世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 大自然。やっぱりそれは偉大な教え。】

2013-12-26 16:48:00 | 日記


2013年12月23日。

《人の生き方に影響を与えるものって色々ある。僕はその中でも、自然って凄い力をもっていると思う。とんでもない大自然に触れたとき、人って必ず「何か」を考えさせられるものではないだろうか。》


すげぇなぁ。「地球離れしている景色だよ!」とは聞いていたけど、マジで他の惑星みたいだわ。


マジかよ・・・地球って生きてるんだなぁ。地球の血液が噴き出しているみたいだ・・・。


とんでもない大自然に触れたとき、人って自分の小ささを知る。

自分の存在が、良い意味でハナクソみたいに思える。

「生きているのではなく、生かされている。」そんな気持ちになる。


僕は思う。今の人類に必要なのは、この感覚なんじゃないかって。


ここ数百年、人類は横暴過ぎた。

「俺らは何でもできる!自然なんて支配してやるさ!」くらいに思っていたのだろう。

そのツケが、今回ってきた。そのツケが、人類を襲っている。

それも、もはや取り返しがつかないくらいに・・・。


僕たちは、生きてなんていなかったのだ。

僕たちは、生かされているだけだった。



僕たちは、神なんかじゃなかったのだ。

僕たちは、人間だった。



人間である僕たちは、今自らの「業」の清算をしなければならない。

並大抵のことじゃない。素人の僕にだって分かる。


僕は常々「日本人」を論じているけど、もはや本当は「日本人」なんてものを超えなくてはいけないと思う。

僕らが生きる、いや、生かされている大地そのものの住人としての意識。

それが必要なはずだ。


俺らは完璧なんかじゃねぇ。

俺らは何1つコントロールできてなんかいねぇ。

俺らは無力なんだ、この大自然の前では。

この、地球という大地の前では。



このものすげぇ景色の前では、ホントに自分がハナクソになる。

それは自分を卑下するのではなく、「足るを知る」ことだと思う。

人類なんて、人間なんて、そして自分なんて、そんなもん。

そんなもんなのさ、所詮!


年収何億あったって、すげぇ高い社会的地位があったって、

この溶岩、コントロールできるか?



こんなイカれた大地、造れるか?


本当に大事なもの。本当に描くべき理想。本当に僕らがすべきこと。

その本当の答えは僕なんかじゃ分からないけど、「そーゆーことガチで考えろ!」って、言われている気がしてくる。


今人類は、もっと謙虚にならなければいけないと思う。

今人類は、本当に変わらなければいけないと思う。


僕たちは皆、この地球に生かされている。

経済がどうとか政治がどうとか宗教がどうとか資源がどうとか、そんなん言ってる場合じゃねぇ。

人類はもっと「足るを知る」ことが必要だ。

僕たちは今、行き方そのものの態度全てを変えるべき時なのだ。


遥かなるエチオピア大地は、改めて僕にそのことを考えさせてくれた。


「生きている」のではなく「生かされている」へ。

「私」ではなく「公」へ。

「国益」ではなく「世界益」へ。



噴き出す溶岩は、僕たち人類への怒りのようにも感じられた。


さぁここから僕はどう動くのか?

エチオピアの大地という大先生の教えを、僕はどう活かすのか?

僕は僕の「足るを知って」、目指すべきものに動いていこう。きっと全てはそこからだ。


2013年12月23日。予想以上に寒くて困っている、アディスアベバの安宿のテラスにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 エチオピア・ウンコの神様】

2013-12-25 00:44:03 | 日記


2013年12月20日。

《この写真を見て下さい。トイレはどこにあるでしょうか?》

ここはエチオピアの僻地、ダナキル砂漠にあるエルタ・アレ火山の麓。


どこまでも広がる荒涼とした大地。


何という解放感、爽快感!気持ちがいいもんだ。


でも、どこにいても人間である以上したくなるものがある。

それが、ウンコ。

「でも、どこでするの?」

「ははは!決まってるじゃねぇか!トイレなんかあるわけねぇだろ!そこいらでするんだよ!」


そう、こういう場所に来た時は、当然野グソということになる。そんなの旅をしていたら当たり前だ。


さ~て、んじゃ俺も一発かますか!

