世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

~日本の教育を改革しようvol,8~

2013-04-30 13:26:30 | 自論
先日、東日本大震災に関するある勉強会に参加してきました。

その中で強く感じたことがあります。

これは教育の枠を超えて、

今後の日本全体を考える上でとても大事なことだと確信してます。


それは「部分最適と全体最適」のバランス」について。


ある専門家の方が、

「防災教育をすべての学校にもっと広めなくてはダメだ」

と言いました。

そうなんです、それは間違いない。

しかし学校現場にいた私からすれば、

それは理想論なんです。

なぜか?

誰がそれ、やるの?

ということ。



以前別のところで、性教育の充実を訴える方とお会いしたことがあります。

「学校でもっと性教育をしっかり行うべきだ。」

そうなんです、それは間違いない。

でもそれ、誰がやるの?

「担任の先生がもっと勉強して・・・」

とその方は言ってました。

私は反対です。

それは無理です。

いや、無理じゃないかもしれませんが、

絶対充実したものにはならない。



ご存知ですか?

学校の先生って、あくまで「教科指導の専門家」

として雇われているんです。



専門的な方が訴える課題そのものは間違いないんです。

その「部分」は間違いないんです。

しかし、教育全体、とりわけ学校の「全体」と考えると

それは悪にすらなってしまう。

何度もブログで書いてきたように、

学校の先生方は、多岐にわたる業務を「こなしている」現状があります。

その中で、これ以上「部分」を、しかもそこに更なる専門性を求められることは

ハッキリ言って無理です。


専門家の方に悪意などないことはとてもよく分かります。

その「部分」の教育が必要なのは、非常によく理解できます。

しかし、部分部分だけの足りないところを見ていては、

問題はこじれるだけで、絶対に改善しません。


必要なのは、全体を俯瞰することです。

人間の身体の健康と同じですね。

全体を見て、どこがいけなくて健康そのものが害されているのかを理解しなくては、

本当の解決には繋がらないでしょう。


あれが足りないからこれを足そう、

あれが良くないからあれを変えよう、

とやっていては、何にもなりません。


学力が足りない?じゃあ週6日制だ。

生きる力が足りない?じゃあ総合学習を入れてみよう。

いやいや、そんな場当たり的じゃダメなんです。


今の日本の教育には、全身治療が必要です。

部分部分に付け足しをするだけでは、無意味です。

システム全体に、メスを入れる必要があります。


時間はありません。子ども達のために、

皆で教育を本気で見つめ直さなくてはいけない時が来ているのではないでしょうか。



すべては子ども達のために

ふじもん


~日本の教育を改革しようvol,7~

2013-04-25 18:04:36 | 日記
先日、とある教育系の事業を進めている大先輩と飲んで参りました。

色々と込み入ったご質問をさせていただこうかと思っていたのですが、
ざっくばらんな教育談議に終始しました(笑)。

深い見識をお持ちの方なので、一つ一つの言葉の重みが違ったのですが、
その中で一番心に響いた言葉がこれ。


「日本の学校は、先生が失敗することをもっと許される環境が必要。」


新しいことにチャレンジするということは、当然リスクが付きまといます。

リスクなくして改革も成長もないですよね。

それが許されない土壌が、学校には根づいてしまっているとのこと。
同感です。

「現状維持」がベストになってしまっている。
「出る杭は打たれる」が通常になってしまっている。

新たしいことをしようとしても、なかなかリスクを負えない環境になっている。
若い先生ほどそうでしょう。

そして単純に忙しすぎて、新しいことに挑戦する気力も体力も
そのための研究も準備も、出来ない状況に陥ってしまっているのではないでしょうか。

教育現場は「負のスパイラル」に陥っている気がします。
どこかで負の鎖を切らないと、このままさらにズルズルと
悪い方向へ行ってしまうでしょう。

今こそ、みんなで気付き、動き出す必要があると思います。

「学校って、そういうもんだよね」
「先生の仕事って、そういうもんだよね」

この「そういうもの」を一度遠くから俯瞰し、
「本当にそういうものなのか」をリアルに考える必要があると思います。

常識は常識であり続けることはありません、良い意味でも悪い意味でも。

日本の学校の「常識」は、世界の学校の「常識」ではありません。
そして世界の「GOOD」は、必ずしも日本で「GOOD」なわけでもありません。

