大草原、てゆーか大砂漠を駆け抜けて行くのかよ!






いや、これはこれで綺麗だし面白いしいいんですよ。でもですね、道ひどすぎ!スピード出し過ぎ!もうバンバン跳ねまくって、マジで何度ケツが中に浮いたかわかんねぇっつーの!座席かてぇんだからいてぇっつーの!


途中で寄った小さな街でさらに乗客が乗り込み、席はパンパン、道はガタガタ、もう過酷極まる状況!「こ、これはさすがに耐えられんかもしれん・・・」僕はガチでそう思った。それくらい、このバスはきつかった




夕方。


さらに悪いことに、雨が降り出した。


窓際の席で外を眺めながら忍耐力と相談する僕。ふと時計を見ると、午後8時くらい。外はまだまだ明るい。席はぎゅうぎゅうでケツが何度も跳ね上がるほどの悪路がひたすら続く。「ここでどうやって寝るんだ?こりゃマジで眠るなんて不可能だぞ?」そんなことを考えながら座っていると、あああ!


マジかこのバス、オマエもか!


恐れていたことが起きた、そう、それは雨漏り!窓の隙間から僕の右肩に向かって水がポタポタ・・・。しかもそれはなかなかの量だ。よく見ると、けっこう腕まで濡れているではないか!なんだよおいおい、もう勘弁してくれよ~!


「こりゃアカン、マジでこの席には座ってられん!」


僕は日本語で文句を言い、とりあえず席を立つ。すると事情を察してくれた優しいモンゴル人が、1つ席を譲ってくれた。そして彼は通路に置いてあるタイヤに腰を掛けたのだ。


「いいから座りな!大丈夫だから!」


僕は何度モンゴル人の優しさに救われただろう。過酷な状況でちょっとイライラしていた僕だけど、そんなモンゴル人に癒された。そして大事なことを思い出した、「そうだった、もうイライラは捨てたんだった。笑顔笑顔!」


別の席に移り、何とかホッと一息ついたのも束の間、今度はさらに大事件が・・・。


なんとスタック!泥沼にがっつりはまり、バスは完全に立ち往生!


この瞬間、僕は完全に覚悟を決めた。「この3日間はこのバスに捧げよう。どんなトラブルがあっても、全て温かく受け入れよう。そう、どんなことがあっても文句を言うのはなし。これがモンゴルローカルバス、楽しんで行こうぜ!」


しかしここで凄いのがモンゴル人。ザクザク泥を掘っては草をタイヤの下に詰め込み、ものの数十分で車を出してしまった!これには本当に感心した!


ちなみにこのバス、途中で何でもプチトラブルがあったのだが、その度に運転手が直してしまうのだ。これは本当にスゴイ!そして修理の間、草原で昼寝するモンゴル人たちも可愛い・・・(笑)。








そんなトラブルを乗り越え、真夜中・・・。


寝られん!だってマジで狭いし、ぜんっぜん横になれん!道はずっと大草原の悪路だし、寝られるわけねぇし!


・・・と思って周りを見渡してみると・・・あれ?けっこうみんな寝てる感じ・・・?なんで?なんで寝られるの?モンゴル人ってすげぇ!だって身体が時々飛び上がるんだぜ?なんで寝られるの?(笑)


僕は自分のひ弱さを実感した。ダメだな、もっとタフにならんと・・・。


翌日。


状況はな~んも変わらず。


ただひたすらに大草原!たまにゲル!悪路!もうその繰り返し。長い、なんと長いことか・・・。




トイレ?もちろんそんなもんは野原でゴー!女性?もちろん女性も野原でゴー!(笑)


モンゴル人女性はノション&野グソなんて慣れたもの!全然見える位置なのに、ためらいもなくバンバン出しちゃうからスゴイ!(笑)もちろんさすがに写真は撮っていませんが・・・!