ブリブリブリ・・・。

見渡す限りの大平原でかましてやるウンコ。悪くねぇぜ!

おし、バッチリ出たな。さて、こいつをどうするか・・・。


僕は、自分のウンコを眺めて考えた。

「何だか、こんなにじっくり自分のウンコを見るのなんて久しぶりだな・・・。」


僕はウンコから「人生」を考えた。

今の日本はほぼ100%水洗トイレで、しかも洋式である。ウンコをした後は、サッと流してそれでお終い。

自分のウンコをじっくり眺める人なんて、普通いないだろう。


でも、ここは何もない大平原。もちろん野グソ。

野グソをすると、自分のウンコをじっくり見ざるを得ない。

僕は考えた。

「世界中の人が、毎日これをかましてんだよな・・・。」

世界の70億人が、このウンコを毎日している。そう考えたら、何だか怖くなってきた。

70億人分のウンコって、どんな量になるんだ?

いや、日本だけでいい。1億人分のウンコって、どんな量になるんだ?


僕たちは普段、ウンコをしても何も考えずにただ流してお終い。

その後どうなるの?ほとんどの人が、知ったこっちゃないって話だろう。

でも、昔は違った。

ウンコは大切な飼料であり、再利用すべきものだった。

江戸の街での糞尿の再生利用システムは、非常に行き届いていたと聞いたことがる。

きっと昔の日本人は、もっとウンコが身近にあったに違いない。

その価値もその臭いもその鬱陶しさもその素晴らしさも、もっと肌で感じていたに違いない。

ちょっと昔は、ボットン便所も多かった。

嫌でも他人のウンコを目にしたし、その臭いも感じるしかなかった。


でも、今はどうか。

バシャッと流して、はいさようなら。

文字通り、臭い物に蓋をするって感じだ。

でも僕たちは人間である。

生きている限り、必ずウンコをし続ける。

どんなにカッコイイ奴だって可愛い女の子だって善人だって悪人だって、みんな必ずウンコをする。

ウンコをしない人間なんていない。


僕は、ウンコを見つめて考えた。

「こいつに蓋をしちゃいけないんじゃないかな・・・。」

ウンコは臭いし汚い。そりゃそうだ。

でも、誰もがするもの。ウンコなしの人生なんて有り得ない。

だけど今の日本は、ウンコの存在が消えかけている気がする。

別にみんながみんなウンコの研究をしろってわけじゃないし、ウンコがない清潔な街ってのは素晴らしい。

別にウンコまみれの街がいいなんてことはもちろんない。衛生的な日本の街はホントに素晴らしい。


でも、人間である以上死ぬまでお付き合いするウンコがどうなって処理されていくのかって、もっと知らなければいけない気がする。特に、日本人は。

僕たちは、臭い物に蓋をしちゃいけない気がする。

ウンコと直接繋がるのかどうかは分からないけど、日本人って、どうもやっぱり「臭い物に蓋をする」精神が強い気がする。

臭い物とか痛いこととかきついこととか辛いこととか、ちょっとマイナスでネガティブなものに、もっと日本人は逃げずに向き合わなければいけない気がする。

そういうマイナスでネガティブなものから完全に逃れることは出来ないんだし、それがあっての人生なんだから。


全てのものに正面から向き合い、それを受け入れ、蓋をせず、人生を生きていく。

そういう姿勢が必要なんじゃないかって思う。


目を背けたくなるような現実があってこその世の中であり、その中で僕たちは生きている。

それを僕たちは、もっと知らなければいけないと思う。



荒野に放たれた僕のウンコ。

僕はササッと砂をかけた。あとは大地に還っていくのだろう。

たかがウンコ、されどウンコ。

今日はウンコが、僕に「人生」を考えさせてくれた。

我以外皆師。ウンコだって大事な先生だ。

今日はどうもありがとう、ウンコ先生(笑)!エチオピアのウンコ先生、また会う日まで~!

