世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

~願いこと~

2013-03-30 00:42:17 | 日記
3月30日・・・あと1日で、中学3年生は正式に高校生になります。

願わくば、
我がクラスの卒業生全員が、
いや、我が校の卒業生全員が、
自らの道を見つけ、
命を意識し、
最後のその時まで
熱く熱く
生きていけますように。

願わくば、
自分の存在が、
自分の授業が、
自分の無駄話もが、
彼ら彼女らにとって
何かしらの糧となっていますように。

願わくば、
高校での生活が
彼ら彼女らにとって
素晴らしき学びの場となりますように。

願わくば、
全員が
笑顔で死ねる人生を送れますように。


宣言

卒業式の日、子ども達に
「俺の目標は、教育から日本と世界を変えることだ」
と言いました。

ウソはつけねぇ。
子ども達に言った以上、
そして自分自身に言った以上、
俺は俺の人生にウソはつけねぇ。

燃え尽きましょう、
死を迎えるその日まで。

笑顔で死ねるその日まで。

その生き方が、
きっと子ども達に何かを残せると
信じています。


すべては子ども達のために

ふじもん


「~学校現場が上手くいかないことがある理由vol,4~」

2013-03-26 00:01:39 | 日記
さて、今回も少しだけこのテーマで書きたいと思います。

今回は「学校アナログ文化」で行きたいと思います。

これはどういうことか?

学校には、超非効率的な「手書き&紙ベース文化」が残っているのです。
と言っても、これは自治体によってかなり異なると思うので一概には言えませんが、
少なくとも今私がいる自治体は、超アナログです。

本当に非効率的で、紙の無駄も多く、なぜこんなやり方を続けているのか
理解に苦しむところもあるのが私の本音です。

いくつか紹介しますね。

例えば通知票。
私の地区ではすべて手書きとゴム印です。
とんでもない時間がかかります。

まぁ、所見の欄は手書きで書くのは温かみがあってありだとしても
(それも教員によりますが、東京などはようやく全てパソコンからの印刷のようです)
機械的なAやB、3や4などという評価は、印刷でいいと思うんですよね・・・。

ちなみに通知票は、まずは教科担当の教員が、仮の名簿に手書きで成績を書きます。
それを見て担任または副担任が、手書きとゴム印を使って1つ1つ書き込んでいくのです。

相当な労力です。
人間が1つ1つ目で見て作業をするので、当然ミスも発生します。
信じられないかもしれませんが、ミスをしてしまったときは、砂消しゴムで
1つ1つ消して修正するのです!

もしデータベースに入力して印刷すれば、一瞬です。
ミスもすぐ直せます。
「手書きの方が温かみがある」という方もいらっしゃいますが、
機械的な数字に関しては、はたしてそうなのでしょうか。

だったらそこは入力にして素早く仕事をし、
空いた時間で生徒一人一人に小さな手紙を書くとか・・・
その方が良いのではないでしょうか。


その他には、「指導要録」というのがあります。

これは、その学年の生徒の活動を1年ごとに記録に残していくというものなのですが、
驚くべきことに、すべて手書きなのです!
(あくまで今私のいる自治体はですが)
ということは当然データはパソコン等ではなく、紙ベースです。

ちなみにこの要録、限りなく誰も見ません。
しかし、学年末のこの時期は、多くの教員はこの要録の作成に膨大な時間を割かれます。

生徒の記録を残すのは必要なことでしょう。
法的に決められているからということもそうですが、
何かの事態に備えて、その生徒の活動を残しておく必要があるのは当然だと思います。

しかし、何もなければ限りなく誰も見ない書類であるのに、
なぜすべて手書きである必要があるのでしょうか。
場所も取るし、資源の無駄です。
なぜデータベースにしないのか・・・私には理解できません。

さらにこの指導要録の内容は、中学3年生の場合、進学先の高校に送られます。
それも1枚1枚コピーをして、封筒に入れて送るのです!