え?僕?そりゃ野グソっしょ!そんなの楽勝っしょ!中国の「ニーハオトイレ」の方がよっぽどしんどいっすよ~!(笑)


そんな過酷な状況の中でも、いや、過酷な状況だからこそ生まれてくるのが、モンゴル人たちとの友情!みんなとってもフレンドリーで、色々と僕のことを気遣ってくれるし優しく話し掛けてくれる。仲良くなった大学生のコラルボウくんは少し英語も話すことができ、食事のことや現在位置など色々と教えてくれた。




こういうモンゴル人との触れ合いって本当に楽しい!バスはマジで過酷だけど、この優しさで本当に救われる。


モンゴル人って本当に人懐っこくて優しい。モンゴルに入国して数日だけど、何度その優しさに救われたことか・・・。僕は改めてそのことに感謝した。そして大草原で誓った、俺もそういう人であるようにと!


そして夜。


もう座席ではとても寝られん!ということで、僕は後ろの座席を埋め尽くしていた荷物を適当に動かして、自分の寝床を確保した。まぁいいっしょ!モンゴル人もそうやって場所作ってるし!いや~しかしこの状況、エジプトからスーダンに向かうフェリー以来の状況だわ・・・。


と言っても、なかなか眠れるもんじゃない!荷物だって動くし相変わらずケツは跳ね上がるし、そこは変わらないのよね・・・。


3日目。何が嬉しいって?


やっとこさ舗装道路に戻ったんですよ!


そして天気も最高、大草原が綺麗!これぞモンゴルという景色が続く続く!


ということで、少しだけ元気になった僕(笑)。


予定より数時間遅れたけど、ウランバートル郊外のバスターミナルまで到着した。


いや~いやいやいや、長かった・・・本当に長かった!そしてウランバートルのバスターミナルで地に足を付けた時の嬉しさと疲労感・・・これもたまらんかった・・・!


「ブルカンからウランバートルまではバスで行けますけど、けっこう大変らしいですよ。」そんなアドバイスをある方から中央アジアでいただいていたのだが、それはまさに真実だった。いや、真実どころか「超真実」だった!


ということで、今ここにランクインを宣言します。『ふじもん世界放浪・過酷バス選手権』暫定3位に「ブルカン~ウランバートル・超長距離バス」を認定致します!


おめでとう、モンゴル!そしてありがとう、モンゴル!俺はまた1つタフになった・・・気がするぞ~!


※おまけ♪眠る「朝青龍の娘さん」♪(笑)



2014年6月30日。もはや「宿」の態をなしていない、ウランバートルのとある安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 ありがとう、モンゴルの民よ!ゲルと私と草原の国よ!

2014-06-29 21:56:20 | 日記
2014年6月29日。


《モンゴルの民は温かった。サイコーだった!でも僕は、そこから何を学べるのかを考えた。》


「え?ここ?」


ここはモンゴルと国境を接する街、タケシュケン。いや、とても街とは言えないのかも。砂漠の真ん中に忽然と小さな家や商店が作られただけの、本当に小さな街である。


ウルムチから夜行バスでチンフー(青河)に向かい、そしてチンフーからさらにバスに乗って辿り着いた僕は、最初にそう思った。明らかに人工的に開かれた街が、そこにはあった。


「タケシュケンって国境があるので、そこを抜ければ新疆ウイグル自治区からモンゴルに入れるんですよ。」


そんな小話を聞いた僕は直感的に感じた。「おし、この国境を越えてモンゴルに行ってみたい!」と!ここを抜けて中国へ入った旅人の情報はネットでも全然出てこなかったし、パイオニア感があっていいじゃな~かぃ、この!ってね。


ということでタケシュケンの街から苦労して国境に向かうミニタクシーを見つけた僕はそれに飛び乗り、なんとか国境へ!トラブルもなくモンゴルに入国し、あとはとりあえずの目的地、ブルカンに向かうのみ!


しかし国境を越えてからがビックリ!モンゴル人、みんな優しいでやんの!


入国審査官のおばちゃんでさえ色々話し掛けてきて、日本人だと分かるとすっごく愛想よく優しく接してくれて、手を引いて両替所まで連れて行ってくれた上にタクシー乗り場まで案内してくれて・・・。おばちゃん、アンタ自分の仕事は?って感じですけどね(笑)。


とってもイイカンジでモンゴルに入国し、ホクホクしながらな~んもないモンゴル側のタケシュケンに辿り着いた僕。本当はヒッチハイクをしたかったんだけど、ま~ったく車など通らないので、もう仕方なくおばちゃんに連れてきてもらったタクシーのおっちゃんに頼むことにした。






そして辿り着いたモンゴル西の果ての小さな街、ブルカン。ここもまたただひたすらにな~んもない!