2013年12月20日。遥かなるエルタ・アレ火山を臨む、麓のベースキャンプにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 ビジネスinエチオピア!ふじもんタクシーカンパニー!】

2013-12-23 23:23:14 | 日記




※Wi-Fiが弱くて写真が全部アップできないのですが、そのまま投稿しちゃいます。すいません・・・。

2013年12月19日。

困ったことになった。

エチオピアでどうしても行きたい場所が僕にはあった。それは「ダナキル砂漠&エルタ・アレ火山」。世界中を旅した人たちが、ナンバーワンにも挙げている場所なのだ。

しかし、このダナキル砂漠&エルタ・アレ火山に行くには、マケレという街まで行かなければならない。そしてオススメの参加したいツアーが、なんと明後日出発だというのだ。僕みたいな1人旅の人間にとっては、ツアーに参加するときは誰かと一緒に参加しないといけない。1人だとツアーが出なかったり、莫大な金額になってしまったりするからだ。

ラリベラからマケレはけっこうな山道を抜けていくので、1日では辿り着けないという。さて困った。僕は明日1日でラリベラからマケレまで辿り着かなければならない。

ラリベラの宿のおっちゃんはとても親切で、かなり信用のおける人だった。僕は宿のおっちゃんに、1日でマケレまで行ける方法はないかと相談した。

すると「車をチャーターしちゃえば行けるよ」とのこと。しかしそれには、なんと1日200ドルかかるという不可能ではないが、さすがにそれはちょっときつい。でも、明後日からのツアーには何とか参加したい!さて、何か方法はないものかと考えていたのだが、僕はふと思った。

「車はどうやらミニバスタクシー用のハイエースらしい。ということは、他の人を乗せることも可能ということか?」

僕は宿のおっちゃんに相談してみた。すると、

「タクシーか。おう、可能だぞ。やってみるか?」

おお、なんと!マジでそれ可能なのか!僕は一瞬悩んだが、どうしてもそのツアーには参加したい。ということで・・・!



『2013年12月17日。ラリベラ⇒マケレ・ふじもんタクシーカンパニー設立!』

社長:俺。

副社長:俺。

役員、監査、会計、その他:全部俺。


資本金:175ドル。(なんとか25ドルまけてもらった。)

社員:ドライバー1人、車内でのお金回収役1人、計2人。(賃金は175ドルから支払い。)

設立目的:俺がマケレまで行く移動費の負担を少しでも減らす!ただそれのみ!

収支予想:マケレまでの距離や移動時間を計算した結果、まず175ドル分を稼ぐことは不可能である。しかし、頑張って客を集められれば、70~80ドル分は稼げる可能性がある。黒字にすることは到底不可能であるが、元々無理な日程での移動であり、何とかツアーに参加したい社長の負担を減らすために、目標75ドル分稼ぐ!


ということで、12月17日の午前5時、意気揚々と『ふじもんタクシーカンパニー』は出発をしたのだった!さぁさぁさてさて、その結果は・・・?


『ふじもんタクシーカンパニー・収支報告』

移動時間:約12時間。

集客人数:よく分からんけど、少なかった・・・。後半は座席は空きっぱなしだった。

収入:約900ブル。(約47ドル。全然目標に達せず!)


分析結果:

①僕はバスターミナルで、ガンガン客を集められるものだと思っていた。しかしそれにはちゃんとした許可が必要らしく、それが出来なかったのだ。もし客集めをして警察に見つかったら、なんと3000ブルの罰金だという。なんてこった、クソ!それを先に教えてくれよ!

②仕方なく街をゆっくり走りながら窓から叫び、客寄せをしてみた。しかし、移動したい人はみんなバスターミナルに行っているのであり、なかなか人が集まらない!

③途中の街で闇ブローカーを雇い、バスターミナル付近にいる人に声をかけてもらい、何人か連れてきてもらった。ブローカーへの支払いは50ブル(約2.6ドル)。これは上手くいった!十分に50ブル分以上の収入を上げてもらった。

④しかし、ブローカーを雇って人集めができるような街はとても少なく、全然人集めが出来ない。バスターミナルに入ることはリスクが大きく、やはりそれは出来ない。バスターミナル付近にはほぼ必ず警官がいて、とても近づけない。ちなみに2回も警官に呼び止められた。

⑤ということでその結果、合計約900ブルの収入に留まった。


感想:

①バスターミナルに入れないなんて知らなかったぞ!それが全ての元凶だった!