世界を広く見て、新しい教育の形に大きく発展する必要を強く感じています。
日本の「GOOD」は、日本で創り出すしかないでしょう。

しがみついていてはいけませんよね、いつまでも。
変化を恐れていては何も始りませんよね、いつまでも。


すべては子ども達のために

ふじもん

~日本の教育を改革しようVOL,6~

2013-04-18 14:59:14 | 日記
ちょっと用事がありまして、先週の数日間、ある高校の
通信制キャンパスにお邪魔しておりました。

元々私も通信制高校で仕事をしていたので慣れたものなのですが、
このようなシステムの学校、私はすごく可能性があると思っております。

通学も自由だし、何時に学校に来るのかも自由。
もちろん通常の教科の授業もありますが、
総合の授業などでは何か分野のプロフェッショナルをお呼びして
授業を行ったり、みんなで何かの企画をしたり・・・。

この高校では、映画の撮影もしていましたね。
それが単位となるのですから、面白いですよね。

総合学習の時間なども、自分たちで何をするのかを考えて
実際に行動することもあると聞きました。

一般的な公立学校とはかなり異なるのが通信制の学校です。

私は思うのですが、
このような学校のシステムこそ、今後より必要になってくるのではないでしょうか。

学校である以上、人間としての最低限の教養、マナーは
絶対に教えなくてはならないでしょう。
人として許されざることは許されないと、そこは譲ってはいけないと思います。

しかし、「学び方」という面で言えば、世界は大きく動いています。

これまでの学校のように、必ずしも教室にビシッと座らせて、
先生が一斉授業で前で話して、みんなきちっとノートをとって・・・
という形でなくても、学びの場は存在できるのではないでしょうか。

これほどまでにネット環境が発達しているのですから、
どこにいたって勉強はできます。

知識を詰め込むだけの教育では、もう時代遅れなのは周知の事実です。

そして仕事自体も、必ず何時から何時まではオフィスにいて・・・という必要性も
なくなりつつある時代です。

学校の形も、もっと変わっていかなければいけないですよね。

別にずっと教室にいなくても、「学び」自体は可能です。

1つのモデルとして、通信制のような学校は面白いのではないでしょうか。

先日もオランダの教育体制について書かせていただきましたが、
日本とは大きく異なる点も多いです。

もちろんオランダの教育全てが優れているわけではないでしょうが、
上手くいっているものは上手くいっているものとして、
お手本にすべき点も多いのではないでしょうか。

私は将来的には、新たな「学びの場」を作りたいと目論んでいます。

そのためには、もっともっと自分自身が学んで、
世界を見る必要があるな・・・と、しみじみ感じます。

頑張らないとな・・・!(笑)


すべては子ども達のために

ふじもん

~日本の教育を改革しようvol,5~

2013-04-15 23:25:59 | 日記
先週末、オランダの教育についてのワークショップに参加してきました。

その名も「ピースフルスクール・ワークショップ」

オランダの約1割の学校で、この「ピースフルスクール」のシステムを取り入れており、
大きな成果をあげているというのです。

肝となっていたのは、
・違いを認め合うこと
・違いがる故の対立の存在は当然であること
・違いを認め合えるから、子ども達は気持ちを表現することができること
・違いを認め合えるから、みんな1つであるという感覚を持てるということ
・対立を子ども達自身で解決する術を持っていること

などと言ったところでしょうか。
具体的なことはここでは言えませんが、とても有意義な時間でした。

有意義ではあったのですが、私自身の感覚としては、
それほど「目からうろこ」のような感じではなかったのです。

これは「良い意味で」なのですが。

もちろん1つ1つのメソッドは素晴らしかったです。
ですが、それがまったく日本の学校で行われていないかというと、
そんなことはないと思ったのです。

私が参加していて思ったのは、いわゆる「良い先生」と言われている先生は
同じようなことをやっているのではないかと思うのです。

では、何がオランダでは良くて、
何が日本では良くないのでしょうか。

それは、「構造」だと思うのです。
まさに「構造問題」ですね。

日本の場合、誰かが素晴らしい実践をしていても、それが共有化されにくい。
それがシステムとして形作られ、しかも外部から提供されるという状況は考えにくいですよね。

オランダの学校の先生は、ほとんど異動などないと言っておりました。
しかし日本の公立学校は異動ばかり。
もちろん異動のすべてを否定するわけではありませんが、2年や3年で校長も変わってしまうようでは、
システムも根付かないものです。

