下村文科相「河野・村山両談話は政府の統一見解ではない」
前回のブログ記事が、言葉少なかった反省に立ち、村山談話の空虚性を撃つべしとする
国学院大学教授・大原康男氏の言葉を紹介したい。併せて、 伊勢雅臣氏、櫻井よしこ氏の
言葉を紹介したい。
当ブログは、村山談話と河野談話との成立過程から、金科玉条の様に歴代政権が踏み絵を踏む
状況に、日本国はそれではいけないと考えるのである。日本国憲法は思想信条の自由を認めている。
村山談話、河野談話とは、憲法違反の状況にあるのではないかと考える。
下村文科相「河野・村山両談話は政府の統一見解ではない」と言う発言が国際的にも、内外の
批判に晒されても、村山談話の成立過程の怪しさはぬぐいきれない。
たとえ、下村氏が発言を訂正しようとも、当ブログは村山談話の不当性には疑念を抱く次第である。
これを、日本国民の総意とする見解には反対する。我等の子孫代々にこの談話の永続を期待する
気持ちは毛頭有り得ない。村山談話と河野談話が日本国民に永遠に謝罪を繰り返せと言う趣旨には
反対する。我等の子孫に一体何の罪科があると言うのだ。国家が罪人として断罪するのは、
あくまで個人的行状にある筈である。談話の不当性は、明らかである。
>だまし討ちで成立した村山談話 H18.10.09
伊勢雅臣
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/wing1196.html
>「改めて問う、講和条約と村山談話」
櫻井よしこ 2008.12.25 (木)
http://yoshiko-sakurai.jp/2008/12/25/886
韓日関係改善の期待感に冷や水…日本文科相の発言
2014-03-28 09:04:08 | 時評
http://blog.goo.ne.jp/teitofukkou/e/8c62c892db6bf38aaa03214e07e6ae78
河野談話を見直しはしない。継承する、それは当然の事で、
下村文部科学相の発言は当然である。
韓国メデイアの言い分には反対である。
日本国が政府の統一見解を出すのは、政府として当然やるべき措置である。
河野談話、村山談話が日本国の見解とする理由を挙げてもらいたいものである。
【正論】村山談話の空虚性を撃つべし 国学院大学教授・大原康男 2008.12.16 02:25
≪田母神問題の陰の主役≫
田母神前空幕長の論文問題は発生から2カ月近くになろうとするのに、まだ論争は収まりそうにない。その論点も筆者の歴史認識に対する評価や政府のとった 措置の妥当性をはじめとして、文民統制の意義、自衛官の言論の自由、さらには論文応募の是非とそのタイミングからマスメディアの論調に至るまで多岐にわ たっており、保守派の中でも見解が分かれるが、これまでの論議を踏まえ、遅まきながらも少しばかり私見を述べてみたい。それは今回の問題の陰の主役と言っ てもいい「村山談話」についてである。
辻元清美衆院議員の質問主意書に対して11月14日に出された政府答弁書によれば、空幕長解任の理由は「先の大戦に関する政府の認識と明らかに異なる見 解が述べられている」ことが「不適切である」とともに、「憲法に関連する重要な事項について不適切な形で見解を述べている」ことにあるという。
後者は、現状では自衛隊は領域警備も集団的自衛権の行使もできないとの批判に対してであろうが、集団的自衛権については麻生太郎首相も見直しを示唆して おり、単なる付け足しに過ぎない。もちろん、問題は前者にあって、明言してはいないものの「先の大戦に関する政府の認識」が「村山談話」を指しているのは 疑うべくもない。
≪定義できぬキーワード≫
周知のように、「村山談話」は、平成7年6月9日に衆議院でなされた“終戦50年国会決議”への不満から、終戦の日にあらためて村山富市首相の談話とし て発表されたものであるだけに、「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」「多大な損害と苦痛を与え」「痛切な反省」「心からお詫(わ)び」と いった自虐一色に塗りつぶされた章句のオンパレードである。
この一面的かつ粗雑な歴史観についてここで論ずる余裕はない。何よりも強調したいのは、そうした歴史認識の具体的な内容に立ち入るまでもなく、そもそも本談話が歴代内閣によって金科玉条のように墨守されるほどの実体を有しているのかという根本的な疑念である。
ここでのキーワードの一つは「国策を誤り」であろう。「村山談話」の11年近く後に長妻昭衆院議員が出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年6 月13日)は、驚くべきことに「お尋ねの『国策を誤り』については、個々の行為に対する評価等をめぐり様々な議論があるところ、政府として、その原因を含 め、具体的に断定することは出来ないと考える」と述べ、その判断を完璧(かんぺき)に放棄してしまった。終戦60年に当たる前年の終戦の日に発表された 「小泉談話」から「国策を誤り」がすっぽり抜け落ちていることと見事に符合している。