ゴミ捨て場ではブタがゴミ食べてるし!


街に唯一あるというホテルに泊まろうとしたんだけど、ブルカンからちょっと歩くとメッチャ綺麗な川と草原があるんですよね!じゃあ・・・よし、そうか。俺はテントも持っているじゃないか!こんな綺麗な大自然があるのにホテルに行くなんてもったいない。となれば・・・!



「川沿いにテントを張ってキャンプしよう!」


ということで1人川を目指して歩き始めた僕。20分くらい歩いただろうか、とってもイイカンジの川辺に到着。おおおおお、もうこれ最高やんけ!




早速テントを張り、夜に備える。昨夜は夜行バスで風呂にも入れていないし、近くの川で一っ風呂浴びてやろうと色々準備をしていたら、一台のバイクが僕のもとに近付いてきた。そして、


「1人か?こんなとこにいないで、とりあえずこっち来て一緒に飲もう!」


それは地元のおっちゃんだった。少し先にもう1つテントがあったのだが、どうやらそこのおっちゃんのようだ。


言われるがままにそのテントまで行き、一緒にビールをいただいてしまう僕。そしてしばらくするとおっちゃん達が、


「よし日本人、風呂に行くぞ風呂!」


と言いだすではないか。それは要は目の前の川のこと!となれば一緒に入るしかねぇ!僕もおっちゃん達もパンツ一丁になって、いざ川へ!ちょっと冷たいけど気持ちいい~!


ちなみに子ども達はフルチンでゴーゴー!


※ホントにしっかりしている長女のオユンビティックちゃん。いいこでしたぜ!


川の風呂を終えた僕らは再びテントへ。するとおっちゃんの1人が、


「早くテントをたたんでこい。今夜はウチに泊まっていいから!」


ええ?マジすか?いきなりモンゴルゲルに泊まれるとは・・・!なんか最近そんな話ばっかりいただいてしまっているけど、うん、これもご縁だなきっと!よし、甘えてしまおう!


ということでサクサクとテントをたたみ、おっちゃんのバイクに乗っていざ「おっちゃんゲル!」へ!もう本当にモンゴル人、なんて優しいんだ・・・!

※ノーヘル?4ケツ?そんなの関係ねぇぜ!



最近、こんな「優しさ」に僕はたくさん触れている。そしてその度に思うのだ、「果たして僕には同じことが出来るのだろうか」って。


旅をしている日本人はよくこう言う。


「日本に来ている外国人を見かけたら、絶対助けてあげたいって思うよね。」って。


僕もまさにそう思う。こんなに自分のことを助けていただいて・・・本当にその恩返しがしたいなって心から思う。


でも、こうも思う。本当に同じように助けてあげることが出来るのかな・・・とも。


日本に戻って忙しく仕事を始めたら、きっとそんな余裕もなくなる。立ち止まって「どうかしましたか?」の一言さえ言えなくなる気がする。


ましてや「今日はウチに泊まっていけ!」なんて、果たして言えるのだろうか。


いや、別に家に泊めてあげることが優しの行きつく先ではないだろう。しかしいずれにしても、僕がこれまでに感じてきたような「ええ、本当にこんなことまでしてくれるんですか?」というようなことが本当に僕に出来るかって、なんかそんなことを考えてしまう。


「助けてあげよう!」の気概さえ持っていれば、それは難しくないはずだ。でも何故か・・・難しくなるような気がする。


それは今の日本の悪い部分を感じての想いなのかもしれない。見て見ぬふりをしてしまいがちな今の日本人、「触らぬ神に祟りなし」のように、触らなくなってしまった日本人・・・。


もちろん日本人の全てがそんな風になってしまったわけじゃない。田舎に行けば、日本人もとっても温かい。でもこの数十年、基本的に都会で生きてきた僕としては、なんだかそんな「空気の支配」を感じてしまってもいる。


だからこそ!まずは自分がその空気を打ち破ればいいじゃないか!そいういう存在になるためにも、今オマエは旅をしているんじゃないか!そう思いつつも、どんな自分になるのか、なってしまうのか、期待と不安を感じている自分自身がここにいるのだ。



