大阪の高校の件など、体罰のニュースは尾を引いてますね。。。
前回のブログで少し体罰について述べましたが、今回も少し体罰について・・・。
繰り返しますが、体罰はいけないんです。
法的にも、倫理的も・・・。
しかしそこで難しくなるのは、「どこからが体罰なの?」という線引きです。
これは本当に難しい。ともすれば、個人によって捉え方も変わってきますし。
私が思うに・・・
1.自身の身を守るための暴力的な行為
2.他人の身を守るための暴力的な行為
3.器物損壊を止めるための暴力的な行為
これは確実に「体罰」ではないですよね。
しかし、自分の身を守るために生徒を殴った先生が、かつて問題になったことがあります。
それはちょっとおかしい。
悪賢い生徒になると、
「おら、殴ってみろよ。殴ったらクビだろ?」などと、悪態をついてくる生徒もいます。
これはムカつきますよ、ホントに!(笑)
では、「指導」のための暴力的な行為はどこまで許されるのか?
これはですね、一切許されない!
授業でも生徒指導でも部活動でも、体罰はいけないんです。
ぶん殴っても絶対子どもたちは伸びない。
耳元で怒鳴り続けても、子ども達の心にはそれほど響かない。
殴ったり激しく怒鳴ったりすると、周りの生徒が萎縮して一瞬静かになり、言うことを聞きます。
その状況に酔ってしまうと、体罰を常態化する教員が出現してしまう。
これがまずいんですよね・・・。
そしてもう1つ、「暴力」ではなくてよく問題になるのが、
特に部活動における「厳しい指導」をどう考えるのか?という点です。
殴ったりしているわけではないが、理不尽にきつい練習をさせられている。
何の論理性もない、きつい練習。
これは体罰でしょう。
子ども達はバカではありません。
なぜこのきつい練習をするのか?を、きちんと順を追って話せば、理解できます。
その上で激しい練習をする分には、子ども達は納得します、大半は。
もちろん「やってらんねーよ」という子どもも必ず出てきますが、
教員が筋を通して指導をしていれば、周りの大半の子ども達は理解してくれている。
実は体罰の問題って、根本は単純なんだと思います。
しかし、変にこじれてしまっている。
前回と同じ結論になってしまいますが、大半の先生は体罰などしていない。
一部の暴走する先生をいかに止められるか、そういう教育の場が必要だと思います。
暴力の恐怖など存在しない教育現場になることを願います。
そして、できることを少しずつ、行動していきます。
全ては子ども達のために
ふじもん
前回のブログで少し体罰について述べましたが、今回も少し体罰について・・・。
繰り返しますが、体罰はいけないんです。
法的にも、倫理的も・・・。
しかしそこで難しくなるのは、「どこからが体罰なの?」という線引きです。
これは本当に難しい。ともすれば、個人によって捉え方も変わってきますし。
私が思うに・・・
1.自身の身を守るための暴力的な行為
2.他人の身を守るための暴力的な行為
3.器物損壊を止めるための暴力的な行為
これは確実に「体罰」ではないですよね。
しかし、自分の身を守るために生徒を殴った先生が、かつて問題になったことがあります。
それはちょっとおかしい。
悪賢い生徒になると、
「おら、殴ってみろよ。殴ったらクビだろ?」などと、悪態をついてくる生徒もいます。
これはムカつきますよ、ホントに!(笑)
では、「指導」のための暴力的な行為はどこまで許されるのか?
これはですね、一切許されない!
授業でも生徒指導でも部活動でも、体罰はいけないんです。
ぶん殴っても絶対子どもたちは伸びない。
耳元で怒鳴り続けても、子ども達の心にはそれほど響かない。
殴ったり激しく怒鳴ったりすると、周りの生徒が萎縮して一瞬静かになり、言うことを聞きます。
その状況に酔ってしまうと、体罰を常態化する教員が出現してしまう。
これがまずいんですよね・・・。
そしてもう1つ、「暴力」ではなくてよく問題になるのが、
特に部活動における「厳しい指導」をどう考えるのか?という点です。
殴ったりしているわけではないが、理不尽にきつい練習をさせられている。
何の論理性もない、きつい練習。
これは体罰でしょう。
子ども達はバカではありません。
なぜこのきつい練習をするのか?を、きちんと順を追って話せば、理解できます。
その上で激しい練習をする分には、子ども達は納得します、大半は。
もちろん「やってらんねーよ」という子どもも必ず出てきますが、
教員が筋を通して指導をしていれば、周りの大半の子ども達は理解してくれている。
実は体罰の問題って、根本は単純なんだと思います。
しかし、変にこじれてしまっている。
前回と同じ結論になってしまいますが、大半の先生は体罰などしていない。
一部の暴走する先生をいかに止められるか、そういう教育の場が必要だと思います。
暴力の恐怖など存在しない教育現場になることを願います。
そして、できることを少しずつ、行動していきます。
全ては子ども達のために
ふじもん