オランダではワークシェアが進んでおり、先生方が朝から晩まで、
しかも週末まで仕事ばかりということはありません。
しかし日本の教員は、下手したら週末も全部部活です。
帰りも毎日遅い。
これでは、新しいシステムを学ぶ暇も取り入れる余裕も生まれません。

などなど、「先生一人一人」の問題ではない、全体としての要素が大きいのではないでしょうか。

このへんの話は、以前のブログでも書いたことがあります。

もちろんオランダのすべてが素晴らしく、まったく問題がないわけではないでしょう。
講師の方々も、そのことはしっかりと述べていました。

日本の教育、日本の学校にも素晴らしい点はたくさんあります。

それを活かしつつ、足りないものは足りないと全体を俯瞰し、
いかに新しいものを作っていけるか・・・。

さてさて、壁は厚く高いですが、悲観している時間も
悲観する必要もないと思います。

なんだかんだ言っても、私たち日本人は、いつだって立ち上がってきました。

よし、俺もできる限りのことをやったるわ!と、
静かに奮起しているのでありました。笑)


すべては子ども達のために

ふじもん

~日本の教育を改革しようvol,4~

2013-04-11 21:52:26 | 日記
学校で勤務していて気になっていたことの1つに、
「過剰な清潔対策」があります。


今回はちょっとその点について・・・。

あくまで私の個人的な意見ですが、
「人間なんて、もっと不潔な中にいていいんだよ」と思います。

いやいや、もちろん限度がありますので、
最低限の衛生環境はもちろん必要ですよね。

しかし学校だけでなく、日本の社会全体が異常なまでに
「抗菌思考」になっていることに違和感を感じているのは
私だけではないはずです。

では学校ではどうなのか?
例に漏れず、また然りです。

私が「そこまでするの?」と思ったことの1つに
給食前のアルコールスプレー消毒があります。

これは、各クラスの給食委員が、給食の前にクラス全員に対して
アルコールスプレーをし、手の消毒をするものです。

私は正直、違和感を感じました。
「そこまでする必要あるのかよ」と。

ちなみに私は一度もしたことはありません(笑)。
「俺はいいからパスね」と、毎回断ってました。

みなさんはどう思われますか?

もちろん私は専門家ではないので、どの程度の汚れから
本当に手洗いや消毒が必要なのかは分かりません。

しかし、普通に給食を食べるだけなのに、わざわざそこまで・・・
と感じてしまいます。

もう1つビックリしたのが、教室で生徒が嘔吐した時の対応です。

ノロウイルスなどもありますし危険なのは分かりますが、
同じく「ここまでするのか」と思いました。

全員を教室から出した後、教室全体にバンバン消毒薬を撒いていたのです。

学校の一先生が行う作業なのかと、度肝を抜かれました。

一定期間教室には入れず、しばらくしてから教室へ。

私の感覚では、その消毒薬で逆に身体がやられてしまうような・・・
そんな感じがしました。

学校に限らず、また子ども達に限らず、今の日本人は
「抗菌」しすぎですよね。

ぶっちゃけ、私は食事前でもあんまり手洗いをしません。
レストランなどのお手拭きも使いません。
必要ないと思っているんです。

それが本当に正しいのか分かりませんが、
少なくともこの十数年、まったくもって元気です(笑)。

写真のように、みんなでバタバタと暮らして、
「清潔はそこそこ」くらいでもいいと思うんだけどな・・・。

この行き過ぎた「抗菌文化」、子ども達を軟弱にしているだけのような
気がしてなりません。

このような保健の面からも、学校を考える必要があるのではないでしょうか。


すべては子ども達のために

ふじもん