データにして添付でもして送信すればいいのに・・・。
時間と資源の限りない浪費です。

ちなみに今日、私は要録のコピーをしてきましたが、
3年生の全クラスが同じ作業をすると、とんでもない量の紙を使用します。
時間もかかります。

などなど、日本の学校は他国と比較しても圧倒的にICT化が遅れています。
教員がアナログ作業で時間を取られるということは、その分子どもに目を向けられないということ。

結局は、大切な子どもにとってマイナスになるのです。

同様に、授業も相変わらずチョークと板書という学校がまだまだ多いのが現状です。

これも他国から大きく遅れています。

授業の効率化の問題だけでなく、子どもたちがICTに触れる機会すら奪ってしまいます。

この学校の「アナログ文化」は、根は深いと思います。

早急に手を打つ必要がある、学校の問題点の1つだと私は考えます。


すべては子ども達のために

ふじもん


「~学校現場が上手くいかないことがある理由vol,3~」

2013-03-24 21:11:59 | 日記
今日はブッこんだ発言です(笑)。

あくまで私の主観ですので、ご了承下さい。

学校現場が上手くいかないことがあるシリーズ。
その3は、「無能力教員の存在」です。

ほとんどの教員は現場で懸命に仕事をしています。
能力や個性は人それぞれですが、
自らの信念、想い、価値観に沿って、教育活動に励んでいます。

様々なタイプの先生がいる。
それは子ども達にとって大切なことです。

しかし!残念なことに、どうにも仕事ができない教員が存在します。
「個性的だね」なんて言っていられないほど、ヤバイ教員は存在します。

「何を以てそんなことを偉そうに言ってるんだ?」と言われてしまうかもしれません。
申し訳ありません・・・あくまで私の「主観」です。
ですが、この数年間で、「何なんだこいつは?」と感じてしまう教員を
数名見てきました。

それはどのくらいの数か?
人数にすれば数名です。

ですが、私の教員歴と経験した学校数で考えてみると、
それなりの比率なのではないでしょうか。

それはどのような教員だったのか?

言葉で説明するのは難しいのですが・・・
とにかく、教員の仕事が何一つできないのです。

授業は一人でできない、部活も持たせられない、周りとの協調もはかれない・・・。
当然、学年担当の職員にも入れない。

はっきり言って、どうしようもないのです。
その方の分の仕事は、周りの方が拭うしかありません。
結果、周りの方の負担が増え、忙しさが増します。

どの世界にも、そのような方はいるのかもしれません。

しかし問題は、その教員をクビにできないということにもあると思います。

もちろんここで「クビ」という単語を軽々しく述べるのは軽率かもしれません。
しかし、あえて過激に表現します。

はっきり言って、民間企業であれば、
申し訳ありませんがそのような社員は職を奪われても仕方がないのではないでしょうか。

しかし、公務員である公立学校の職員は、よっぽどの事態を起こさない限りは
クビになることはありません。

しかもその教員は、年配の方であれば相当程度の給料をもらっているのです。
信じられないくらい仕事をしていないのに・・・!

もちろん私は、「仕事ができなきゃクビにしろ!」などと
そんな短絡的なことを言っているのではありません。
ですが、教員として明らかに「?」という人は存在します。

教員の指導力が問われているのもまた事実であり、
本当にどうしようもない教員をどうするのか?ということは考える必要があると思います。

なぜなら、そのしわ寄せは同僚の教員にやってくるのももちろんですが、
一番の被害者は、他ならぬ子ども達なのですから。


すべては子ども達のために

ふじもん

~学校現場が上手くいかないことがある理由vol,2~

2013-03-22 00:24:28 | 日記
前回のブログで、学校現場と文科省の意思疎通の不足について
書かせていただきました。

もう1つ、学校現場がチグハグになってしまう要因として考えられるもの。

それは、異動にあると思います。

公立学校では異動はつきものです。
学校を固定化させないために、あるいは流動的にするために
一定程度の異動を行っているとのことですが、この異動が時に曲者になると思ってます。

異動することによって新しい現場に移り、教員自身がリフレッシュできる。
個人レベルで考えれば、これは大切なことですよね。

しかし、この異動によって、新たに一からの意見の擦り合わせや
意思の統一を図らなければならないというデメリットもある気がします。

本採用の教員はある程度長くその学校にいますのでまだいいのですが、
問題は臨時採用(臨採)の教員の場合。
臨採の教員は、基本的に1年しかその学校にいることができません。

