2014年5月30日。
僕は今「イスラム教シーア派の聖地」マシュハドにいる。トルクメニスタンの国境にもほど近いイラン北東部のこの街には、毎日たくさんの(本当にたくさんの!)巡礼者が国内外から足を運んでくる。
という教科書みたいな情報は知っていた。それを知っていて僕はこの街にやってきたのだが・・・。
いや~すごい!本当にすごい!
金曜日には大きな礼拝があり、その日はとんでもない数の巡礼者でマスジェデ(イスラム寺院)が覆い尽されるとは聞いてはいたのだが・・・。
マジで本当にすごい!
以前からずっと言っているけれど、僕は宗教が大好きなのだ。特別に何かの宗教を強く信仰しているわけではないのだが、何と表現したらいいのだろう、宗教的な空気というかオーラというか荘厳さというか、そういったもの全てが何となく僕には心地いいのだ。だから当然、日本のお寺なども大好きだ。
世界中にはたくさんの宗教があるけれども、しかしやっぱり「力強さ」や「情熱さ」というような面で言うと、このイスラム教がナンバーワンだと僕は思う。それはどの宗教が良いとか悪いとかではなくて、「信仰へのパワー」みたいなものはやはりイスラム教徒のそれが世界のどこに行っても一番凄まじいように感じる。
見て下さい、このマスジェデに集まる人、人、人!
伝わりますでしょうか、このエネルギー!
※マシュハドの中心部にある複合宗教施設「ハラメ・モラッタル広場」
・通称「ハラム」と呼ばれており、外国人でも入場可能です。しかも無料!
・しかしここは大切な聖地、イスラムの教えを尊重して中に入りましょう。女性はチャドルで全身を覆わないと中に入れてくれません。
・入り口は複数ありますが、外国人は北西側の入り口からしか入場できません。
・中は写真撮影は禁止で(何故か携帯電話による撮影は大丈夫)、カメラなどは入り口で預けることになります。
これまでにいくつものモスクやマスジェデを見てきたし、巡礼の様子も何度も目にしてきた。しかしこれほどまでに大規模で凄まじい熱気の巡礼を見たのは初めてだ。
圧倒される。単純にその凄さに押し潰されそうになる。
凄いなぁと思う。ただひたすらに凄いなぁと思う。
でもその次に僕の頭に過るもの、実を言うと、それは「恐怖」なのだ。
僕は「何かを信じるということ」は安堵と恐怖が表裏一体で存在しているようなものだと思っている。「何かを信じる」ということは裏を返せば「何かを信じられない」ということであり、ともすれば他の存在や価値観を阻害することにもなりかねない。
何かを信じ、あるいは信仰し、心の安堵を得られることは素晴らしいことだと思う。しかしその反面、他の信仰や価値観、簡単に言ってしまえば他の考え方への許容が狭まる恐れがある。
イスラム教徒の人と話していると、次のようなことをよく言われる。
「あなたはどうしてイスラム教徒じゃないんだ?」「あなたがイスラム教徒じゃないのは、イスラムの教えを知らないからだよ。」「あなたはクルアーンを読むべきだよ。その教えを知りなさい。」というようなセリフ。
誤解しないでいただきたいのは、僕はイスラム教を否定するつもりなど一切ない。アッラーの神を信じ、その教えを守ることで心の平安と安堵感を得ることができ、そして国家や地域社会にも平和が保たれるのならば、それは素晴らしいことである。
でも先のセリフのようなことを言われると、僕は正直次のように思ってしまう。
「何を言っているんだ。イスラム教を否定する気は全くないし、クルアーンの教えも素晴らしいものだと思う。しかし日本にだって固有の宗教や風習、伝統、言い伝えなどがあって、それはまた僕たち日本人にとっては素晴らしいものであるのだ。あなた方こそ、そんな日本の歴史を学んだことはあるのか?」と。
※床一面に敷くための絨毯を運んでいる人たち。
宗教の話ってとてもデリケートで難しい。ちょっとでも言い方を間違えると、大きな誤解や対立を生んでしまう恐れすらある。
でもだからこそ、僕はここではストレートに言いたい。
イスラム教を否定する気など全くない。でも僕は、その信仰の強さには正直「恐怖」も感じるのだ。
宗教的な対立がいかに悲劇的な現実を生むかは歴史が証明している。そしてそれは「過去の歴史」に限った話ではない。現在においてもそうだ。パレスチナ問題に代表されるような宗教が絡んだ大きな対立は、世界各地に常に存在しているものなのだ。
そして特にイスラム教とキリスト教による何千年に渡る対立は、今もなお大きな禍根を残している。それは歴史的な「事実」だ。そのことも僕らは頭に入れておく必要があるだろう。
※中には「聖水」を飲む場所もあるんですよ~!