②ドライバーも回収役もとってもいい人だったので、それは良かった。普通に楽しかった!メッチャ友情育めた!

③俺は頑張った!頑張ったんだぞホントに!料金回収役と一緒に窓から目的地を叫び、頑張って人集めをした!やるだけのことはやった!

④結局130ドルの負担・・・。う~ん、正直かなり痛い・・・。けど、移動自体はすっげぇ楽しかった!ミニバスタクシー経営者の気持ちが分かったし。ぼったくりたくなる気持ちもホントによく分かった。こりゃ1ブルでも多く取りたくなりますね!貴重な経験だったから、良しとします!

教訓:

何事も、もっと下調べをするもんですな。でも楽しかったから良し!素晴らしい経験だったから良し!これもまた旅ですな!以上!

2013年12月17日。ようやく辿り着いた目的の街・マケレにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『バストラブル!inエチオピア』】

2013-12-16 20:14:22 | 日記


2013年12月17日。

《僕がこの旅の中でどうしても行きたかった国の1つ、エチオピア。しかしそのスタートは、厄介なトラブルの連続だった。しかしそのトラブルを受けて、僕はまた1つ考えさせられた。》

旅人の間で、たまにこう聞く。「スーダンって何もないけど、人がとにかく善いよ」と。

その話は本当だった。確かにスーダンの観光資源は乏しいのかもしれない。しかし、その「人」の素晴らしさはマジで凄かった。スーダン人を世界遺産にすればいいのに」と、冗談交じりで言っていた日本人がいたが、本当にそう思ってしまうほど「人」が素晴らしいスーダンだった。


旅人の間で、たまにこう聞く。「エチオピアって綺麗だし色々あるんだけど、人がちょっとね・・・」と。

そんな話を耳にしていた僕は、スーダンから陸路の国境を越えてエチオピアに入国した。僕にとって初のエチオピア。そんな話を聞いていたし、さてさてどうなることかと思っていたのだが、早速バスでトラブルが発生!

いや、だからと言ってもちろんエチオピアが悪い国だなんて決めつけるわけじゃないですよ!メッチャ良い人もホントにたくさんいます。ただ色々起きてしまったのはホントの話。今回は、そんなバスとラブの話でございます。


バストラブルinエチオピア:①荷物代?謎のバス代ぼったくり事件簿。

スーダンから国境を越えて、まずはバスに乗ろうとした僕。行き先はゴンダールという街。バス乗り場のおっちゃんに聞いたところ、目の前にいるバスがちょうどゴンダールに向かうところだという。

「おし、これはラッキー!」と、バスに乗ることにしたのだが、さて、値段はいくらか。僕は運転手に確認をした。

すると「70ブルだよ」とのこと。事前に色々調べていたので、これはおそらく適正な値段だ。よし、ならOKと思いバスに乗ろうとすると、おっちゃんが言った。「人間は70ブルだけど、荷物代は100ブルだよ」と!

は?俺は70ブルなのに荷物で100ブルだと?ふざけんな、そんな馬鹿な話があるか!

というこで、エチオピア初のバスなのに、早速紛争が勃発!バスでよくぼられるから気を付けて」という話は聞いていたが、やれやれ、早速やってきたか。

「荷物代で100ブルなんておかしい!そんな料金必要ないことは知っているぞ。旅行者だと思ってウソつくな!」と、強硬な態度に出た僕。もちろんガチで譲る気はない。

しかし相手も強硬だった。運転手もガチで100ブルを譲らない。さぁ長い戦いになるぞ・・・と覚悟を決めたのだが、そしたらなんと・・・!

この運転手は僕の荷物を天井(エチオピアのバスでは、大きな荷物はバスの天井に乗せます)から放り投げたのだ!これにはマジでムカついた!ふざけやがって、この運転手め!

