2013年11月30日。
《中東という地域は本当に紛争が絶えない。イランやイラクをはじめ、現在ではシリア、そしてイスラエルとパレスチナの問題など、終わりのない対立と紛争が続いている。そして僕は考える。「正義」の在り方を・・・。》
パレスチナ難民キャンプの学校を訪れたとき、壁に飾られた地図にはイスラエルという文字はなく、「パレスタイン」と書かれていた。
イスラエルを案内するツアーガイドの説明を聞いていたら、「ユダヤ人にとって、この地に自らの国を作ることは当然の摂理なんです。」と話していた。
共に「正義」なのだ。
自分たちが長らく住んでいた土地を追い出されるパレスチナ人からすれば、イスラエルの建国に抗するのもまた「正義」。
聖書によって約束された土地に建国をするユダヤ人からすれば、パレスチナ人を追い出すこともまた「正義」。
共に「正義」なのだ。
でも、共に「正義」だから故に、お互いに退くことができない。
お互いに「正義」を貫く。それ故に、戦いに繋がる。
ヨルダンで出会った日本人に、手塚治虫氏の『アドルフに告ぐ』という漫画をいただいた。
夢中で読んだ。
ナチスドイツによって迫害を受けたユダヤ人が、今度はイスラエルの建国に反対するパレスチナ人を迫害、虐殺をする。
パレスチナ人はそれに抗し、ユダヤ人と戦う。
共に「正義」なのだ。
「正義」って何やねん。
正義正義って言うけど、それを貫いた結果が戦争になるのなら、そんな正義なんていらないんじゃないか。
別にユダヤ人やパレスチナ人を批判しているのではない。でも世界には、そんな「貫いた正義」故の戦いが蔓延っている気がする。
信念は持つべきだと思う。自分なりの正義を構築することも大切だと思う。
でも、それが強すぎるが故に対立につながるのなら、「正義って何やねん」って思う。
パレスチナ難民キャンプの学校の先生は言っていた。「この世にイスラエルなんて国は存在しない。私たちの前でイスラエルという国名を口にしてはならない。」と。
イスラエルで中東和平のために長らく奮闘している方は言っていた。「ユダヤ人はえげつないことをしてきましたよ。特にテロの疑いのあるパレスチナ人に対しては容赦ない。家を潰し、徹底的にさら地にする。それに抵抗する人がいたら、その家もさら地にする。虐殺した情報も聞いている。」
何かを「貫く」人ってカッコイイ。
何かを「譲らない」人もカッコイイ。
でも、もしそれによって「和」が築けなくなるのなら・・・「貫かない人」「譲る人」の方が、もしかしたらカッコイイ。
先日YouTubeで、靖国神社の問題に関する討論番組を観た。
賛成する人も反対する人も、何だか「100%VS100%」。
共に自らの「正義」を貫いていた。
でも、討論の目的は何?
平和な未来を構築することじゃないの?
俺にはただの「論破のやり合い」にしか見えない。
本質的な目的な何?
平和な未来を構築することじゃないの?
靖国参拝賛成派でも反対派でも、この際どっちでもいい。
共に正義を貫き討論した結果、何が生まれるの?
相手に対する憎しみだけじゃないか。「机上の勝ち負け」だけじゃないか。
本質的な目的な何?
平和な未来を構築することじゃないの?