そんな自分の魂の囁きを感じながら、僕はおっちゃんのバイクに乗り、「おっちゃんゲル」に到着した。




もう、みんな優しくて仕方ない。






「おうマサキ、これがモンゴルの伝統衣装だぞ、着てみろ!」と、勢いよく棚の奥からモンゴル衣装を出してくれた。




全然人見知りすることなく、僕にまとわりついてくる可愛い可愛いモンゴルの子ども達。


「もう食えないっす!」と言っても、次から次へとご飯を出してくれる優しいお母さん。


この時、実はモンゴルに入国してからまだ数時間しか経っていないのだ。


本当に温かいモンゴルの時間が、僕を包み続けてくれた。


遊牧民族であるモンゴル人は、伝統的に旅人を大切にするらしい。それは旅人が遊牧にとって貴重となる情報を運んできてくれる存在であると同時に、自らも「旅」をし続けて生きているかのような生き方をする遊牧民だからこそ、旅の最中での「おもてなし」の有り難さを知っているからなのかもしれない。


しかしいずれにしても、このご家族は僕をこれでもかというくらい温かく迎えて下さった。たまたま川辺でテントを張っていただけの、見ず知らず×100くらいの存在である僕に対して・・・。


もう、感謝の言いようがない。この有り難さをどう表現したらよいのだろう。


そして同時に、同じことを思う。


「俺には、これと同じようなおもてなしや手助けができるかな・・・。」って。


モンゴルの人々は、僕に大切なことを教えてくれたのかもしれない。そしてそれは、人としてとっても基本的なこと。とっても簡単なことで、でもとっても難しいこと。


「困っている人がいたら助けてあげなさい。」


誰もが知っていること。でも、誰もが出来ないこと。大切なことの本質は、実は足元にある。目の前にある。心のど真ん中にある。


そんなことを、僕に教えてくれたのかもしれない。


ありがとう、モンゴルの民。ちょっと俺、自分を見つめ直します。


ゴタゴタくだらないこと言ってないで、足元にある本質に立ち返ってみます。



モンゴル西部と日本の時差はたったの2時間。2014年6月26日、日本とほぼ同じタイミングで、太陽は西の空に沈んでいく。



2014年6月29日。ウランバートル中心部に位置するちょっと不思議な雰囲気の安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中国なのに中国じゃない』ところ。そこで僕は考えてみる。

2014-06-24 00:44:17 | 日記
2014年6月24日。


※ウイグル人のモスクと漢民族が建てた高層ビルの不思議なランデブー。僕にはこれが不思議な光景に映る。


《ここは中国、だけど中国じゃない。とっても不思議な空気が流れている新疆ウイグル自治区。ここに来て、僕は思う。世界はもっと平和になれないものかと・・・。》


カザフスタン一の大都市アルマティから夜行バスに乗ってジャルケントまで行き、そこからさらにミニバスに乗ってコロガスという国境に着き、そこを越えてようやく・・・!


やって来ました、ついに中国!


思えば僕の旅のスタートは南米のブラジル。今はワールドカップで盛り上がっているあのブラジルからスタートし、ついにここまで辿り着いた・・・。


なんか感慨深いなぁ。


よくここまで歩いてきたもんだ。



街に溢れる漢字の看板。さぁこの大国を歩いて行くぞ!


ということで、国境を越えて最初にやって来たのがイーニンという街。


そう、中国らしさもあるのだけれど、全然「中国らしく」ないのだ。


※中国風の建物なのに、屋根の上にはイスラムの「三日月」があるのが印象的だ。


次にやって来たのは大都市ウルムチ。


そう、ここも同じような空気が流れている。


その近郊のトルファンもそうだ。中国らしさもいっぱいあるのだけど、「中国らしく」ないのだ。


知識として僕は知ってはいた。この新疆ウイグル自治区の住民の大多数はウイグル人であり、彼らは中国からの独立を強く求めている。近年その抵抗運動は激しさを増しており、死者が出るような過激な運動も行われていることも・・・。