しかし僕も今日のうちにゴンダールまで行かなければならない。時間はもう夕方、こんな何もない国境の街で時間を無駄にしたくはない。だが運転手も100ブルを譲らない。これは困ったというところで、冷静に話を聞いてくれる別のおっちゃんが現れた。

何を話してくれたのかは分からない。しかし、この別のおっちゃんが運転手を諭してくれたようで、何とか荷物代は30ブル、合計100ブルでどうだという結論になった。

本当は30ブルでも払いたくなかったが、もはや時間はない。止むを得ず僕は100ブルで手を打った。

「エチオピアのバスは謎の荷物代の請求があるから気を付けて」という話は聞いていた。いや~初のバスでこんなに苦労するとは・・・。やるじゃないか、エチオピア!しかし人間が70ブルで荷物が100ブルとは、なかなかやってくれたぜこのおっちゃんめ!最後に僕がバスを降りたときの笑顔が妙にムカついたぜ、ちくしょーめが!


バストラブルinエチオピア:②なぜ値上がり?謎のバス交渉人事件簿。

何はともあれ無事にゴンダールに着いた僕。ちょっとエチオピアでの時間がなくなってしまった僕は、この街はバスターミナルの近くで一泊のみして、すぐに次の目的地ラリベラに向かう予定だった。

次の日の朝。バスターミナルに向かった僕は、早速ラリベラに向かうバスを探した。どうやらラリベラに直接行くバスはなく、ガシェナという街で乗り換えをするしかないらしい。そこでガシェナ行きのバスに乗ろうとしたのだが・・・。

ここでまた紛争発生、バストラブル第2号だ。

僕はバスの運転手に直接交渉をしたいのだが、何故か横から色んな人が割って入って来る。そして彼らは、どうやらバスの値段を吊り上げているようなのだ。

「エチオピアのバスは地元の仲介者が入ってきてバスの値段を上げてくるから気を付けて」という話は聞いていた。そして彼らは、その吊り上げた分のマージンを懐に入れるのだ。やれやれ、なんと分かりやすい。情報通りじゃないか。さ~て、結局いくらになっているのか・・・?

ガシェナまでの適正値段は、どうやら100ブルにも満たないらしい。しかし僕に提示してきた値段は、なんと250ブル!いや~これまた盛ってくれたね!

ということで、第2次バス価格交渉戦争が今ここに勃発。目標は100ブルまで下げること!もちろん今回も譲る気はない。ガチで戦う気でいた。

しかしこの運転手もまた強硬だった。日本政府もこのくらい強硬だったらいいのに、と思うほど、全く譲らない。直接話そうとしても、謎の交渉人が割って入ってくるし。オマエらは引っ込んでろっつーの!しかもバスの座席はほぼ埋まっており、のんびり交渉している時間はない。

押してもダメなら引いてみろ!ということで、上手いこと運転手に笑顔を送ったり握手をしたりしながら交渉を進める。そして何とか下げられたのが、150ブル。全く納得はいっていないのだが、もはやバスの座席に空きはない。僕は仕方なく150ブルで手を打った。

しかし何なんだ、この謎の交渉人は?いきなり話に入ってきて、突然値段を僕に言ってくる。しかもそんな輩が何人か集まって来るのだ。そんな奴らも相手にしつつバスの値段も聞かなければならないのだから、これはなかなかなにエネルギーを使うのだ。まったく面倒臭い。

ちなみにラリベラの街では、水を1本買うのにもこの交渉人が入ってきて値段を吊り上げようとされたことがあった。全く腹が立つぜ、この謎の交渉人め!もう二度と関わってくんじゃねぇ!頼むからバスくらい大人しく乗らせてくれ!


バストラブルinエチオピア:③やられた・・・。バス荷物盗難事件簿。

先にも述べたように、エチオピアのバスでは大きな荷物は天井の上に載せることが多い。何とか無事にガシェナに着いた僕は、最終目的地ラリベラに向けてバスを乗り換えようとしていた。

どうやらすぐ横のバスがラリベラに行くらしい。信用できそうなおっちゃんに聞いたところ、バス代は30ブルでいいとのこと。よし、じゃあ30ブルで交渉してやる!

そして言われた値段、これまた破格の150ブル。なんやねん、この国のバスは?3連チャンで1回も適正な値段を言われたことがない。もういい加減に腹立ってくるわ!

「ふざけんな!俺は30ブルだと知ってんだよ!なめんじゃねぇ!」という勢いで強硬な姿勢に出たところ、あっけなく値段は30ブルに下がった。ホントにもう嫌になるわ。なんで毎回毎回こんな交渉しなくちゃいけないのさ!あ~面倒臭い・・・!

