以前書いたシリーズのつづきです。
前回は、階名と音名の区別がつかず理解できなかったと
書いて終わりました。
そして、また苦戦する事柄が出てきました。
私の出身小学校は、5年生から全員、
マーチングバンドをしました。
管楽器、打楽器、あと女性中心に旗?振ったり、
担当がいろいろありました。
僕は多分自分で希望したのですが、
トランペットに挑戦。生涯初の挑戦でした。
卒業する6年生から一人一人ついて、教わりました。
マウスピースで音を鳴らす練習から始まり、
楽器を使って練習、と、
そこそこスムーズに上達し、先生が音を聴いて、
一応1stを吹くことになりました。
しかし、ここで出てきた新たな課題。
それは、楽譜の読み方でした。
管楽器というのは、
それぞれ○管というのがあります。
何と説明したらいいのか。。。
C管というのは、何も問題はありません。
楽譜に書いてある音を吹くと、
そのままの音が鳴ります。
しかし、他に、B管、Es管などがあり、
簡単に言うと、楽譜に書いてある音と、
鳴っている音が違うんですね。
B管なら、楽譜のCの音を吹くと、鳴っているのはBの音。
僕の吹いたトランペットはB管でした。
困ったのは僕の音感。
楽譜に書いてある音と鳴る音が違う。。。
これは困りました。
やむを得ずというか、
幸いに1音しか違わなかったので、
書いてある楽譜を1音下げて僕は理解するようにしていました。
面倒ですね。。。一音一音読み替えるわけですから。
そして中学校へ。
吹奏楽部へ入り、そのままトランペットを。
さて、中学校から本来困ることの一つ。
変声期です。
中学校くらいから声変わりします。
僕も変わりました。
変わると、声が出にくくなったり、
歌いづらかったりいろいろあるようです。
中学校の先生方は対応に苦慮しているのでは。
しかし、厭味かもしれませんが、
僕、全く苦労しませんでした。
トランペットの他、ピアノを(練習はしませんでしたが)
続けていたこともありますが、
絶対音感が功を奏し、
「あっ、今、下のCまで音が出るな」
「あっ、音域が下のAまで下がった」
「あっ、今、上はFまで出るな」
とか、自分の音域を逐一理解していました。
だから、変声で苦労は全くありませんでした。
そして高校へ。
バドミントン部を半年で辞め、
1年の終わりから声楽を勉強し始めました。
そして中高の先輩から声をかけられ、
合唱部のお手伝いもしてました。
中学校は合唱が盛んで、校内コンクールが年2回あり、
通算3回指揮を振りました。
合唱部は特設で、一応2年、3年と所属。
3年次は名ばかりの部長を務めました。
高校のとき、僕は正直生意気だったと思います。
中学校の時と違い、目立たない存在だったと思います。
しかし、音楽に関しては、ピアノは下手でしたが、
音感においては、明らかに過信していました。
高校の合唱部は外部からNさんという人が
教えに来ていました。
今だから書きますが、
僕は、高校の合唱部の雰囲気に馴染めず、
ちょっと苦労していました。
僕はNさんとパートが同じで、
パート練をしたりしたのですが、
僕は、
「書いてある音を歌うだけなのに、何でパート練なんかするんだ」
「書いてある音をピアノでさらう練習なんか何でするんだ」
と本気で思っていました。
男声の現役団員が本当に少なく(というか3年次は僕一人)、
Nさんは、僕と一緒にパート練をしたがっていましたが、
僕は一人で楽譜を見て音の確認をしていました。
Nさんを放って。
きっとNさんは困っていたに違いありません。
今でも僕は、音の確認のパート練はつまらないし
そんなことは自分で確認すべき、とも思っていますが、
その時は明らかに、子供の対応だったと思います。
ちょっと譜読みが早いくらいで、
明らかに相手を見下していたと思います。
実際、Nさんは、音楽的にはとても豊かな人で、
人間的にもユニークな人でした。
僕は大学へ行って合唱を本格的に始め、
ある経験から価値観を根底から覆され、
絶対音感信奉を見直すきっかけがありました。
後にNさんにお会いした時に、
当時のことを深く詫びました。
Nさんは笑っていましたが、
僕が絶対音感信奉から離れ、
人の音を聴くこと、合唱におけるアンサンブルにはまったことを
おそらく喜んでくれていたに違いありません。
(次回は大学以降の話)