イスラエルとパレスチナだって、日本と中国・韓国の問題だって、もっともっとたくさん存在する世界中の対立だって、なんかみんなそうだ。
100%VS100%。
共に貫く。それが故に譲れない。そして対立に繋がり、最悪戦争へと導かれる。
僕は子ども達に話してきた。「絶対に絶対はない」と。
世界を見ていて思う。もっと「グレーな中での対話」が必要なんじゃないかって。
だって、お互いに「正しい」理由はある。お互いに「正義」はある。それは分かるけど、
でも、それをぶつけ合ったって、解決にならない。
世の中のことなんて、「絶対」とか「100%」なんてないはずだ。
僕は思う。もっとお互いにちょっとだけ譲って、自分が「グレー」であることを認めることがスタートなんじゃないかって。
あるアーティストは歌っていた。「中途半端を認めてしまえ~!」って。
それって、なんか深い。そこからが、平和へのスタートなんじゃないかって。
もっと、「グレーVSグレー」でいんじゃないかって。
今僕は、そんなことを思っております。
『世界人類が平和になりますように』
2013年11月30日。ロビーのテレビの音がバカみたいにうるさい、アスワンの安宿にて。
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《中東という地域は本当に紛争が絶えない。イランやイラクをはじめ、現在ではシリア、そしてイスラエルとパレスチナの問題など、終わりのない対立と紛争が続いている。そして僕は考える。「正義」の在り方を・・・。》
パレスチナ難民キャンプの学校を訪れたとき、壁に飾られた地図にはイスラエルという文字はなく、「パレスタイン」と書かれていた。
イスラエルを案内するツアーガイドの説明を聞いていたら、「ユダヤ人にとって、この地に自らの国を作ることは当然の摂理なんです。」と話していた。
共に「正義」なのだ。
自分たちが長らく住んでいた土地を追い出されるパレスチナ人からすれば、イスラエルの建国に抗するのもまた「正義」。
聖書によって約束された土地に建国をするユダヤ人からすれば、パレスチナ人を追い出すこともまた「正義」。
共に「正義」なのだ。
でも、共に「正義」だから故に、お互いに退くことができない。
お互いに「正義」を貫く。それ故に、戦いに繋がる。
ヨルダンで出会った日本人に、手塚治虫氏の『アドルフに告ぐ』という漫画をいただいた。
夢中で読んだ。
ナチスドイツによって迫害を受けたユダヤ人が、今度はイスラエルの建国に反対するパレスチナ人を迫害、虐殺をする。
パレスチナ人はそれに抗し、ユダヤ人と戦う。
共に「正義」なのだ。
「正義」って何やねん。
正義正義って言うけど、それを貫いた結果が戦争になるのなら、そんな正義なんていらないんじゃないか。
別にユダヤ人やパレスチナ人を批判しているのではない。でも世界には、そんな「貫いた正義」故の戦いが蔓延っている気がする。
信念は持つべきだと思う。自分なりの正義を構築することも大切だと思う。
でも、それが強すぎるが故に対立につながるのなら、「正義って何やねん」って思う。
パレスチナ難民キャンプの学校の先生は言っていた。「この世にイスラエルなんて国は存在しない。私たちの前でイスラエルという国名を口にしてはならない。」と。
イスラエルで中東和平のために長らく奮闘している方は言っていた。「ユダヤ人はえげつないことをしてきましたよ。特にテロの疑いのあるパレスチナ人に対しては容赦ない。家を潰し、徹底的にさら地にする。それに抵抗する人がいたら、その家もさら地にする。虐殺した情報も聞いている。」
何かを「貫く」人ってカッコイイ。
何かを「譲らない」人もカッコイイ。
でも、もしそれによって「和」が築けなくなるのなら・・・「貫かない人」「譲る人」の方が、もしかしたらカッコイイ。
先日YouTubeで、靖国神社の問題に関する討論番組を観た。
賛成する人も反対する人も、何だか「100%VS100%」。
共に自らの「正義」を貫いていた。
でも、討論の目的は何?
平和な未来を構築することじゃないの?
俺にはただの「論破のやり合い」にしか見えない。
本質的な目的な何?
平和な未来を構築することじゃないの?
靖国参拝賛成派でも反対派でも、この際どっちでもいい。
共に正義を貫き討論した結果、何が生まれるの?
相手に対する憎しみだけじゃないか。「机上の勝ち負け」だけじゃないか。
本質的な目的な何?
平和な未来を構築することじゃないの?
イスラエルとパレスチナだって、日本と中国・韓国の問題だって、もっともっとたくさん存在する世界中の対立だって、なんかみんなそうだ。
100%VS100%。
共に貫く。それが故に譲れない。そして対立に繋がり、最悪戦争へと導かれる。
僕は子ども達に話してきた。「絶対に絶対はない」と。
世界を見ていて思う。もっと「グレーな中での対話」が必要なんじゃないかって。
だって、お互いに「正しい」理由はある。お互いに「正義」はある。それは分かるけど、
でも、それをぶつけ合ったって、解決にならない。
世の中のことなんて、「絶対」とか「100%」なんてないはずだ。
僕は思う。もっとお互いにちょっとだけ譲って、自分が「グレー」であることを認めることがスタートなんじゃないかって。
あるアーティストは歌っていた。「中途半端を認めてしまえ~!」って。
それって、なんか深い。そこからが、平和へのスタートなんじゃないかって。
もっと、「グレーVSグレー」でいんじゃないかって。
今僕は、そんなことを思っております。
『世界人類が平和になりますように』
2013年11月30日。ロビーのテレビの音がバカみたいにうるさい、アスワンの安宿にて。
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