それ以上に重要なキーワードは「侵略」である。この語の定義について鈴木宗男衆院議員が提出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年10月6日) でも「国際法上の侵略の定義については様々な議論が行われているが、確立した定義があるとは承知しておらず、お尋ねについてお答えすることは困難である」 と答弁、同じように確固とした見解が出せないことを正直に告白している。
≪侵略も植民地も消えた≫
ここでふと想起するのは、“終戦50年国会決議”を最も熱心に推進した加藤紘一自民党政調会長(当時)と決議案の内容について折衝したときのこと。私が 「どうしても『侵略的行為』とか『植民地支配』という言葉を入れたいのならば、それらが何を意味するのかきちんと定義してほしい」と求めたところ、加藤氏 は「われわれは学者じゃないから、そんなきちんとした定義は出さなくていい」と平然とうそぶいた。「村山談話」のいい加減さはここから始まっていたのだと いうことを再認識した次第である。
このようにキーワード中のキーワードですら確かな定義ができない「村山談話」がいかに空虚なものであるか、これ以上多言を要するまでもない。そんな曖昧(あいまい)な基準で田母神論文「日本は侵略国家であったのか」を裁断できるはずがあるまい。
興味深いのは「国策を誤り」を削った「小泉談話」が出される直前、平成17年8月2日の“終戦60年国会決議”では、50年決議にあった「侵略的行為」 や「植民地支配」という文言がきれいに消えていることだ。これら一連の事実は10年の間に何らかの変化が生じ、「村山談話」が必ずしも固定的な「政府見 解」ではなくなっていることを示唆しているのではないか。
何をおいてもこのような代物を担ぎ続けることの愚かさを広く訴え、歴史観を含めてあらゆる面から「村山談話」を検証し直す論議を巻き起こすことが肝要であろう。(おおはら やすお)
URL:http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081216/trd0812160227003-n1.htm
http://read2ch.net/news4plus/1229441389/
関連スレ:【産経新聞】「村山談話の検証が不可欠だ」~論説委員・石川水穂[11/15]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1226710266/
【歴史認識問題】田母神氏「村山談話の正体が、本日分かった。村山談話は言論弾圧の道具だ」 ★3 [11/11]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1226521798/
【日韓】 訪韓した村山富市元総理インタビュー「大多数の日本国民は「村山談話」を支持している」★2[11/11]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1226442916/
【幕僚長論文】「過去の歴史認識」問題の進展を恐れ解任という安易な決着―村山談話そのものにも問題が内在するのでは-伊勢新聞[11/10]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1226507416/
■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■
だまし討ちで成立した村山談話
伊勢雅臣
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/wing1196.html
■転送歓迎■ No.1196 ■ H18.10.09 ■ 8,621 部 ■■■■■■■
船出したばかりの安倍首相に対して、野党やマスコミは歴史
認識問題で揚げ足を取ろうと、集中攻撃をしている。
歴史認識問題の踏み絵のひとつが、村山談話である。これは
村山富市内閣が95年8月15日に閣議決定した談話で、第二
次世界大戦で日本国が、「国策を誤り」「植民地支配と侵略に
よって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大
の損害と苦痛を与えた」と反省と謝罪に徹した内容である。
安倍氏は首相就任前から村山談話の見直しを示唆する発言を
していたが、それに対して、朝日新聞は「安倍氏、村山談話踏
襲明言せず」「アジア外交に不透明さ」(9月7日『朝日新聞』)
と、批判の声を上げていた。
10月2日の安倍首相の所信表明演説に対する各党代表質問
では、鳩山由紀夫・民主党幹事長が、「(首相は)戦争に関す
る認識を語らず、歴史家に委ねると言い逃れている」と厳しく
追及した。これに対して、安倍首相は村山談話を引用し、「わ
が国はかつて植民地支配と侵略で多くの国々、とりわけアジア
諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」と従来の見解を踏ま
える考えを示した。
野党や一部マスコミが揚げ足取りを狙うのに対して、持論を
抑えた「安全運転」ぶりを見せた新首相だが、いずれ政権基盤
が固まった段階で、この村山談話の見直しをぜひお願いしたい。
この点で、櫻井よしこ氏が、村山談話の「出自の卑しさ」を