街を歩いていると、不思議な感覚に陥る。


漢民族が築いた街。それはいわゆる普通の「大都市」だ。


高いビルに張り巡らされた道路。大きなデパートに大きな看板。ある意味でこれらは「中国らしい」光景だ。


しかしその裏に、ウイグル人の人々の生活がある。


美味しそうな果物や綺麗な民族衣装、ウイグル人独特の食べ物なのだろう、よく分からないけどアイスのようなものや肉の塊など、まるで表の大都会とは別世界のような通りが一歩裏には広がっている。

女性はみな綺麗な民族衣装に身を包み、男性はイスラムの帽子を被「中っている。至るところにモスクも建っている。そう、そこはまるで西アジアのような世界。一般的に抱く「中国」のイメージとは全然異なるのだ。







そんな世界を見ながら、僕は思うのだ。


「一体この世界には、どんな対立が存在しているの?」って。


もう一度言う。知識として僕は知ってはいた。この新疆ウイグル自治区の住民の大多数はウイグル人であり、彼らは中国からの独立を強く求めている。近年その抵抗運動は激しさを増しており、死者が出るような過激な運動も行われていることも・・・。


見た感じではあるけれど、漢民族もウイグル人も、普通に一緒に生活しているようには見える。


だけど大切なのは「見た目」じゃない。問題なのは「人々の意識」だ。心の問題だ。


僕は本当に腹を割って話を聞いてみたい。この移住してくる漢民族の人々は何を思っているのか、そしてこの地に古くから住み続けているウイグル人の人々は何を思っているのかを・・・。


実は今回、ウルムチに長く住むある方とお会いできる予定だった。しかしスケジュールの都合が合わず、結局会うことは叶わなかった。そのことは僕にとって本当に残念なことなのだが、嘆いても仕方がない。


でも、僕には感じる。ウイグル人の人々の生活が、まるで砂嵐に飲み込まれていくかのように漢民族に飲み込まれていっているのかなっていう雰囲気が・・・。



僕は特定の民族や国家を支持しているわけでもないし、何かの運動に参加しているわけでもない。だけど、何となく感じる。ウイグル人の人々がどんどん建設されていく「大都市」に飲み込まれ、このままではいずれ砂の中に埋もれていってしまうのではないかという奇妙な空気を・・・。


「外」の世界を眺めているだけでは、僕には「真実」は何も分からなかった。平和な空気が流れているようにも見えたし、追い込まれているウイグル人の様子も見えたし、でも普通に優しく接してくれる漢民族の姿もそこにはあった。


今ここでは、本当の現実の世界では、何が起きているのだろう。何が行われているのだろう。


ポッと現れた僕などには、そのことなど何も分からなかった。頑張って空気を吸ってみたけれど、「真実」は何も見えなかった。「表面の世界」しか見ることが出来なかった。


でも、1つ明確に分かったことがある。それは、中国当局が新疆ウイグル自治区での暴動を厳しく抑えているということ。


街中のどこに行っても、迷彩服を着た軍人や戦車が街を監視している。都市間を移動するときは必ず身分と荷物のチェックがあるし、スーパーに入るのにもバスに乗るのにも必ず荷物チェックがある。さすがに「人民軍兵士」に向かってカメラを向けることは出来なかったので、写真は撮れなかったのだけれど・・・(笑)。


「表面の世界」では静かだけど、実は当局が押さえ込んでいる世界が在る。そのことだけはよく分かった。


色々考えながら、街を歩いた。でも、頭の悪い僕には小難しいことはどうでもいい。ただ願うのは1つだけ。


「みんな仲良くしようぜ!」ってこと。


国も組織も会社も大きくなればなるほど色んな利害関係が絡んでくるってのは理屈では分かるんだけど、だけど分からないんだよな。


なんで仲良くできないんだろ?って。


全てを紐解いていったら、全てはすごく単純な気がする。すっげぇ簡単な気がする。


それを僕たち人間が複雑にしちまっているだけで、シンプルに考えていったら結局辿り着く先はとってもシンプルな場所な気がする。


簡単なんだよな、きっと。だけどそれが難しい。人間って不思議なもんだ。


そんなことを考えながら、今日もウルムチに夕日が沈む。もう午後9時なのにまだまだ明るいウルムチの夜。明日もいいことがありますよに・・・。


2014年6月24日。反日番組を共用スペースで流していることに強い違和感と反感を感じているウルムチのユースホステルにて。


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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 綺麗事?矛盾事?だけどかまさせて下さい、僕のゴーマン!