ムカついたものの、値段はあっという間に下げられたのでホッとした僕。荷物を天井に載せ、バスに乗り込んだ。しかし悲劇は、この後に起こったのだった。

舗装されていない荒れた道を走ること2時間以上、ようやくラリベラに辿り着いた。バスを降りて荷物を受け取る。しかし、何かおかしい。バックパックを覆っていたカバーが妙にずれているし、外れるはずのない止め具が外れている。

「あれ?変だな・・・」と思いつつも、僕はさらに小さなミニバスに乗り換え、目的の宿に向かった。

宿の部屋に入り、バックパックを開ける。そこで僕は、あの時感じた違和感の答えを初めて理解した。

「しまった、やられた!中身をパクられた!」

油断もしていた。とっても平和なスーダンに慣れてしまっていたせいもあってか、バックパックにしっかりロックをしていなかったというのもある。しかしそれでも、荷物を天井に載せるところは常にしっかり確認していたし、荷物を縛り付けるところもこの目で見ていた。それなのに、荷物を盗られてしまった。どうやら荷物を縛り付けながら、隙を見て中身を掠め取ったのだろう。

パクられたものは、ジャケットとレインコートと靴下。まぁ全て何とか取り返しがつくものなのでよかったが、問題はそういうことではない。荷物を盗られてしまった自分にも腹が立つし、何より盗んだ奴が許せない!ちくしょー、ここまで俺と一緒に旅をしてきた大事な大事な戦友なのに、奴らを盗りやがって!奴らは俺の大事な仲間なんだぞ!

しかもですよ、エチオピアに入ってこれで3回バスに乗って、全部トラブルがあるんですよ?1回たりともすんなりとバスに乗れた試しがないんですよ。全部いちいちトラブルが起きているんですよ!何なんだこの国はって、正直思ってしますよ!そして「2度あることは3度ある」の3度目は盗難ですよ!もう最悪ですよ・・・!


でも、熱くなる頭を抑えてラリベラの街を見てみた。

そう、貧しいのだ。


エチオピアの第一印象。それは、僕が想像していたよりも遥かに大きな「貧しさ」がそこにあった。

イライラする頭を抑えて、僕は冷静に考えた。font color="green">「彼らだって、きっと好きで外国人から多くの金を取ろうとしているのではない。そこには貧しさがあるのだ。彼らだって、きっと好きで外国人からものを盗ろうとしているのではない。そこには貧しさがあるのだ。」
と。

すると、スッと頭が冷えた。料金を高く請求されることもものを盗られることも、もちろん気分の悪いことだ。盗まれることに至ってはもちろん許しがたい。でも、「何故それが起きるのか」を冷静に考えたとき、怒りやイライラの先の真実や背景を、僕は理解しなければいけないと思った。


正直、エチオピアの第一印象が良いか悪いかと聞かれれば、悪い方に傾いてしまう。でもその裏には、一朝一夕では解決できない世界的な問題が存在している。神様がいるのかどうかは分からないけど、僕がエチオピアで早々に出会った苦難は、そのような世界的な問題にもっと目を向けるようにと、きっと神様が仕組んだことなのだろう。

僕はそう思うことで、心の内をまとめた。


僕の究極の目標、それはいつも言っている通り「世界平和」。このエチオピアでの出来事も、そのためのステップなのだろう。

色々あったけど、空は青いし山も美しい。綺麗だな、これがエチオピアの自然か。目の前にそれがある。ま、今はそれだけでいいか!