論じている一文が注目される。
村山談話には出自の卑しさも目立つ。それは同談話の閣
議決定に至る過程に明らかだ。まず談話の前段として95
年6月9日の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決
議案」があった。
「謝罪決議」と通称される同決議は「我が国が過去に行っ
たこうした(数々の植民地支配や侵略)行為」に「深い反
省の念を表明」する内容だ。
官報によると、同決議採択のための衆議院本会議の開会
は95年6月9日午後7時53分、山崎拓氏らが提出して
あっという間に可決、7時59分に散会となった。この間、
わずか6分である。
この間の経緯を当時衆議院議員の西村眞悟氏が『諸君!』
05年7月号に次のように書いた。
自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始め
たが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても
否決されることが明白になった。すると6月9日の金曜日、
「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との
通知が衆議院内にまわされ、反対派の議員らは選挙区に戻っ
た。そのすきを狙ったかのように、土井たか子衆院議長が
金曜日の午後8時近くという遅い時間に本会議開会のベル
を押した。
結果として265人の議員が欠席、議員総数509人の
半数以下の230人の賛成で決議案は可決。だが、参議院
は採決を見送った。
どう見てもこれはだまし討ちだ。精神の卑しさを強調す
るゆえんである。
せっかくの決議なのに権威もなく、評価もされない。そ
こで村山首相らは次に総理大臣としての談話を出す道を選
んだ。
95年8月15日、氏は、学者や谷野作太郎外政審議室
長ら少数の官邸スタッフらと練り上げた談話を閣議に持ち
込み、古川貞二郎官房副長官が読み上げた。「閣議室は水
を打ったように静まり返った」と報じられた。
事前説明なしで突然出された談話に、閣僚は誰ひとり反
論していない。自民党にとってこのことこそが痛恨の一事
だ。細川護煕政権の誕生で下野し、理念の全く異なる社会
党の、首相たる資格の片鱗(へんりん)さえ備えていない
人物を首相に据える禁じ手を以て、自民党はようやく政権
を取り戻していた。自信喪失のただ中で、自民党は真っ当
な価値判断を下し得なかったのだろう。[1]
櫻井よしこ氏は、こうした村山談話の「卑しさ」を踏まえた
上で、こう結論づけている。
村山談話にとらわれることは、自社さ連立政権当時の、
異常なる政権の揺らぎの中に没し続けることだ。そんな地
平に日本の未来はないだろう。誠実で誇りある歴史認識を、
新たに打ち立てることが、次期首相の課題である。[1]
安倍首相には、ぜひこの言葉を肝に銘じて、いずれ政権基盤
が固まった段階で、村山談話を継承すべきかどうか、国会で本
格的な論戦を展開してもらいたい。
■参考■
1. 産経新聞「【櫻井よしこ 小泉首相に申す】踏襲必要ない村山
談話」H18.09.14 東京朝刊 3頁
© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.
2008.12.25 (木)
「改めて問う、講和条約と村山談話」
http://yoshiko-sakurai.jp/2008/12/25/886
『週刊新潮』’08年12月25日号
日本ルネッサンス 第343回
12月13日、『今あらためて問う! 東京裁判』というシンポジウムが東京千代田区の科学技術館で開かれた。私も講師の一人として参加したが、立錐の余地がない程の熱気だった。
東京裁判に関して、読者の皆さん方にはお正月休みにでも、是非、読んでほしい一冊がある。青山学院大学名誉教授の佐藤和男氏監修の『世界がさばく東 京裁判』(明成社)である。日本の戦争を゛邪悪な戦争〟として裁いた東京裁判史観は、日本で根強く定着した観があるが、佐藤氏は、「東京裁判を肯定し」て いるのは、実は、日本特有の現象だと、「あとがき」に記した。「東京裁判及び占領政策に関する書籍に徹底して当たり文献発掘に努めた」結果、「意外なほど 多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的な視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している」のとは対照的な日本側の受けとめ方 に疑問を突きつけているのだ。
シンポジウムでは、大阪大学大学院教授の坂元一哉氏がサンフランシスコ講和条約の第11条について興味深い指摘をした。第11条は、「日本国は、極 東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行 するものとする」と書かれている。
上の一文中の゛裁判″は英語では゛judgements″である。したがってこの部分は゛判決″でなければならないはずだが、裁判と誤訳された。
