2013年12月23日。
《人の生き方に影響を与えるものって色々ある。僕はその中でも、自然って凄い力をもっていると思う。とんでもない大自然に触れたとき、人って必ず「何か」を考えさせられるものではないだろうか。》
すげぇなぁ。「地球離れしている景色だよ!」とは聞いていたけど、マジで他の惑星みたいだわ。
マジかよ・・・地球って生きてるんだなぁ。地球の血液が噴き出しているみたいだ・・・。
とんでもない大自然に触れたとき、人って自分の小ささを知る。
自分の存在が、良い意味でハナクソみたいに思える。
「生きているのではなく、生かされている。」そんな気持ちになる。
僕は思う。今の人類に必要なのは、この感覚なんじゃないかって。
ここ数百年、人類は横暴過ぎた。
「俺らは何でもできる!自然なんて支配してやるさ!」くらいに思っていたのだろう。
そのツケが、今回ってきた。そのツケが、人類を襲っている。
それも、もはや取り返しがつかないくらいに・・・。
僕たちは、生きてなんていなかったのだ。
僕たちは、生かされているだけだった。
僕たちは、神なんかじゃなかったのだ。
僕たちは、人間だった。
人間である僕たちは、今自らの「業」の清算をしなければならない。
並大抵のことじゃない。素人の僕にだって分かる。
僕は常々「日本人」を論じているけど、もはや本当は「日本人」なんてものを超えなくてはいけないと思う。
僕らが生きる、いや、生かされている大地そのものの住人としての意識。
それが必要なはずだ。
俺らは完璧なんかじゃねぇ。
俺らは何1つコントロールできてなんかいねぇ。
俺らは無力なんだ、この大自然の前では。
この、地球という大地の前では。
このものすげぇ景色の前では、ホントに自分がハナクソになる。
それは自分を卑下するのではなく、「足るを知る」ことだと思う。
人類なんて、人間なんて、そして自分なんて、そんなもん。
そんなもんなのさ、所詮!
年収何億あったって、すげぇ高い社会的地位があったって、
この溶岩、コントロールできるか?
こんなイカれた大地、造れるか?
本当に大事なもの。本当に描くべき理想。本当に僕らがすべきこと。
その本当の答えは僕なんかじゃ分からないけど、「そーゆーことガチで考えろ!」って、言われている気がしてくる。
今人類は、もっと謙虚にならなければいけないと思う。
今人類は、本当に変わらなければいけないと思う。
僕たちは皆、この地球に生かされている。
経済がどうとか政治がどうとか宗教がどうとか資源がどうとか、そんなん言ってる場合じゃねぇ。
人類はもっと「足るを知る」ことが必要だ。
僕たちは今、行き方そのものの態度全てを変えるべき時なのだ。
遥かなるエチオピア大地は、改めて僕にそのことを考えさせてくれた。
「生きている」のではなく「生かされている」へ。
「私」ではなく「公」へ。
「国益」ではなく「世界益」へ。
噴き出す溶岩は、僕たち人類への怒りのようにも感じられた。
さぁここから僕はどう動くのか?
エチオピアの大地という大先生の教えを、僕はどう活かすのか?
僕は僕の「足るを知って」、目指すべきものに動いていこう。きっと全てはそこからだ。
2013年12月23日。予想以上に寒くて困っている、アディスアベバの安宿のテラスにて。
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