2013年12月17日。ラリベラの中心部にある、けっこう親切な安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 レポート!スーダンを駆け回る「熱過ぎる日本人」】

2013-12-16 02:16:14 | 日記
2013年12月15日。

《日本ではマイナーな国、スーダン。このスーダンに滞在する日本人は、わずか100名程度だという。その100名の中に、熱過ぎるほどに熱い日本人の方がいらっしゃった。その人とは、国際NGO「ロシナンテス」理事長の川原尚之さん。僕は幸運なことに、川原さんと対談できる機会を与えていただいた。》


「スーダンで活躍するNGOがすぐ近くにあるから、お伺いしてみますか?」

ハルツームで僕の滞在をサポートしてくれた方が、僕にこう声をかけてくれた。僕は即答「ぜひお願いします!」と答えた。そしてお伺いさせていただいたのが、ロシナンテスだったのだ。

理事長の川原尚之さんは本当に気さくな方で、僕のような名もなき一旅人にも温かく接してくれた。やっぱり、すごい人って懐が深い。これまで世界中でたくさんの日本人にインタビューをさせていただいたが、「この人すげぇなぁ」という人は、みんな温かくて懐がでっかい。まずはこういう人間になりたい!と、その度に思わされている。


※ロシナンテスとは・・・
スーダンでの医療活動をはじめ、スポーツなどを通じた文化交流や東日本大震災の復興支援なども手掛けている国際NGO団体です。詳しくはホームページをご覧になっていただけたらと思います。

http://www.rocinantes.org/


川原さんとはロシナンテスの活動をはじめ、これからの日本の在り方についてお話をさせていただきました。今回は、熱くて温かい川原さんの「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」としてまとめさせていただきます!


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」①:目の前に困っている人がいる。助けたいじゃない。

外務省で働いていた川原さん。しかしその立場上、業務の範囲は限られていたという。目の前のスーダン人が困っていたとしても、そちらに手を出すことは出来なかった。西側諸国と足並みを揃えている日本政府としては、スーダンに積極的に援助をすることは難しいということだ。

「目の前のスーダン人を助けたい。そのためには・・・仕事を辞めるしかない。」

外務省の医務官として活躍されていた川原さん。一般的に見て、まさにエリートコースだ。しかしその道から外れて自らの信念を貫き通すなんて・・・並大抵のことではない。外務省にいれば、一生安泰の生活だったはずだ。それを捨てて自らの「道」を切り拓かれた川原さん。「目の前の人を助けたい」という、その言葉だけを取ってしまえば軽く聞こえてしまうが、その覚悟と行動力には本当に脱帽である。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」②:僕は援助という言葉は嫌いなんだよね、協力だと思ってる。

世界中の日本人の方々と国際協力の話をしていると、よく話題に上がるのが「日本の援助と欧米の援助」についてである。これはあくまで日本人から聞いただけの話なので一面的ではあるのだが、よく耳にするのが「欧米系のNGOは現地を尊重しない」という話である。

もちろん僕もその実態を調査研究していたわけではないんで一概に批判するつもりは毛頭ないが、その話はあちこちでよく聞く。欧米系のNGOは、あまり現地の習慣などを尊重せず、自分たちのやり方を押し通すというのだ。一緒になると仕事がしづらいと話していた日本人の方もいた。

僕は日本の援助(協力ではなく、あえて援助で)の素晴らしさは、「草の根」にあると思っている。つまり、大切なのは現地の足元にある生活であって、そこを最大限尊重する。その上で、何ができるかを共に考える。もしかしたらある意味「押し付け」てしまった方が、何らかの数字としての成果は上がるのかもしれない。

でも、それは果たして正義なのか。たとえばJICAの協力隊のような「草の根」の活動は、数字としての成果は上がりにくいのかもしれない。でも、そこに本質があると思う。僕は川原さんのお話をお伺いしていて、川原さんの心のベースにあるであろうこの「草の根」の素晴らしさ、大切さを強く感じた。

現地の人と共に歩み、「協力」をしていく。僕たち日本人が大切にしなければならない原点が、そこにあると思う。川原さんはその原点を貫いている。大切なものを僕は学んだ気がする。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」③:型にはまろうとしているよね、日本も日本人も。

「今の日本についてどう思われますか?」という僕の質問に対して、川原さんはこう答えて下さった。

はい、僕もそう思うんです。何故そう言われてしまうのか、僕もいつも考えています。

川原さんは、戦後の型からの脱却についてもお話しされていた。僕もまったく同感である。この数年の日本は、今までにない動きが出ているのではないかと僕は感じている。インターネットもこれほどまでに普及し、今までは情報の得方、あるいは発信の仕方もまるで変ってきた。日本人の心の中にも、新しい動きが芽生え始めているのではないだろうか。