中学校や高校では、なんと10年以上この臨採をしている教員もいます。
臨採といっても、業務内容は本採用となんら変わりはありません。
10年もやっていればもはやベテラン。
担任はもちろん、その他の分掌も数多くこなすことになります。

学校の中核を担うほどの業務をしているのに、1年で異動となってしまう。
すると、次に引き継ぐのは容易ではありません。

そして今、この臨採の教員がかなり多いのです。
学校規模にもよりますが、1つの学校に4人も5人もいるのはザラです。
その教員は、1年しかその学校にいられません。

ご存知でない方も多いと思いますが、学校というのは基本的に学年単位の職員で動きます。
1つの学年に数人の臨採教員がいると、次の年にはその教員はいないことになります。
それがマイナスに働くことがある気が私にはします。

そしてもう1つ問題となるのが、管理職、特に校長の異動です。

校長は、早いときには2年で異動になることもあります。

校長は学校のトップです。校長次第で学校の方針は大きく変わります。

考えてみていただけたらと思います。
そのように重要な立場である校長がコロコロ変わってしまったら・・・。
常に学校の方針が変わってしまうことになります。

一般の教員はそれに振り回されることになります。
組織としてこれはまずいのではないでしょうか。

この異動の問題は、非常に難しいと思います。
異動があるから学校組織全体が活性化し、情報が行き渡り、
1つの学校が固定化されない要素は確かにあると思います。

しかし、異動が多すぎると、新しい何かを始めたとしても、
根を張る前に動くことになってしまう。
またトップがコロコロ変わってしまっては、学校自体の方針が落ち着かない。

どのようにバランスを取れば良いのか?
実は私自身も考え中です。

いずれにしても、今あるリソースの中で学校を良くしていくためには、
この「異動」に焦点をあててもよいのではないでしょうか。


すべては子ども達のために

ふじもん

~学校現場が上手くいかないことがある理由vol,1~

2013-03-20 21:38:37 | 日記
学校での仕事って、時として変なことがあります。

「これって意味あるの?
「誰のための仕事なの?」
「このアンケート、意味あるの?」
「なんでこんな要領の悪いやり方をするの?」

などなど・・・。
あげればたくさんあります。

なぜこんなことが起きてしまうのか?

理由は簡単です。

学校のルールを作っている人間は、学校のことを知らないからです。

では誰が学校のルールを作っているのか?

他ならぬ、文部科学省のお役人達ですよね。

省庁で働く国家公務員です。皆さん高い能力をお持ちでしょう。

しかし、現場での経験はどうなのか?
あるはずがありません。

単純な話です。
学校現場を知らないのに学校のルールを作るのですから、
当然現場とのズレが生じます。

私は思います。
あらゆる仕事において言えますが、指示を出す上の人間は、
現場を知らなければ絶対にダメだと。

学校、特に公立学校はトップダウンの世界です。
上からの指示通りに動くしかありません。

以前スターバックスジャパンの元CEOの方が書いた本を読んだのですが、
その方は現場を知るために、可能な限り店舗を訪れたそうです。

印象に残る表現がありました。それは、
仕事は「火花の散る」場面で全力を尽くせ、と。

教育の分野において「火花の散る」場面とは、
まさに教育現場、つまりは学校なのではないでしょうか。

その学校現場を知らずして方針を打ち出すのは、
やはりズレが生じて然るべきと言えるのではないでしょうか。

こんなルール、作れないですかね?
「文部科学省の職員は、必ず数年間学校で経験を積まないといけない」

その後で方針を考えたら、必ず違うものが生まれると思います。

細かくは言えませんが、
「は?何だよそれ?」と現場が思うような指示は減るのではないでしょうか。

もちろん学校現場を経験したらかといって、必ずしも全てが
プラスになるとは私も思っていません。
しかし、マイナスになることはないでしょう。

「火花が散る」場面を知って動くからこそ、現場本位の仕事ができる。
学校ももっと開かれる。
学校の良い点も悪い点も、もっと正確に世の中に発信される。

いずれにしても、お互いが共に「繋がる」必要があると思います。

これからを担う子ども達のために、
学校も文部科学省も変わらなければいないでしょう!


すべては子ども達のために

ふじもん