2014-06-23 14:27:00 | 日記
2014年6月23日。

※カザフスタンのガソリンスタンドで撮ったこの写真。僕にはただの「絵文字」にしか見えません(笑)。


《僕にそれを全面否定する権利などないけれど、やっぱり「何か」違和感を感じた。だから、今回のメッセージを書こうと思った。ということで、今回は文章だけでまとめます。ちょっとだけ写真がありますが、本編とは関係ないっす(笑)。どうぞよろしくお願い致します。》


中央アジアのある有名な「日本人宿」でのことだった。その宿の共用スペースでは集まった旅人が夜な夜な色々な話をしているのだけど、その夜、ある男性の旅人数人がこんな話をしていた。


「いやぁ、インドの置け屋はヤバかったすよ。さすがにあれは抱けませんでした。」

「カンボジアの置け屋は安いよね。俺5ドルでいいよって言われたもん。」

「ネパール!ネパール最高でしたね。メッチャ可愛かったですよ!」



「置け屋」とは、要は売春宿のこと。つまり彼らは、どこでどんな値段で女性を買ったかの自慢話というか情報提供話というか、まぁそんな類の話をしていたのである。


僕は別にここで売春や風俗についてどうこう綺麗事を言うつもりなどない。世界の現状を見てみれば誰もが分かる通り、良くも悪くも性産業が社会の一端を支えているという状況は否定のしようがないはずだ。僕だって一応それなりの歳だし・・・あ、何でもないです。自分自身のそーゆー話は身を滅ぼしかねないので、止めておきましょうね(笑)。


何にしても、彼らはそういう話で大いに盛り上がっていた。何度も言うように僕は綺麗事や格好のいい正義論をここでまくしたてるつもりなどないのだけれど・・・何故か僕には、彼らの話が耳障りでならなかった。


それは何故か。どうも僕には、彼らには全く罪悪感や後ろめたさなどがなく、まるで自分たちが凄いことを成し遂げたかのように話してると感じたからだ。


※カザフスタンにも、こんな立派なモスクがあるんですよ~!



今回の旅ではないけれど、僕が東南アジアのラオスを旅していた時のことだ。


僕はある日本人2人と仲良くなった。そのうちの1人がそういう女性遊びが好きで、「ぜひ今夜遊びに行こう!」と持ちかけてきたのだ。

僕はこんなところで女性を買う気など毛頭なかった。もう1人の日本人男性も同じだった。でも、社会科見学としてそういう場所がどういうところなのかは見に行ってみたいと思い、彼についていくことにした。


僕たち3人はラオスではちょっと有名な滝を見に行っていたのだけれど、その帰りにタクシーの運転手に「どこかオススメのところない?」という話をしたのだ。

するとタクシーの運転手が「いいところ知ってるよ!なんなら俺がまた送っていってやるぜ!」となり、僕らはまたそのタクシーの運転手にお願いをすることになった。

夕方、そのタクシーの運転手は僕らのところにしっかりと迎えに来た。僕たちはそれに乗り、連れられるがままにその「オススメの場所」に向かった。

何分くらい走ったのだろう、正直覚えていない。そして車はある小さな村?のようなところに停まった。


「もう事前に連絡はしてあるんだよ。ここで待っててくれ。」タクシーの運転手はそう言い、僕らを待合室みたいなところに案内してくれた。

繰り返すけど、僕はここで女の子を買う気など全くなかった。どういう場所でそのような行為が行われているのかをこの目で知りたいと思っただけで、適当なことを言って断るつもりだった。

「今日は日本人が3人も来ると聞いたから、極上の女の子を用意しておいたよ。」売春宿(村?)のおっちゃんは笑顔で僕たちにそう話してくれた。

そして数分後、女の子が数人僕らの前に現れたのだが、それは衝撃的だった。


なんと、みんなランドセルを背負って学校に行っていそうなくらい年齢の女の子だったのだ。


4~5人はいたと思う。そしてみんな、下手したら10歳にも満たないかと思われるような子どもばかりだったのだ。

僕は言葉を失った。「極上の女性」なんて言うものだから、いったいどんな人が出てくるのかと思ったら、まさかこんな子どもだったとは・・・。

「NoNo,Too Young...」もともと買う気のなかった僕ら2人はそう言って断った。そしてやる気満々だった彼も同じように断った。もっとも彼は、その後別に紹介してもらった大人の女性とやることはしっかりやっていたのだが・・・。