しかしそれでもやっぱり日本人は「型」が好きなのでしょうか?でも、良い「型」は良い「型」でいいと思うのですが、これからの時代の「型」とは何なのでしょうか?それとも「型」なんて発想自体がいけないのでしょうか?う~ん、まさに時代の転換期・・・だと、僕は思っているのですが・・・。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」④:教育にはやっぱり「基礎体力」は必要だよ。

これからの日本の教育についてお話し下さっているとき、川原さんはそうおっしゃっていた。土台となる学びや知識、言うなれば「ある程度の詰め込み」は必要であると。

川原さんはそれを「基礎体力」「走り込み」という表現で表していた。さすが元ラガーマンの川原さんである。

僕も同感なんです。基礎や基本がなっていなければ、いくら応用ばかりやったって絶対に身に付かない。それはスポーツでも勉強でも、あるいは人生そのものでも僕は同じだと思うんです。きっと今ままでの日本は、この「基礎」ばかりが多すぎて、応用に欠けていたのではないでしょうか。だから今、その「応用」的な教育が叫ばれている。

でも、もし「基礎」を忘れてしまったら、きっと本末転倒になる。土台が崩れ去る。そしたら、日本も日本人も崩壊してしまう。良いものは残しつつ、それにプラスをしていく。大切なのは「基礎」と「応用」のバランスだ。僕は教育も、まさに転換点だと思っている。

でもその「応用」を、いつ、どのような形で教育に取り込んでいくべきなのか?これからの日本の大きな課題である。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」⑤:大人の見せ方が悪いよね、だから子どもは外を見なくなる。

実は、このセリフが僕には一番ビビビッと来たのだ。

「最近内向きと言われている日本の若者に、ぜひメッセージをお願い致します」という僕の質問に対して、河原さんは「目の前に若者がいないんだから言えないよ(笑)」と答えて下さった後、このセリフをおっしゃって下さった。

大人の見せ方・・・僕は考えた。

古代エジプトの碑文に「最近の若者は・・・」という書き出しの文章があるそうなのだが、「最近の若者」が良くないのは、そもそも誰のせいなのか?ということである。その若者を産んだのは誰よ?育てたのは誰よ?それを考えたら、自ずと答えは出てくる。

川原さんは、日本人なりの歴史観を持つことの大切さをおっしゃっていた。確かに今、日本は、そして日本人は、歴史をどう捉えるかを迫られている。隣国との領土問題やアメリカとの関係が揺らぐ中で、今まさに「日本人としての在り方」が問われている。その根幹を考えるとき、僕も「歴史観」をいかにするかは大切だと思っている。

その中で、大人はどのような「見せ方」をすべきなのか?歴史の見せ方の第一歩は、まさに学校での「歴史の授業」であろう。そこでどのような「見せ方」を教育はすべきなのか?この点も今まさに、転換期だと僕は思ってる。


ハルツームに滞在中、実は僕はロシナンテスの事務所に2回お伺いさせていただいた。言うまでもなく、非常に多忙なお方である。それなのに「お話がしたいです」という僕などのような飛び込み旅人のために、長時間お時間を割いて下さったのだ。

その懐の深さ、その温かさには、心から感謝をしております。本当にありがとうございました!


僕はやっぱり同じことを思った。すごい人って、やっぱり「何か」が出ている。何というのかよく分からないけど、「何か」が出ている。それは、普通の人にはない「何か」だ。

日本の若者には、「あ、この人何かが出ているな」と思うことがあったら、その人にどんどんくっついていって、どんどん学んでほしい。自分の直感が感じたその「何か」はきっと「何か」ある。それは「何か」のまんまでもいいと思う。無理に言葉や理屈にする必要はない。感じたものは感じたままでいい。

僕はこのハルツームで「何か」を感じさせていただいた。最後に、川原さんからいただいたロシナンテスを取り上げている某テレビ番組のDVDに出てきた、僕がビビビッと来た言葉を紹介させていただきたいと思う。


『理屈じゃない、動くんだ。』


※ロシナンテスのスタッフの皆さまとも写真を撮らせていただきました。本当にありがとうございました!


2013年12月15日。トラブル続きてイライラMAXの、ラリベラの安宿にて。


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