基隆は、外海に通じる見晴らしの良い岬で軍事的に重要な位置にあり、古くはオランダ軍も軍事施設を建てていました。
現在残っている砲台設備は、日本の明治時期のもので、日露戦争の時、日本軍によって建てられたものだそうです。
我々は駅からだいたい一時間くらい、観光客が全く居ない住宅街を徒歩で行きました。友人とわいわい行ったので苦になりませんでしたが、一人だと辛いかも。
跡は高台にあるのですが、この標識は海沿いの幹線道路にでかでかとありますので、見落とすことはないでしょう。
しかし、ここから車一台分しかない細い村落の中の道をくねくね10分ほど登ります。
白米甕砲台の場所はオランダ人が和平島を占領していた17世紀頃には堡塁として使われていたと言われています。本格的に砲台として整備されたのは19世紀の清時代で、アヘン戦争や清仏戦争の対策でした。日本統治時代には日露戦争のために再び整備が行われました。
これは隣にある「協和火力発電所」。1977年から稼働しています。基隆市街から見えない位置にあるので、この景色はここに来た人の特権。
火力発電所と反対側の基隆市街。基隆港は、世界のクルーズ客船の寄港地になっているので、常に何隻か停泊しています。今はコロナで居ないかな・・・。
基隆港の入り口の小高い丘の上に4台の砲座、指揮所と観測所が残っています。
ベンチがいい位置に並んでいるので、デートスポットにもなっています。駐車場も完備されているので地元の人には来やすく、憩いの場にもなっているようです。我々が行った時は上半身裸で焼いているおじさんがいました。
また、標識からここに来る途中には日本統治時代の営舎が残っており、保存のため屋根がかけられていました。行ったのは3年ほど前なので、今頃は修復が終わって公開されているかも知れません。
基隆市中山區光華路37號
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