何度も言うけれども、僕はイスラム教を否定する気など全くない。それどころか僕はイスラム教が大好きだし、イスラム国家を訪れることも心から楽しんでいる。
しかしだからこそ、僕は考えたいのだ。「異質なものへの尊重・受容・容認」ということを。果てしなく広がるグローバルな時代だからこそ、己を信じつつも他を認め、「共に在る」世界を考えていきたいのだ。
そしてそういった僕の想いを、次の日本の若い衆に伝えていきたい。その想いの先に、僕の夢がある。
日本の若い衆には、そういったものを「知識」だけではなく「感覚」で磨いていってほしい。多くの人がその「感覚」を身に付けることが出来れば、それだけで世界は大きな変化を「少しだけ」実現することが出来ると思うのだ。
そんなことを考えながら、僕は聖地マシュハドの夜を眺めている。絶え間なく行き交う巡礼者を目で追いながら・・・。
2014年5月30日。突然の夕立に襲われ、路上には大きな水たまりがあちこちに出来ているマシュハドにて。
P,S
マシュハドで安宿を探している方へ。
もし4人くらいのメンバーが揃っているなら、アパートメントタイプの宿がオススメですよ!
信じられないくらいの数のアパートメントホテルがあります。見つけるのは超簡単です!
アパートメントなら自炊が可能ですし、プライベートな空間で楽に滞在できます。
Wi-Fiなしなら4人で400,000レアルくらいから、Wi-Fiありなら800,000レアルくらいからありました。あちこち見て探してみて下さい~!
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僕は今「イスラム教シーア派の聖地」マシュハドにいる。トルクメニスタンの国境にもほど近いイラン北東部のこの街には、毎日たくさんの(本当にたくさんの!)巡礼者が国内外から足を運んでくる。
という教科書みたいな情報は知っていた。それを知っていて僕はこの街にやってきたのだが・・・。
いや~すごい!本当にすごい!
金曜日には大きな礼拝があり、その日はとんでもない数の巡礼者でマスジェデ(イスラム寺院)が覆い尽されるとは聞いてはいたのだが・・・。
マジで本当にすごい!
以前からずっと言っているけれど、僕は宗教が大好きなのだ。特別に何かの宗教を強く信仰しているわけではないのだが、何と表現したらいいのだろう、宗教的な空気というかオーラというか荘厳さというか、そういったもの全てが何となく僕には心地いいのだ。だから当然、日本のお寺なども大好きだ。
世界中にはたくさんの宗教があるけれども、しかしやっぱり「力強さ」や「情熱さ」というような面で言うと、このイスラム教がナンバーワンだと僕は思う。それはどの宗教が良いとか悪いとかではなくて、「信仰へのパワー」みたいなものはやはりイスラム教徒のそれが世界のどこに行っても一番凄まじいように感じる。
見て下さい、このマスジェデに集まる人、人、人!
伝わりますでしょうか、このエネルギー!
※マシュハドの中心部にある複合宗教施設「ハラメ・モラッタル広場」
・通称「ハラム」と呼ばれており、外国人でも入場可能です。しかも無料!