僕はこのとき思った。

「日本人が来るから極上の女性を用意しておいたよ。」と言って、出て来たのはあんな小学生だった。ということは、そういう女の子を好んで買っている日本人がいるってことだよな。だから「日本人が来る」と聞いて、あんな小さな子を用意していたんだよな、きっと・・・。

僕は日本人として恥ずかしくなった。タイなどでも日本人が小さな女の子に対して売春行為をしているというのがよくニュースになっていたけど、実際にそうと思われる現場に遭遇して・・・僕はいたたまれないというか、情けない気持ちになった。

これは僕の「アジア旅」の中で、忘れられない出来事の1つである。

※こんな綺麗なロシア正教の教会もあるんですから、不思議なもんですよね。



日本においても、アメリカでもヨーロッパでも、残念ながらというべきかそういうものだというべきか分からないけど、「性」は大きなお金が動く産業だ。そこには男性からの需要があるから成り立ち続けるものであり、それをアンダーグラウンドに放り込んでしまったところで何も変わらないであろう。


しかしそうは言っても、「性」というものは意識においてはアンダーグラウンドなものであるべきだと思う。男同士で酒を飲みながらそういう話に花が咲いたとして、それはあくまでそういう時だけだ。当たり前に存在している話なのだけれど、やはりどこかで包み隠すべきと言うか・・・僕はそう思っている。


その日本人宿で元気いっぱいに話している彼らの姿を見て、僕は「なんかそれって違うんじゃねぇか?」と感じていた。


いわゆる女性が安く買えるような国、インドやカンボジアなどその最たる国であるが、そのような国々では何故女性が身体を売らなければならないのか、何故小さな子どもまでそのような商売に手を染めなくてはならないのか・・・。そこには只ならぬ背景がある。


僕は聖人君子じゃないし、他の男性に「女を買うなとか!」とか「風俗なんかに行くな!」とか、そんなことを言うつもりなどない。だけど、特に発展途上国と言われている国々においては、並々ならぬ事情でそのような商売に身を置いている人がいることなど想像に難くない。


日本などにおいては、ただお金ほしさにそのような商売に手を染めている女性も間々いることであろう。本当にそういう状況なだけの女性ならまた話は別かもしれないが、そうじゃない国が世界にはたくさんある。それは本当に嘆かわしいことなのに、それを理解もせず「俺はナンボで買いましたよ~」と悪びれず話している姿に腹が立っていたのだ、俺は!


そういう状況を目で見て感じて「何か」を得るために俺たちは旅をしているのであって、そこで安く女が買えるからそれでハッピー♪なんて次元の話のために旅はあるんじゃない!


俺は強くそう思った。


でも、こう言われたらお終いだ。「俺は世界中の女の子を買うために旅をしてるんだ。それの何が悪い?」


そう堂々と言われたら・・・なんも言えねぇ。そりゃ取って付けたような綺麗事で理屈は返せるが、じゃ~オマエの今までの人生はどうなんだ?なんて振り返ってみれば、完全に俺の完敗だ。俺の人生、そんなに誇れるもんじゃねぇ。懺悔したいこともいっぱいだ。


だけど、俺は憤りを感じていた。矛盾しているのは自分でもよく分かっている。だけど、俺は彼らに腹が立っていた。だから今、この文章を書こうと思った。


世界は本当に矛盾だらけだ。何が真実かなんて本当に分からない。ここで偉そうに何かを叫んだところで結局は何も真実なんかじゃない。


そんな複雑な想いを抱えながら僕は明日中央アジア最後の国、カザフスタンに向かう。明日もきっと良いことがありますように、と願いながら・・・。


2014年6月23日。中国初の宿泊場所、ウルムチのユースホステルのリビングルームにて。



※最後に目覚ましを一発、ブタちゃんの頭!




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