「判決」を「裁判」とした誤訳は、東京裁判を正当な裁きと認め、日本断罪の歴史観をも受け入れたうえで、日本は国際社会に復帰したのだという主張の根拠ともなってきた。しかし坂元教授は、それが誤った考えだと指摘したのだ。
「11条の先のくだりは、受刑中の人を日本が勝手に釈放したり減刑したりしないよう、いわば念を押したもので、11条ゆえに日本を悪とする歴史観を日本が受け入れたと見るのは間違いです」
講和条約11条の成り立ち
過去の戦争を、殺し合いも含めて全て許し合うというのが講和条約の性質だ。にも拘らず、日本に対して講和条約締結後も刑の執行を続けよと、懲罰的な条項が盛り込まれたのは何故か。坂元氏がさらに語った。
「米国の原案には講和条約11条に関する記述がありません。日本への懲罰に拘ったのは英国でした。時の宰相吉田茂は、英国発案の11条に猛反発し、勝者の一方的論理で敗者を裁き続ければ、そのことへの反発は、将来極端な反動となって表われかねないと反論しています」
ちなみに、この日本と戦勝国間の交渉については、西村熊雄外務省条約局長(当時)が「西村調書」としてまとめている。坂元氏が続けた。
「(日本が主権を回復した時点で)日本と中華民国が結んだ日華平和条約はサンフランシスコ講和条約を援用しているのですが、その中には11条はあり ません。もし、11条が東京裁判の意味を伝える重要条文であれば、それを外すことは考えられない。この一事を以てしても、11条は、判決の受け入れと継続 を意味するにすぎず、東京裁判自体の正当性を主張したものではないということです」
東京裁判をめぐるこのような外交上の内情は、事柄の性質上、すぐには明らかにされないが、外交史料を保存、整理し、出来るだけ早期に公開することが国家の重要な責務だ。
その点、外交文書を含めて、日本の公文書の杜撰極まる管理が、国際社会において日本の立場の説明や擁護に負の影響を与えているのは間違いない。外交文書の整理と保存が急がれるゆえんだ。
正しいことだと信じられ、世の中に流布されてきた事柄について、その背景を知ることが講和条約についてのみならず、すべての事例についてどれだけ重要か。そのことを実感するためにも、「村山談話」の成立の過程を振りかえりたい。
村山談話はいまや、それへの批判も許されない聖域扱いだ。保守本流と見られた安倍晋三氏も、これまた保守の位置づけの麻生太郎氏も、歴代政権は村山談話の継承を明言した。田母神俊雄前航空幕僚長は、村山談話に反する歴史観を発表したとして問答無用で解任された。
ではその村山談話は、どれ程、立派なものなのか。
村山富市氏は94年6月に自社さ連立政権で首相となった。翌95年は戦後50年の年だ。社会党委員長を首相として迎え入れる世紀の妥協をした自民党 は、政権政党であり続けるために、より一層、社会党的価値観の受容に走った。そのひとつが戦後50年の節目に出された゛国会における謝罪決議″だった。
騙し討ちの村山談話
この件については『諸君!』2005年7月号に西村眞悟氏が詳述している。氏は次のように書いた。
自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始めたが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても否決されることが明白になった。すると 6月9日の金曜日、「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知が衆議院内にまわされ、反対派の議員らは選挙区に戻った。その隙を狙ったか のように、土井たか子衆院議長が金曜日の午後8時近くという遅い時間に本会議開会のベルを押したという。
結果として265人の議員が欠席、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で決議案は可決。だが、参議院は採決を見送った。これでは折角の決議の権威もない。評価もされない。そこで首相らは次に総理大臣としての談話を出す道を選んだ。
95年8月15日、村山氏は学者や谷野作太郎内閣外政審議室長ら少数の官邸スタッフらと練り上げた談話を閣議に持ち込み、古川貞二郎官房副長官が読 み上げた。この間の経緯は、「閣議室は水を打ったように静まり返った」と報じられた。事前説明なしで突然出された談話に、閣僚は誰ひとり反論出来ていな い。自民党にとって、このことこそが痛恨の一事だ。
首相は談話を出すに当たって記者会見に臨んだ。その席で、「談話で日本が過去に国策を誤ったとして謝罪したが、具体的にどの政策をどのように誤ったと認識しているのか」と問われ、村山首相は絶句した。
国会決議の卑劣な出自。自らの談話も具体的に説明出来ない空ろな首相。村山氏の政治家としての、否、それ以前に、人間としての資質は、知れば知るほど、興醒めである。
社会党時代、長きにわたって氏は自衛隊を憲法違反だと非難した。首相になった途端に合憲だと主張を変え、自衛隊員に国家防衛の崇高な任務に励めと訓 話した。しかし、首相を辞して社民党に戻ったら、またもや自衛隊違憲論に戻ったのだ。国家の重要事に関して二転三転した節操なき人物の談話を後生大事にす るほど、日本人は愚かではないであろう。
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