世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 僕が正直に感じている「白人」への想い】

2001-01-18 10:23:39 | 日記
2013年7月21日

旅をしていて面白いことの1つに、その国の人々だけでなく、世界中からやってくる旅人たちからも色々学ぶことができることがある。ヨーロッパからの旅人も多いので、彼らと一緒にいる機会は多いのだが、正直僕が感じている違和感がある。

これ、僕の偏見入りまくります。ぜひ反感を持っていただけたらと思います。が、正直な意見なので、書かせていただきます。

僕、正直思うんです。西洋人(白人と言ったほうが正確ですね)って、やっぱり根底に他人種や他民族に対しての差別意識ってあるんじゃないかな・・・と。

僕は比較的日本人とつるまないで動く方なので、ツアーなどに参加するときは白人ばかりのグループに入ることも多い。これは今回の旅でだけではなくて以前から感じていたことなのだが、どうも白人たちって態度がデカイことがあるというか、正直現地の人たちを見下しているように見えるときがあるのだ、僕には。

先日のアマゾンでもそうだった。僕以外は白人5人のグループだったのだが、どうも見ていて、言動が気になった。たとえば、食事が口に合わなければ遠慮なくそれを言葉にも態度にも出すし、基本的に不満ばかり言っている。

普段の生活環境とは異なるところにきているんだから、食事でも何でも文句ばかり言ってないで、それを楽しもうぜ!それが旅だろ。そんなに不満があるなら、外国になんて来ないで自分の国にずっといればいいじゃないか。と、正直思ってしまう。

そして先住民族の村に行くとなったとき、乗り気なのは僕だけだった。何故彼らは行きたがらないのか、村に行く前の、また行ってからの彼らの発言を聞いて、僕は正直ムカついた。

「クレイジー」「オーマイゴット」「アイドントアンダスタンド」

は?何言ってんの?先住民族の生活を見てクレイジーだと?

自然の摂理に反して地球を痛めつけてるのはオマエら(もちろん僕たち日本人もですが)だろうが。その方がよっぽどクレイ
ジーだろうが!大量生産大量消費、物質中心主義のこれまでの世界の常識が崩れようとしている今こそ、俺らは原点から学ぶときじゃねぇのか?人間の営みそのものを考え直すときじゃねぇのか?それを何さ、彼らのちょっと見ただけで「オーマイゴット」だと?そりゃ違うんじゃねぇか?と、僕は思ってしまう。

これと同じようなことは、アフリカでもあった。タンザニアのサバンナに行ったとき、「マサイの村に行こう」という話になった。

そのときのグループは、アジア人が僕以外にもう一人と、あとはみんな白人だったのだが、みんな口を揃えて「ノーノーノー」だった。僕ともう一人のアジア人は行きたいと言っていたのだが・・・。

僕は、人間の心理に刻み込まれたことほど恐ろしいものはないと思っている。僕は別に白人たちを否定しているのではないし、すべての白人が差別意識を持っているなんて、そんなことは思っていない。しかし、かつて白人たちは、世界中を殖民地にしようとしていた歴史があるのは事実なのだ。そこには略奪も虐殺もあったわけだし、人間を人間として見ていない時代があったのだ。そしてそれは、それほど昔の話ではない。

誤解しないでいただきたいのは、僕は決して過去をほじくりだして、白人を批判しているのではない。今現在生きている白人たちに罪がないことなど当然の話で、そんなことは重々理解している。
しかし、僕たち日本人もある国や国民に対して「何となく」のイメージ、偏見、先入観があるように、どの国の人たちにだって同じ感覚・感情があるはずだ。僕は、ほんの数百年前まで他民族・他人種からの略奪と虐殺をしていた歴史から考えてみても、突然全てを平等に見ることなど、不可能なのではないかと思っている。それは良いとか悪いではなくて、人間の心理とはそういうものだと思う。

僕は決して白人批判を展開したいなどではない。だが、それほどまでに人間の心理に刻み込まれたイメージ、偏見、先入観というのは払拭し難いものだと思うのだ。

そういった感覚は、誰かが教え込んだというものではない。人々、そして社会全体が作り出す「空気」なのだと思う。それ故に、それは良くも悪くも根深いものであり、変えていくことは容易ではない。

何度も繰り返すが、僕は白人批判を展開したいのではない。しかし正直、僕が旅の中で白人たちの言動に違和感を感じることがあるのは僕の正直な感想であり、また遠くない過去に「白人至上主義」の歴史があったこともまた事実なのだ。

などとまたまたゴーマンかましてしまいましたが、大切なのは未来。過去の歴史を忘れないことも大切だが、それが前向きな未来に繋がらなければ意味がない。最も大切なのは、すべての国が手を取り合って、素晴らしき未来を作ること。過去に囚われてすぎては、未来への足かせになってしまう、まるでどこかの国のように・・・。

人々の想いは、みな同じはず。「未来のために」いかに手を取り合っていけるか?良い意味で「過去に囚われずに」僕たちは協力していけるか?

僕たちに課せられた課題は本当に多い。

2013年7月21日。ベネズエラ・シウダーボリーバルの街中の安宿にて。