・しかしここは大切な聖地、イスラムの教えを尊重して中に入りましょう。女性はチャドルで全身を覆わないと中に入れてくれません。
・入り口は複数ありますが、外国人は北西側の入り口からしか入場できません。
・中は写真撮影は禁止で(何故か携帯電話による撮影は大丈夫)、カメラなどは入り口で預けることになります。
これまでにいくつものモスクやマスジェデを見てきたし、巡礼の様子も何度も目にしてきた。しかしこれほどまでに大規模で凄まじい熱気の巡礼を見たのは初めてだ。
圧倒される。単純にその凄さに押し潰されそうになる。
凄いなぁと思う。ただひたすらに凄いなぁと思う。
でもその次に僕の頭に過るもの、実を言うと、それは「恐怖」なのだ。
僕は「何かを信じるということ」は安堵と恐怖が表裏一体で存在しているようなものだと思っている。「何かを信じる」ということは裏を返せば「何かを信じられない」ということであり、ともすれば他の存在や価値観を阻害することにもなりかねない。
何かを信じ、あるいは信仰し、心の安堵を得られることは素晴らしいことだと思う。しかしその反面、他の信仰や価値観、簡単に言ってしまえば他の考え方への許容が狭まる恐れがある。
イスラム教徒の人と話していると、次のようなことをよく言われる。
「あなたはどうしてイスラム教徒じゃないんだ?」「あなたがイスラム教徒じゃないのは、イスラムの教えを知らないからだよ。」「あなたはクルアーンを読むべきだよ。その教えを知りなさい。」というようなセリフ。
誤解しないでいただきたいのは、僕はイスラム教を否定するつもりなど一切ない。アッラーの神を信じ、その教えを守ることで心の平安と安堵感を得ることができ、そして国家や地域社会にも平和が保たれるのならば、それは素晴らしいことである。
でも先のセリフのようなことを言われると、僕は正直次のように思ってしまう。
「何を言っているんだ。イスラム教を否定する気は全くないし、クルアーンの教えも素晴らしいものだと思う。しかし日本にだって固有の宗教や風習、伝統、言い伝えなどがあって、それはまた僕たち日本人にとっては素晴らしいものであるのだ。あなた方こそ、そんな日本の歴史を学んだことはあるのか?」と。
※床一面に敷くための絨毯を運んでいる人たち。
宗教の話ってとてもデリケートで難しい。ちょっとでも言い方を間違えると、大きな誤解や対立を生んでしまう恐れすらある。
でもだからこそ、僕はここではストレートに言いたい。
イスラム教を否定する気など全くない。でも僕は、その信仰の強さには正直「恐怖」も感じるのだ。
宗教的な対立がいかに悲劇的な現実を生むかは歴史が証明している。そしてそれは「過去の歴史」に限った話ではない。現在においてもそうだ。パレスチナ問題に代表されるような宗教が絡んだ大きな対立は、世界各地に常に存在しているものなのだ。
そして特にイスラム教とキリスト教による何千年に渡る対立は、今もなお大きな禍根を残している。それは歴史的な「事実」だ。そのことも僕らは頭に入れておく必要があるだろう。
※中には「聖水」を飲む場所もあるんですよ~!
何度も言うけれども、僕はイスラム教を否定する気など全くない。それどころか僕はイスラム教が大好きだし、イスラム国家を訪れることも心から楽しんでいる。
しかしだからこそ、僕は考えたいのだ。「異質なものへの尊重・受容・容認」ということを。果てしなく広がるグローバルな時代だからこそ、己を信じつつも他を認め、「共に在る」世界を考えていきたいのだ。
そしてそういった僕の想いを、次の日本の若い衆に伝えていきたい。その想いの先に、僕の夢がある。
日本の若い衆には、そういったものを「知識」だけではなく「感覚」で磨いていってほしい。多くの人がその「感覚」を身に付けることが出来れば、それだけで世界は大きな変化を「少しだけ」実現することが出来ると思うのだ。
そんなことを考えながら、僕は聖地マシュハドの夜を眺めている。絶え間なく行き交う巡礼者を目で追いながら・・・。
2014年5月30日。突然の夕立に襲われ、路上には大きな水たまりがあちこちに出来ているマシュハドにて。
P,S
マシュハドで安宿を探している方へ。
もし4人くらいのメンバーが揃っているなら、アパートメントタイプの宿がオススメですよ!
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アパートメントなら自炊が可能ですし、プライベートな空間で楽に滞在できます。
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