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意思による楽観のための読書日記

旗本婦人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記 深沢秋男 ***

タイトル通りの日記紹介で、幕末も近い水野忠邦の天保の改革が行われている天保11-15年の5年間にわたる個人の日記である。本書著者は昭和女子大学の名誉教授で「仮名草子」の研究者。本書は幕末期、江戸城に近い九段坂下(現在の九段会館の東隣)に暮らす一人の旗本婦人、井関隆子が56ー60歳までの5年間、亡くなる直前の898日間の記載がある日記。井関隆子は天明5年(1875年)四谷表大番町の旗本の家に生まれた。父は3000石をとる先祖から400石を分知された分家、大番(江戸城の警備)を務めていた庄田安僚(やすとも)。隆子は最初の結婚では事情があり一度離婚して、30歳のときに旗本井関親興と再婚。源氏物語などの古典や当時の書籍も含めた読書家であり、社会に対する批判的姿勢も含めて客観的視点を有するインテリであった。

井関家は代々小納戸組や広敷など将軍のお側近くに仕える家柄で、江戸城近くに350坪ほどの居宅があった。息子の親経は天保12年から14年間御広敷御用人(大奥との連絡、事務処理を行う役職)で11代将軍家斉の正室・広大院の担当として勤めた。そのため、将軍や大奥からの正確かつタイムリーな情報が彼女にも伝わっていたと考えられる。持ち高二百五十俵に加え、役職手当として七百俵を支給されていた。孫の親賢も家慶小納戸の役目についていて、井関家としては年間千俵、現在価値で2500-3500万円の収入と換算できる。5名の家詰めの用人、十数名の使用人を家内で使っていた。経済的にも安定していたと考えられる。日記の当時、隆子は子育てが終わり、夫の死後、井関家の最年長者として尊敬され、気兼ねなく離れの書屋で本を読み、詩を吟じて酒を飲みながら日記を認めていた。

日記には様々な年中行事や時代のエピソード、天保の改革への批判的意見などが記されている。正月、年越し、鏡開き、初午、雛祭り、出替り、更衣、灌仏会、流鏑馬、端午の節句、両国川開き、山王祭、七夕、四万六千日、草市、十五夜、重陽、十三夜、神田祭、花火、子祭、宮参り、事始め、煤払いなどの様子を書いている。旗本心中事件、品川心中事件、上総のふたなり(男女両性具有)、長安寺の好色僧侶の托鉢など江戸の評判となった事件にも及んでおり、江戸時代後期の世相が良くわかる。家慶夫人や光格天皇の死亡、一万石以上の大名に対する倹約令発令、大御所家斉の死亡日付の幕府による操作、家斉のお気に入り中野磧翁の評判と日蓮宗への傾倒、家斉側近の罷免、問屋仲間制度廃止、三方ところがえの不条理とその中止、江戸城炎上とその後始末、江戸城・大阪城十里四方の私領を幕府直轄地とする上知令発令とその取消、印旛沼開削工事着手と中止、水野忠邦の罷免など、50年も在職した家斉の死後は政治的、社会的激変が江戸の社会全体に広がっていった様子が旗本婦人の視点で細かく表現されている。本書内容は以上。


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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